エスニック
雑感18

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(夏やなてィかしゃり) (なくなったから困るって人が誰もいないっていう?) (寅次郎センセイのりっぱな・・・)  (詩誌「部分」を松尾真由美さんから・・・) (詩誌「火の鳥」の支路遺耕治特集)





2000年7月6日 木曜日

 いわば強烈な太陽光のもとに、自然時間的な線形の流れが滞留し捻じ曲がって、時間性の空間的なひろがりともいうべき、きらきらと黙語りする空気のにぎやかなざわめきに覆われる季節。奄美大島の民謡に、「春や花咲きゅり、夏(なてィ)やなてィかしゃり、秋さめて(アキサメル=興ざめしてあきる、という意味の方言と掛けてある)からや、冬のサニシ(吹きはじめのころの北風。さ西。方言)」という皮肉な生活心理めいた季節詠があるが、もし死ぬとしたら、僕などは、春のむさくるしい花のもとなどではなく、だんぜん夏のなつかしい時間性に抱かれてであってほしいと思う。ぼあーっと晴れ上がった夏の空の下、どこかへの船の片道切符をかって、太平洋のひとしれない洋上までいき、体に重石になる適当なものを結びつけて、そのまま海のもくずとなる、とか、そんな死に方はよく想像した。とはいっても、僕は船というのがまるでダメなので、太平洋へでてしまうまでに、胃液まですっからかんに吐いてしまって、衰弱して、死ぬ元気もないかも、とか、現実的になって考えると、自分のこっけいさが身にしみたりして。しかし、いきなり死を彷彿としたりするのも、夏の、解放的な空気にぴったりはりついている危険な側面ではあるわけで。・・・・そんなこんな、ラチもないこと考えながら、街をあるいていると、長いながあい分子的連鎖の歴史の先端から、次々に生まれ落ちては、成長し、見知らぬ他人となって、僕のそばを行過ぎるひとたちのすがたが、どこかでつながっている、身近な他人にみえたり、どこにもつながりようのない、表情やしぐさだけなつかしい、クローン人間のように思われ出したり、不思議な幻想的気分につつまれだしたのも、いとよろし。

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2000年7月9日 日曜日

 「天秤宮」13号ができあがったというので、宮内洋子さんのところへ昨日受け取りにいってきたのだが、いつもは話題にしない「S」とかいう詩の月刊雑誌を、「読んでないでしょ?」とすすめるので、鹿児島出身の谷口哲郎さんがかかわった新刊詩誌「オドラデク」(これは、おもしろかった。)といっしょに、どうも、といって、借りてきた。詩のホームページを特集しているというので、中身を見なくてもだいたいの見当はついていたが、<案の定>?だった。まあ、宮内さんの暗に言いたかったことは、こんなにたくさん紹介されているのに、あんたのページ、のってないねえ、・・・だろうか。宮内さんに宣伝して、最近彼女もみたみたといってくれていたので、すこし恥ずかしかった(^^;。それにしても、特集「電子ネットワーク上の詩人たち」に、「天秤宮」のUさんが登場しているのも、おもしろい。彼と、詩のネットワークねえ。フーテンの寅さんじゃないけど、「なーんか、・・なんだよねえ、いつも・・」(^^;。ま、どーでもいいわけ、だけど、ね。もうずいぶん前、20年くらいになるだろうか、はじめてこの雑誌に作品をのせてもらったことがある。そのときは、以前に詩を発表していた詩誌の主宰者から、こんど「S」という雑誌が同人誌の詩を特集するというので、「きみの詩を送ったから」との電話をもらった。「みんなのものがきていなくて、手元にたまたまきみの作品があったのでね」と念をおされて。ほんとにたまたまほかの作品がなかったからね、と2度3度念をおされて。「同人誌の紹介をしてくれるそうだから」と。僕のどの作品ですか、とたずねると、ん、まあ、と言葉をにごして、おしえてくれない。どんなにむこうが僕などより詩がおわかりになっているといっても、公表される自分の詩がどれであるか、自分の気にいっていないもの、失敗作で、取り消そうと思っているものかもしれないわけで、なんでおしえてくれないのか、わけがわからなかった。結果的に、自分が予想していたものとは違っていた。のせてもらったうれしさと、不満とで、複雑な気持ちだったが、その後も、こういう種類の不満、窮屈さは、おりにふれてつもっていった。第一詩集出版のおりの、決定的に嫌気のさす事態を機に、この詩誌には投稿しなくなったが、その後のこの「S」という雑誌の成り行き、後書きなどをよむにつけ、どうもこの主宰者とこの雑誌が気質的に重ねあわさるように感じられて(そういえば借りてきた本では、編集参与に名をつらねていたな)、いい感じをした覚えがない。ここで、いろいろ、ばっと、悪口しゃべりたくなってくるが、このチンピラが、とかなんとか、いちゃもんつけられても疲れるので、がまんがまん、である(^^;。清水哲夫さんがこの雑誌の対談のなかで、ひとりごちるように、皮肉をこめていっている言葉を借りるなら、ほんと、金にまかせて、ショウモナイ詩集何冊も何冊も出版しただけの代表詩人?なんて、「なくなったから困るって人が誰もいないっていう(笑)状況が生まれるであろうというような気がするし」いー(^^;。・・・・・・(ん、といま思い出したんだけど、イプセノンのララさんのところで、確かこの「S」という雑誌のために、サイト紹介をたのまれて書いた旨の記事を読んだ気がするけど、錯覚だったか。) 

(註・上の「錯覚だったか」、は、錯覚でした(^^;僕の読み違いでした。ご自分のサイトの紹介をたのまれたとのこと。雑誌では、別のひとがサイト紹介に骨折っていたみたいなので、ちょっと、ん、と思っただけのことですけどね。ララさん、掲示板でのご教示ありがとうございました。(12日記す))

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2000年7月12日 水曜日

 寅さん映画21作目「寅次郎わが道をゆく」に、温泉宿のりっぱな木製の掛け軸に、寅次郎センセイのきったない字で墨書された「反省」という文字にみいる、宿の主人たちという場面がでてくる。宿賃を無心されてあわてて東京からかけつけた妹のさくらが、「寅次郎センセイに書いていただいて」という言葉に、顔を赤らめて急いでそれを裏返しにするのだが、一瞬アップで映ったそのへたくそといえばへたくそ、独特の味わいがあると、誰かが言い出せば、それらしくも見えてくる、あやうい視線にゆれる文字が、しばし残像する。そもそもそれが「りっぱな文字」にみえてくる所以が、寅さんの演じるはめになった寅次郎センセイの、「権威あるものの言い方、ふるまい」にあったこと、つまりは、社会的な「おひとがら」からある種のひとたちを強要してくる幻想に過ぎないことを、笑いのめすような設定だといっていいが、僕には、それがそのまま、旧態依然たる、ある種の詩人幻想にしがみつこうとして、詩よりまず詩人、作品よりまず生き方、・・・つまりは「人間的真実」の裏打ちとでもいった、わけのわからないもののほうへ、陰陰としたしぐさで、やっきになって、詩的価値をおしつけようとしてくる、どこか偏狭で、窮屈な、詩的権威の影が連想されてもきて、これはげらげらではなく、ニヤニヤしてしまった、ことでした。詩は、作品がすべて。作品がつまらないなら、それをどれだけ<札束のように>積み上げても、交換価値はゼロ。詩人は無。それでおしまい。僕などは、そう思う。

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2000年7月17日 月曜日

 詩誌「部分」12号(金沢市、三井喬子さん発行)を松尾真由美さんからいただいた。これは、三井喬子さんの個人誌になるのだろうか。寄稿と記されたページに松尾さんの詩「雨期に溺れるかすかな胚芽」という作品、つづいて三井さんの3篇の詩「K&T」、「クール・ダウン」と「金鳳花」がのっている。それですべての、活字の色もポイントも瀟洒な10ページ足らずの詩誌だが、言葉の充実度は手応えがあって、また手応えがなければすぐに白けてしまうような、言葉によって生起し、言葉によって触れることしかできない領域、対象を、虚体のような<わたし>がわたっていくという、そんな作品になっている。松尾さんの、延々とくりだされる未生の詩の<胚芽>をめぐりめぐっての、言葉のとっかえひっかえの格闘ぶりは、見事であり、おわりまで、しずかな緊張が持続している。「分かちがたい投企と脱出の」、まさに「この豊穣な水の世界で/私たちは晴れやかに膨張し収縮する」(作品より)のだ。詩語としての漢字の選択も、まえにいただいた詩誌「ぷあぞん」よりも、いっそう洗練されているように感じた。三井さんの、Kという文字、Tという文字、そのかかわりとひびきあいによってうまれでようとする世界に必死で?「遊ぶ」ひとときの詩も、その虚体となって漂う<わたし>の言葉の動きに、ものがなしい詩情が涌き出てくるが、ただ、あまりに短刀直入に挿しいれられた「愛」という言葉には、どうしても、白けてしまうのが、ツライところではありました。それでも、僕たちが目にすることのできる、現在の多くの詩作品にありがちな、短刀直入にいえば、なーんだとなるような、非日常も含めた日常的な自己の世界を、もってまわった、まわりくどい言い回しで(つまり、そこに習い覚えた詩語の大動員をかけるようなしぐさで)、結局のところ、予定調和的にそれを肯定し、固定してしまうような作品などとくらべると、ほんと、言葉による解放感というのが、どういうことか、<きっと>、わかる気がすると思うよ。はい。松尾さんありがとうございました。

「部分」=発行所・三井喬子(金沢市鈴見台4−15−20)

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2000年7月22日 土曜日

 4年ぶりに発刊されたという、詩誌「火の鳥」22号をこれは笠井嗣夫さんからいただいた。2年前に肺癌で逝ったという、60年代末の伝説のビート詩人・支路遺耕治についての追悼特集を組んでいて、あの時代の、ビート詩人の系譜や、色々な詩的交友関係図など、興味深く、はじめてしることが多くて、おもしろかった。「僕と詩は/現在/密着したものであり・・・云々」という序にかえての詩がはじめにのっているが、その詩作品についてほとんどしらないといっていい僕などでも、ここに収録された9本の追悼文や、作品抄によって、「密着」という言葉のなまなましさ、、その痛々しさが、確かに伝わってくるような、内容になっていると感じられた。支路遺耕治という名前は、「他人の街」という詩誌名や、いくつかの詩論などでの引用によって知るばかりだが、その印象は、やはりあの政治の時代、革命幻想の吹き荒れた時代の闇に輝く、もうよみがえりようのない、現代詩史上のひとつの異星、といったところか。まだ土の匂いが文化の深部にかろうじて匂い立っていた時代、地方と大都市の落差が、旅への思い入れを、地平線、水平線のかなたへのはるかな幻想を、詩情たっぷりに掻き立てていた時代。60年代末のそんな時代雰囲気に支えられて、吹きあがる、不穏な、地霊の呼気のようにも、怒りに満ち、死臭に充ちた言葉を吹雪かせて、疾走し、立ち去った詩人であり、だからこそ、その言葉はもう、すべてがコンクリート、アスファルトで塗り固められ、電子のつくるみえない多層空間の増殖によって、匂いたつ土の多孔質の鏡がきらきらとしたひかりだけをのこして掻き消えてしまった現在、どうにも立ち上がりようのない性質をもったものなのだ、という、そんな・・・。その思いは、ここに収録され引用されたはじめてみる作品に接しても、僕には、変わらなかった。書かれた追悼文も色々のニュアンスにあふれてはいるが、そして、中上健次との比較や、「ジャンク詩」について言及した、安宅夏夫氏の「覚え書き」など読ませる部分があるが、大方は追想のおもむきに浸るなかで、笠井さんの「残像・支路遺耕治」が、その詩法のゆくえではなく、詩行ののこした<先鋭な大衆性>という遺産について語っていて、興味をひいた。「「戦後詩」以後を担う代表的な詩誌として活動していたのが『凶区』や『他人の街』であった」として、笠井さんは次のように書かれている。

「いかにB級映画や歌謡曲に入れ揚げてみせようが、『凶区』の作品の多くは学生や知識人に向けて書かれたものであった。それと対極的に、支路遺たちの作品は、だれが読んでもそのまま身体的に感受しうる親しみやすい質のものだ。『凶区』の詩人たちもジャズについてよく書いていた。けれども、ジャズ喫茶の暗がりのなかで読むには、『他人の街』の方がずっとしっくり似合った。ジャズについてたくさんの言辞をついやして上手に語ることと、ジャズそのものを生きることとはまったくちがう。事実、いくぶんの例外はあるにせよ、『凶区』の詩人たちの作品よりは支路遺の作品の方が、モダンジャズのもつ体臭や雰囲気を強烈なまでに発散していた。/だれでも気楽に読むことができ、詩を書きはじめたばかりの同年代のものたちがたやすく模倣可能と感じられる親しみやすい作品。それが支路遺たちの詩であるとするなら、言語的にはまったく矛盾する表現ではあるが、その特質のひとつとして、<先鋭な大衆性>ということばを用いることは許されよう。」(笠井嗣夫「残像・支路遺耕治」)

 と。僕などの頭のなかにある、難解そうな支路遺耕治の作品と、「親しみやすさ」、「気楽に読める」、「たやすく模倣可能な」詩という、笠井さんの認識は、ほんとは「ジャズ喫茶の暗がり」という、土臭い、これまた消え果てたあの時代独特の空間媒介なくしては、今日の読者に、おそらく単純に理解できるものでもないのでは、とか思いながらも、その言おうとされていることの意味はよく伝わってくる。なんかゲリラの掘った無数の小さな穴ぼこのような、暗い喫茶店文化から涌き出てきた、<大衆性>。形は異っても、なにか、そのような・・・。それこそが、なんといっても、「70年以後の現代詩が失ってしまったもの」なのだ、と。

「おそらく、ジャパンを破棄するごときジャンクの「享楽」が今求められている。そして、それは小説ではなく現代詩において、もしかしたら可能であるかもしれない。J文学という呼称は可能であり現実に存在するが、J詩(あるいは、Jポエム? Jポエトリー?)は、どうも不可能のように見えるというのが、その第一の理由である。(略)・・・つまり、ジャンクとジャパンという「二つのJ」をリンクさせることなく、言語を享楽するのである。もとより、それは不可能な試みだ。しかし、現代詩に可能なことは、この不可能のなかにしかないのである。」(「ジャパン/ジャンク/ジューイッサンス」)

 最近読んだ、詩誌「オドラデク」(谷口哲郎編集)創刊号の巻頭をかざる特別寄稿文のなかで、糸圭秀実氏は、こう書きつけて、「それが一瞬たりとも実現されたかに見えたのが、世界を席巻した「一九六八年の革命」(ウォーラーステイン)のさなかにおいてであったことを、改めて指摘する必要があろうか。そしていうまでもなく、その「革命」は今なお潜在的に持続しているはずである」とのべているのが、どこか笠井さんの文章と呼応するかにみえたのも、僕には、おもしろかった。貴重な本、笠井さん、ありがとうございました。

 「火の鳥」=発行所・火の鳥社(発行人・太田充広、編集・飛鳥魯万 )
         (事務局・兵庫県三田市学園3−2−H−302 飛鳥方)
          頒価=1000円

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