エスニック
雑感17

雑感もくじへ
(そのなまなましく生動する<場>を)   (石川為丸さんから「クィクィ通信」5号を)   (選挙の季節に) (湾岸戦争以後、豊田商事社長殺人事件以後の・・・)





2000年6月7日 水曜日

 「外的領域を超えると、内的空間はなんと広大なものであろう!この内密的雰囲気はなんと休息感を与えるものであろう!」(バシュラール「大地と休息の夢想」)―ニューサイエンス以前の、癒しブームの元祖みたいな文章に、若い頃その気になったりしたことがあるが、それにしても、ああ、今では、この内的空間の休息を得る<ために>、なんとはりつめた、あまりに現実的な<関係>の緊張感に、耐えなければならないことでしょう! 次の瞬間には、「外的領域」をすったもんだする、かのゴリャ―トキン氏(ドスとエフスキー「二重人格」)の外密的?こっけいさが、無性になつかしく、手応えある空間として、身にしみてきたりして。・・・・つまるところ、<ワタシ>とは、いわば、自分を処理するに困難である意識の、ある心的な振幅のうちに顕われる、それ自体矛盾した、生動する<場>、なのでもありましょうか。・・・なんて、ね。生きていることの充実感って、ほんと、一筋縄ではいかないよね。大事なのは、そのなまなましく生動する<場>を、癒しであれ、なんであれ、管理されたり、抑圧されたり、しないこと、かな。

up

2000年6月15日 木曜日

  一昨日いただいた沖縄の石川為丸さん「クィクィ通信」5号には、「学校給食が始まったのは一九四七年一月二十日、ララ物資による副食だけのもので」、と書き出された、戦後のこども達をなやませた?ミルクにまつわる甲田四郎氏の詩作品「真似」が紹介されていて、僕などは、まずなによりなつかしく、世代はぜんぜん違うものの、聞きなれないララがユニセフにかわっただけの、マズーイ、青汁、いや、そうじゃなく、マズーイ、ミルク、思い出したりしてしまっていた。なんでわざわざあんなにまずくなくてはならないのかと、恵んでやる者のせめてもの底意地の悪さが、その一点に集中的にこめられているんじゃないのかと、ひねた僕などはかんぐったりしていたものだった。とにかくのめない。のめたしろものじゃなかった。このミルクのことを思い出すときいつもいっしょに思い出される友人がいて、彼は、ミルクを飲みなさいと先生から注意されると、逆らうことなくミルクの入ったでこぼこのアルミ容器を口にもっていくのだが、半分くらい口にふくんだあたりで、おもむろに教室のうしろの窓に走り出しては、ゲっと、吐いていた。垢黒くちぢみあがったズボンと上着を着て、肩に丸っこい顔を埋めるようにキヨーツケをしている彼の卒業写真をみるたびに、その場面を思い出して、ほほえましく、親しみを感じていたものだ。彼はいまは、奄美の蝶やランの素人研究者として、おっとりとして地味な性格をそのままみごとに花ひらかせているようだけどね。ところで石川さんの文章には、もう一篇の詩作品―野球バットの荒い手作りからはじまり、野球ボールがわりの「赤M印のテニスボール」(赤ML印のヘルメット、なら僕もしってるけど(^^;)が「三角ベース」の上を「黒い快音」で飛んでいく、戦後のこども達の原っぱ風景を描いた、福原恒雄氏の「三角ベース」といった詩作品―といっしょに、これらの作品は「過去を顧みることによって現在の生を検証させてくれるような詩」、として、「物がありあまるほど”豊か”になったといわれる現在に向けて、鋭い問いを投げかけています」、とかいうコメントがみえるが、それがどういう問いなのか、それがどううまく伝わっていくのかが、こういう、石川さんのいう「歴史型」の詩の、どうにももどかしい、言葉による時代と個人の切り結び方のむずかしいところではあるよなあと、思ったりした。思い浮かべる<時代の落差>にめぐまれた?者の、それこそ<鋭い自問>なくしては、このオヤジまたなんかいってるよ、みたいな、自己満足の危険のほうが、引用された詩にしても、なきにしもあらずでは、とかなんとか、気弱く思ったり、なんかして。豊かな物質世界に沈み込んで、折りたたまれるように<内景の落差>を深めているように感じられる、現代の、全然異った苛酷を思うとき、なおさらに・・・・。もっとも、「優れた「歴史型」の詩は、必ず、過去をただ懐かしい思い出として浸るために語るような退行的な精神からではなく、常に自分の過去を通して現在を見つめようとする前向きな精神で書かれているはずです」、という石川さんの言葉を、意識と無意識のダイナミックなからまりから理解するなら、ほぐれるように、みえてくるものもあるような気がしてくるけれど。意識的には退行的でも、無意識的にはそうでなかったり、意識的には前向きでも、無意識的には、退行していたり、等々、あるわけで・・・。ま、うまくいえないので、この話はこれくらいにするとして、ところで「クイクイ通信」には、「第4回天国と極楽展」の詩の朗読に参加した石川さんの、これはなにか沖縄での収集品をみせてのトークの場面でしょうか、写真がのっていて、(もっとも、おなじもの、清水鱗造さんのとこのHPで、たくさんの参加詩人たちの写真といっしょに拝見してはいましたが)、自然収集家らしい構えの、想像していた感じとはすこし違っていたのが、なんとなくうれしかったりして(??)。石川さん、ごくろうさまでした。通信、ありがとうございました。(同展の石川さんなどのくわしい模様は、関富士子さんのHPで、読むことができます。)

「クィクィ通信」=発行所・おりおん舎(沖縄県那覇市牧志3−20−5一308 石川為丸事務所内
           購読料・80円(送料共)

up

2000年6月18日 日曜日

 またまた選挙の季節。ほとんど興味はないが、がなりたてるマイクの、「おせわになっております。地域の皆さん、国民の皆さんの豊かなくらし実現のため、国の平和な未来のため、誠心誠意がんばります。私をどうぞ国会へ送り出してください。○○です。なんとか党公認、○○でございます。よろしくお願いします。あ、そこのおとうさん、毎日ごくろうさまです。○○です。いっしょにがんばりましょう。ニコニコ、ニコニコ」、式のおなじみの選挙カーの謙った「お願いのあいさつ」と、現実の、エラソウな議員センセイの姿のギャップを思うとき、<代表>というものに、いつもいつも、不思議な感慨をいだかざるをえない。そういえば、お隣の半島では、民主主義代表(いわば代表の代表の代表の・・とうまくクッション化された代表?)と人民民主主義代表(過渡的であったはずのプロレタリア独裁というマジックによる、あからさまな代表?)が、どんな思惑が絡んでかしらないが、なかよくしましょう、と、いきなりの握手をかわし、それにいきなりの同調をしめすかのように、マスコミが政治的プロパガンダのような記事をたれながし、またつづいてこの国では、慣習のなかに無理やりとりこまれて、とにかく国の宗教的「母体」であったり「象徴」であったりしたひとの奥さんがなくなったというので、厳粛な、そのじつ実感とは程遠い「哀悼」の報道がながれ、そこでは一瞬<なまな現実>は存在しないかのように、<代表>というものの、どうにも有無をいわさぬ存在感のおしつけを、僕などは、遠隔映像装置を通して、ただただ、おそれいりましたと、アホのように、見守るばかりだった。<代表>であることの、<代表>をもとめることの、ふるいふるい、抜けきれない慣習的視線がつくりだす、幻想的時空からの脱出、情報社会の肯定的未来を思い浮かべるとき、そのことが、どうしても、気になってくることではありますが。でも、色々と、かんがえるだに、むっつかしい(^^;。

up

2000年6月23日 金曜日

 もう今は昔という感になってしまったあの湾岸戦争の報道の中に、イラク爆撃を終えて帰ってきたばかりの米軍パイロットを、CNNのアナウンサーが空母の甲板上ですぐにインタビューするという、なまなましい場面があって、いまでも脳裏に焼き付いている。ひとがひとを一方的に?殺す現場に自ら加担してきた、隠しようのない衝撃が、まだヘルメットをつけたままの兵士の表情にジンワリと染み出ているようで、テレビ画面からさえ(あるいは、テレビ画面という距離によってこそ、ともいえるのだろうか)なんともいえない匂いをはなっていて、それは、どんな迫真の戦争映画でもお目にかかれない、僕にとっても貴重な目撃体験だった。そのときに僕がすぐに連想し、思い出したのは、テレビカメラの面前でと騒がれた、あの豊田商事社長刺殺事件の犯人たちの表情だ。テレビカメラが見守る中で、割った窓から血まみれの包丁をもってでてきた二人の男の、今自分の手でひとを殺してきたという隠しようのない衝撃を物語る、ごちゃごちゃに解体した感情のような、独特の表情。いま思い出しても、全体の印象として、どうもパイロットの表情は、それに似ていた気がする。たとえテレビゲームのような戦争といわれても、ひとを殺すことに伴う、はかりようのない、複雑なエネルギーの痕跡をあらわしているような、その表情。僕には、次々に発生する最近の少年たちの殺人事件を聞いていると、ふと、その表情のことが思いだされ、いささか気になってもくる。彼らは、<その現場>で、いったいどんな表情を一瞬みせるのだろうか、と。淡々としたしぐさとして報道の中にあらわれる彼らにも、やはりひとひとりのいのちの全体性、それを暴力的に消滅させることの、また違った形ではあっても、複雑なエネルギーの痕跡が、ごちゃごちゃに解体した感情のようなものが、一瞬でも認められるのだろうか。あるいは、それさえも、認められないのだろうか、と。いずれにしても、ある意味で、湾岸戦争以後、豊田商事社長殺人事件以後ともいえる、現代の様相ではあることよ。

up



エスニック

雑感もくじへ