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(オウム真理教の謝罪会見というのが・・)(「新潮」12月号の「南の精神誌」)(探偵、批評、密室)(三島文学からの信号)(差別用語のこと))(タベイ・大 サーカス・・・)(連鎖的な贈り物)






1999年12月2日 木曜日

オウム真理教の謝罪会見というのをテレビでやっていた。すくなくとも、どうやらウチのものたちがアレをやったらしいです、ごめんなさい、という率直な言葉を期待していたひとは、持って回った、下心、裏心、ありそで、なさそで、うっふんの内容に、少しく落胆したようだが、俗にいうオウム法案をはじめとした社会世論全体からのオウムたたきによって、無理やり出させたグウーの音と受け取れば、いい音をださなかった、なぜ出さなかったといって、おこるようなもので、雰囲気としては、彼らの本心など聞くというより、とにかく、いい、きもちのいい、グウーの音を聞きたいだけじゃないか、という感じも、テレビに登場する人たちの言動をみていると、してしまう。そういう見方でみると、「あれじゃ、まだだめですね」といった言い方も、妙に見覚えのある、サディスティックな、たたく対象内部の光景が裏返ったような、イメージが過らないわけでもない。もっとも、内部の光景など、僕にはなんにもわからないわけだけどね。みんな、イメージの産物。イメージが、恐怖心を煽っている。イメージが、巨大な鏡を、人々の前にすえて、そこにむかって、にらみ返している。そして、なにか、鏡から、にらみ返されている。それが、実は、オウムじゃないのか。オウムの根が(音が、じゃないよ)ふかいのは、この、巨大なめくらまし、巨大にオッ立った鏡によって、みえなくなってしまったものの(事態の?)予感を、彼らに感じるからじゃないだろうか。加えて、世のため人のため人類のためと、きもちいい託宣を垂れながら、信者大衆に満足げに、鷹揚に手をふってみせる、「人の上に立った」「人生をのぼりつめた」「成功を手にいれた」新興宗教の教祖たちの図柄が、この社会の、突っ走る目的の、ポンチ絵のようにして、ダブってみえるからじゃないだろうか。そして、その裏に、ぴったりと張り付いた、そうした生への深い憎悪が・・・。僕には、新興宗教の教祖と、信者というのは、その2面を分け合って、愛憎表裏一体で共生している、奇妙だが、とてもわかりやすい集団のように思えることがある。たとえ、オウムのおこした事件が凄惨で、想像を絶するものであったとしても、誰が、彼らを、本質的に批判できるだろうか。誰が、彼らを、本質的に、排除できるだろうか。むしろあなたたちが試されている、という意識もなしに? なんか口調が託宣じみてきたので、やめようっと。

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1999年12月5日 日曜日

「新潮」12月号に、岡谷公二氏の「南の精神誌」という一挙300枚の紀行文がのっていて、つい読みふけった。日本の神社の原初的な形をさがしもとめながら、沖縄の御嶽という祭場空間へと引き寄せられていくというものだが、「・・・沖縄本島でも八重山でも、御嶽はいろいろと見たけれど、何もないったって、そのなさ加減。このくらいさっぱりしたのはなかった。クバやマーニ(くろつぐ)がパサパサ茂っているけれど、とりたてて目につく神木らしいものもなし、神秘としてひっかかってくるものは何1つない。・・・・」といった、故岡本太郎氏の「忘れられた日本―沖縄文化論」の中の文章を引用しながら、「なにもない」という、その空間の「原理」、「意志」に注目し、「なにもない、とは、全き帰依のあかしである。この場合、それは、空虚や欠失ではなくて、充溢であり、透明さであり、きわめて豊かな何かである。無が実となり、有が空虚に転ずるとは、沖縄の人々の信仰の根底にある逆説だと言っていい。」と書きつけている。そしてそれが東京生まれの氏にも「或る言い難いなつかしさ」として迫ってくるのは、「おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感はこれと同質」のものだったんじゃないかと、推測していくのだが、これを読みながら、この「なにもない」ということの特質を、祭場空間だけでなく、もっと生活風景の核にある「なつかしさ」として語っていた、かっての島尾敏雄のエッセイを、そして、こっそり(?)、25,6年前に島尾敏雄について書いた僕のつたない文章のことを、思い出したりしていた。僕の、ちぎれちぎれになったのを、さがしだしてきたので、ちょっと抜粋してみる。題は「島を内視する洞窟(ほらあな)の目―島尾敏雄の残照」(詩誌「地点」13号)

「・・・・・・・・・前半略・・・・・
      私にとって島々の存在はその石灰質の固く陽に焼けた白い道にからだを投げ伏して
       じっとその地肌にさわっていたいようなものだ。(「沖縄・先島の旅」)

       白くさらされた珊瑚虫骨片の堆積を白昼の砂浜で目にするたびに、私はどうしても人
       間の骨を連想しないではおれないのに、その中に融和したいふしぎななつかしい感
       情の起きてくるのが防げないのはなぜだろう。やがて私はそれと洞窟内の白骨との
        区別を失っていることに気がつく。(「奄美の墓のかたち」)

   ≪石灰質の固く陽に焼けた白い道≫を歩みながら視えてくる≪白くさらされた珊瑚虫骨片の堆積≫する風景とは、島尾敏雄の書きつける島を読みこんでゆくうちに、いつのまにか収斂されてしまう場所である。そしてそこには、彼が<ふるさと>と呼び、<生の根源>と感受する島と重なってくるのを、僕たちは彼の文章から探ることができる。島を骨がらみの日常として融和したものには決して視えてこない、白い世界への愛措と親しみが、彼を呪縛している。彼はそこへ≪からだを投げ伏してじっとその地肌をさわっていたい≫という下降のエネルギーのつきあげてくる感動を、制することができないでいるのだ。このとき、『島尾敏雄』の著者岡田啓のいう「考えることが全く感じること」であるような、その特異な透視者の目は、島を直接的に視ているといってもいいだろう。島は、<視る>という行為が肉体の主体的な動作としてなされるときに、その真っ裸の肌を風になぶらせる対象的な世界として顕現してくるものとして、不透明な存在なのである。そして、その島は白い。あたかも、島が、実際には人間のあれこれの営みがあり、それに似合った文化の息づきがあるはずなのに、頭の中にふと思い浮かべてみると、そこにはなにもない吹きっさらしの孤島になって顕われてくる、という現実に似て、彼が<視る>とき島は白い。その白さを≪珊瑚虫の骨片≫から≪洞窟内の白骨≫へと連想される、死の象徴的な形容であると、あるいはいってもいいかもしれない。といってもその死は、生に対して否定的であるような意味での、死そのものではない。生きながらにして視てしまう死、とでもいったらいいのだろうか。つまり、ひとがひとと関係することで綾なされていく社会的現実に覆われた世界を脱け出て、ある日ふと思ってみる感慨、「なにもない!」という意識に似たもの、とひとまずいっておこう。島尾敏雄の目は、まさに、この社会的な現実の外にそれを超えて佇む視線をもっているように思える。吉本隆明の指摘する「現在の現実社会の病根がすべて鏡になって映されているような、ほんとうの患者」(「いま文学に何が必要か」)として、戦後という日常への<不適応者意識>や<性>的ゆがみを作品化してきた彼の社会的性向と、「此の辺の島嶼に関しての私の勘はこわい程に適確なもの」(「孤島夢」)として島と交感する彼とは、同じ視線の中に佇んでいるひとのように思えてしかたがない。島尾敏雄にとって、島とは、≪ふしぎななつかしい≫(なてィかしゃん)白い世界を、現実の中に強烈に露わにする世界として視えてくるとき、にわかに息づいてくるものとして在るようだ。そして、その白い世界は、島の意志的な作為によって支えられている、と彼には感受される。

        むしろ島の過去は日に日に風によって吹き散らされ、島の人々もまた歴史の痕跡を
        消し去ることに異様に執心しているとさえ考えられる。(「名瀬だより―歴史的なこん
         せきのみられぬ島」)

         島の建物は、少ない例外を除いては、ほとんど茅葺屋根をもった別棟型のものだ。
         外見はきのこの傘のようにくすんで見え、珊瑚石灰を積み重ねた黒ずんだ石垣で
          周囲を鎧い、なるべくなら土中にのめりこんで見分けがつかぬことを願っていると
          しか思えない。しかし尖塔をもったこれらの建物〔戦後できた米軍の通信塔―海
          坂註〕は、むしろ土地と海に逆らうようにそそり立ち、自分のすがたをあらわにし
          て、岩礁のあいだに立っている。(「島へ」)

 島尾敏雄は、島のこの自然へののめりこみの意志を、文学的に働きかけてくる<すさまじさ>と表現していた。僕たちが、実存する自覚存在であるほかない以上、この限定され孤絶された生活空間の不毛さは、それに対応する自然の人間化を強要してきた筈である。自然へののめりこみとは、決して単なる自然への従順という安直なものではありえない。外的自然を切り拓くことで外的文化を進行させる方向を、正の自然性とするなら、自然へののめりこみとは、がむしゃらの自然への帰属意識を進行させる負の方向の自然性(人間の自然化)といえよう。<すさまじさ>とは、そのことを踏まえた含蓄のある表現だと、いまは理解しているのだが。
  又、彼の小説世界では、<塔>あるいはそれに類したものが、なんらかの象徴言語を呈して登場してくる。たとえば<夢物>と一般によばれる、一連の超現実主義的な作品の中では、上昇する何ものか、抽象を重ねて上へ上へと変化してゆく流動的な何ものか、である。そしてそれは<バベルの塔>さながら雲の中へ消えて見定めがつかなくなる。その<塔>に象徴されるものが、島との対比において書きこまれると、右の文章のようになるのである。『島へ』の主人公は、自然へのめりこむ気配の島の文化と、≪自分のすがたをあらわにして≫自然に逆らうようにそそりたつ<塔>に象徴されるものの間で、次のように独白する。≪なにかしら外の方に凸出しようとする個性が獲得の努力なしに身についている世界は手のとどかぬあたりで私に対峙し、それ以上近づいてこない≫と。同音異曲の言葉を、近代の入口においてゲーテは叫んでいる。≪先祖から受け継いだ物でも/それをおまえの真の所有にするには、おまえの力で獲得しなければならぬ/役に立てることができないものは重荷だ/現在生み出したものでなければ、現在の用に立たぬ≫((「ファアスト」第1幕)と。

・・・・・・・後半略・・・・・・・・・・・・」

以上。やはりつたなく、言葉や考えに難があるので、共感はあるが、この文章は過去のものにして、うっちゃっておきたいと思っている。ちなみに、「新潮」12月号は、ゲーテ生誕250年記念特集を組んでいる。

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1999年12月9日 木曜日

まるでこの世界の精妙な謎解きを聞いているような、スリルに満ちて、魅力的な批評文などを読んだとき、よく、推理小説を読んでいるように面白かった、という言い方をすることがある。言葉によって構築されたまだら模様の密室で、言葉による、殺人=死体=謎を自ら浮上させ、自らその謎を解いて見せる身振りの批評家の姿は、さながら頭脳明晰な探偵=犯人のようでもあるか。とくに、現代の、ハイテク、ハイパー空間に裏打ちされた批評の言葉は、魅力的であればあるほど、その言説空間は鏡像的な密室の匂いを強めて、閉じ込めるように作用してくるのが、よきにつけ悪しきにつけ、ひとつの特徴となっているように思える。もがけばもがくほど、閉まってくる手錠のように、ととるか、無意識の世界を開放しようとする、鍵のようにととるかは、ひとによって、またそれぞれの文章によって、違うにしても。そういう意味で最近興味深く読ませてもらったのは、インターネット上での、「週間・ 読書北海道メール版復刊第14号」で、ボードリヤールの「完全犯罪」という本を紹介している笠井嗣夫さんの文章と、「ユリイカ」12月号(特集・ ミステリ・ ルネッサンス)にのっている糸圭秀美氏の「探偵=国家のイデオロギー装置」という文章だった。前者は、「完全犯罪」という本、僕はまだ読んではいないが、どうやら現実世界そのものを密室空間にみたてて、その死体なき殺人という、絶妙の暗喩で現代のバーチャル・ リアリテイへとむかう世界の様相とそのゆくえを描いたものらしいが、そうした世界を、先取りするように、「とらえがたい謎に仕立てあげ」るように描出していく、批評の言葉について、笠井さんが最後に引用されているボードリヤールの文章「エクリチュールの目的は、その対象を変質させ、誘惑し、みずからの視界から消滅させることである。エクリチュールは対象の全面的な解消、ソシュールによれば詩的な解消をめざしているが、それは神の名が厳格なやり方で拡がってゆくことの解消そのものでもある。(「ラディカルな思考」)」が、つまりは、ぬけられない批評の密室性をそのままに、その密室においてそれをどう突破していくのかの予感を感じさせて、示唆的であるし、後者は、探偵という<ありえない>存在の、この日本における神なきあとの王権世界維持に果たしてきた機能を説きながら、<ジャーナリズム=批評>による王殺しと無能な警察キャンペーンという、探偵登場の前の、密室構造作りに欠かせない役割要素を浮上させている点で、魅力的に閉じていきながらも、、十分に、その密室性そのものをゆさぶってくれている。「王の支配を支える有能な官史に「無能」のイメージを付与することこそ、「無」としての王を大衆に真に認知させるための重要な方途なのである」と。

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1999年12月12日 日曜日

         私は死者の霊魂に対していつも哀憐の情を寄せる。霊たちは寂しそうな、
        悲しげな、可哀想な存在であるように思われる。それは私たちが幼時動
        物たちの世界に寄せた感傷的な気持ちに似ている。未開民族のあいだ
        で動物たちがそれぞれ死んだ人間の霊のあらわれだと信じられている理
         由が私にはわかる。私たちの憐れみの感情は、何かしら未知なもの、不
         可解なものに対する懸橋なのである。

三島由紀夫の「朝顔」という作品の一節である。言われているのは、もちろん、不在である自己への「哀憐の情」であり、けっして、感傷的な自己愛や、未開的な時空への、浸透ではないだろう。つまりこういうところに、作家の過敏で繊細な感受性を読んでも、しかたがないのだ。言えるのは、三島由紀夫にとってこういう表現は、一種の空間論をふくみもつものであり、いわば、<私の=生きられる=空間>についての、自己表明に他ならないということだと思う。だから、彼がそこから繋がるようにして言う、「戦争末期の自然の美しさには、死者の精霊たちの見えざる助力がはたらいているのではないかと思われるふしがあった。」(翼)とか、「戦争は純然たる「抒情的な」思い出であった」「戦争が終って以来、彼の個人的体験には本當の喜びというものがなかった。」(急停車)と言ういい方に、あぶない戦争讃美論を読んだりすることは、ほんとは、全然ピントがはずれていることなのだ。一方は極私的な場所から発しているのに、他方は、全くの共同体主義的な場所から、それを批判している、という風に。三島由紀夫の文学が絶えず誘引され、とらえられていくのは、ある触感的な空域、いわば観念と現実との無限の緊張だけが妖しくゆらいでいる、どこまでも快感原則に裏打ちされた、空域である。彼の作品の主人公たちは、なにか隠微で執拗な自己限定をくりかえしながら、その空域へ向かっての生を、金縛り的に生きているように思える。

           人影はなかった。彼は認識と行為との寸分たがわぬ符号に疲れながら、
            なおも認識と行為との堺にあって彼を魅惑してやまぬもの、その堺にだ
            け姿を現わし、分裂や別離に赴きやすいこの二つのものをいつも危うい
            綾糸でつなぐ役目をする妖精のことを考えた。妖精の名は知られなかっ
             た。しかし又しても次郎の耳にその軽やかな羽搏きがこう聞かれた。『何
             かが僕を呼んでいる。僕を呼んでいるものは何か?』          (死の島)

人があふれ、行為があふれ、知や情報があふれて、物にむかってしきりになにかを忘れたがっている、現在の社会的様相の中で、上のような場所は、それじたい、近寄りたくない<死>に似た場所に他ならないだろう。そこにあるのは、<気配>だけである。幻覚のような、「妖精」の「羽搏き」だけである。言い換えるなら、失われた無数の自己(死者たち)だけが漂っている、不毛な場所である。だが、はたして、ほんとにそうだろうか。瀰漫した、悪しき唯物主義、悪しき共同体主義の日々まきちらす、人間についての一般論、<わたしたち>に身をおくことでしか有効性をもたない、生についてのいろいろなおしゃべり。それに慣れ親しむうちにすっかり変質してしまった、<私>の、柄谷行人風にいえば、<ほかならぬこの私>の場所について、なにかとても大切な信号を、いまでも、送りつづけてきているように、僕には思えるのだ。たとえ、彼の文学が、その中心に<巨大な関係の無>という危うさをかかえながら、ではあるにしても。

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1999年12月15日 水曜日

「さきほど、言葉の不自由な人に対する不適切な発言がありました。おわびいたします。」というようなことを、テレビではよくやっている。最近見たワイドショーでは、1度さりげなくいってすませればいいものを、番組のなかで、「どもりは、差別用語ですから」、「あ、どもりはそうですね」、からはじまって、上のようなコメントが2度ほどはいり、さらに、番組のエンディングに念をおすように(?)、「番組のなかで、障害者の方への不適切な・・・云々」とやって、すっかり、特別な(差別的な)印象を、言葉の不自由な人に、もたせられてしまった。これは、もう、ほとんど食卓を囲んでいる家族に向かって「ご飯をたべているときは、ウンコの話をしてはいけません。あ、ほら、いまウンコのこと考えてたでしょう」式の、ギャグである。そうでなければ、これは、もう、もってまわった、確実な、差別意識のあらわれである、としかいいようがない。とにかく、いい感じは、どうしてもしない。僕の父は、目が見えなかったが、昔ひどい口喧嘩をしたときなどでも、売り言葉に買い言葉で、おもわず、父にむかってドめくらとか言う言葉を、聞こえないように吐き捨てることはあっても、たとえそういう状態のときですら、障害者という言葉だけは、つかわないどころか、僕の意識の外にあった。僕の言語感覚では、障害者という言葉には、なにか、目が見えないというだけでなく、存在自体をおとしめるような感じがあって、どんなにやけになって、気持ちがたかぶっていても、父をみながらそんな言葉をむけるということは、思いつきようがなかった。この社会が、差別用語とかいいださない前にあった、どもり、めっかち、びっこなどは、それを使うひとの、言葉にからまるアンビバレンツな感情が剥き出しな分、にわか雨のように、あったような、なかったような、曖昧さの中でパチンとはじけて、(感情的なしこりは別として)さっぱりしていたのに、なんとかの不自由な、とか、障害者の、とかの言葉ではじまる、現在のこの社会のものの言い方には、こんなにおもいやりにあふれていますよという、社会=共同体的なメッセージは前面にでても、言葉が向かう対象を、遠回しに、ねっとりと、冷静に、存在確定するような、やりきれない冷たさがあって、僕などの言語感覚では、とても、イヤである。

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1999年12月20日 月曜日

タベイ・大サーカス。僕にとって、夢の輪郭をかろうじて失わない、最後のサーカスともいうべきこのサーカスの思い出が、時々ふっと、記憶をかすめることがある。「アメリカ帰りの本格的大サーカス」というふれこみで、その実、どうにも落ちぶれた風情の、サーカスという言葉に付きまとう円形、球形のイメージを、ことごとく取っ払ったような貧弱な舞台作り、道具立ての、「アメリカ帰り」どころか、メチャメチャ日本的な、見世物小屋的な、そのギャップによっても、強く印象づけられた、サーカス団だったが、反面、僕にとっては、テントを立ち上げる前から何度となく、その海岸近くの空地に足をむけて、団員たちとも身近に親しむことのできたサーカスであり、果てはその曲芸の真似に熱中して、学校ではいじめっ子の親分肌の悪ガキにも一目おかれたり、家では、近所の年下の子供をあつめては、煤けた太い梁からぶらさげたブランコで、ピエロの芸をみせたりするという、幼い日の忘れられないエピソードをもたらしてくれた、思い出深いサーカスでもあった。一行の来島したのは、小学5年生の冬休みだったから、昭和38年のこと。おりしも、この年を前後する時期は、僕の町では、拡大した都市計画で家々が動き、道路幅が拡張され、今日につながるいろいろな変化が、つぎつぎに起こっている時だった。中でも、この年の夏、テレビ放映という、あたらしい「見世物小屋」が、家の中に入り込んできたことは、忘れられない決定的な変化であったろう。また、この年の11月には、ケネディ暗殺の中継放送という、映像のサーカスにひとびとがざわめき、それ以後、外国のそれこそ「本格的大サーカス」も、僕たちは家に寝転んだまま、真近で見れるように、なろうとしていた。そのほかにも、この年は、個人的にも、町の移り変わりの面でも、なにか集中的に、いろいろなことが、起こった年だった。その象徴のようにして、多分、タベイ・ 大サーカスは、僕の記憶のなかに、あるのだろう。この一行には、サーカスにつきものの、象や馬などのけものくさい気配がすでに失われ(猿や犬の芸はあったが)、唯一、草むらにポツンと置かれた1個のコンテナ様の暗い檻にうごめく、ライオンの存在が、その非日常的な、異郷的な匂いを放って、「ワタシタチ、カロウジテ、サーカス団ヨ」と、気弱い主張をしていたが、しかもこのライオンは、サーカスが始まっても芸をする場もなく、ただ舞台の片隅に、客寄せのかざりとして、置かれてあるだけだった。そして、興行のおわるころになると、地元の新聞には、「餌代などがかさむため飼い主をさがしている」旨の、ライオンについての寂しい記事がでたりして、いよいよ、このサーカスの落ちぶれた感じを、強めていたのだった。

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1999年12月26日 日曜日

笠井嗣夫さんから、「ことばの現在位置」(土曜美術社出版販売1994年9月刊))という、詩論あり、歌謡論あり、ミステリー論ありの、またその論をささえる笠井さんの<闇>についての思いありの、にぎやかで、硬質なエッセー集を昨日いただいたと思ったら、今日は、つづけて、青木栄瞳さんから、「バナナ曲線」(昧爽社2000年1月1日刊)という、パゾリーニ、ロシアSF映画、ポランスキーと、たてつづけに見まくった映画と栄瞳流格闘(?)の仕方できあがったような詩集が、いつもながらに、おもしろくも手ごわく、「メリークリスマス」と「謹賀新年」込みで届けられ、さらに、宮内さんから、「天秤宮」12号が印刷所から「クリスマスプレゼント」のように届けられた旨、ファクスがあり、今日で車の車検も無事おわって(?)ひっそりした部屋が、にわかに、活気づいているところですが、いつも不思議に思う、あの物事が連鎖的におこる現象の、ちょっとした雰囲気もあって、よけい、うきうきしてしまいました。明日になれば、また、そんなうきうきした感じもすぐにしぼんでしまうのがわかっているので、いまのうちに、いそいで、書きとめておきます。いつも目をかけてくださる、笠井さん、青木さん、宮内さん、ありがとうございました。それから、上のサーカスについての記事で、学年と、年に、勘違いがあったようで、1年くりあげて、訂正いたします。どうもそうだと、最初は記憶にたよって、、5年のときで、38年としてあったのに、「名瀬市誌」という郷土資料の付録に付いている年賦を、見間違って、UPのときに、訂正したのが、さらに間違っていたというわけですが。でも、こんなこと、いちいちことわらなくてもいいのかなあ。気の小さいワタクシメであります。間違いに気づいたのは、「田原総一郎のテレビ大全集」という番組をみていて。(25日記す)

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