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雑感21

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(ふるえるものはすべて秋のなかにある) (青木栄瞳さんのファクスと笠井嗣夫さんから「暗射」秋号を) (政治ガタガタ、いいんでないの) (得意げな子供をかばうようにして)






2000年11月7日 火曜日

 秋。「ふるえるものはすべて秋のなかにある」と、詩人・田村隆一は「腐敗性物質」という作品のなかでうたっている。かぶせるように、「われら/ふるえるものはすべて高所恐怖症/一篇の詩を読むだけで/はげしい目まいに襲われるものはいないか/一篇の詩を書こうとするだけで/眼下に沈む世界におびえるものはいないか/どんな神経質な天使にだって/この加速度は気持ちがいいにきまっている/天使の快楽はわれらの悲惨/精神は病めるもの/この暗い感覚の王国には/熱性の秘密がある」とつづいていくのだが、こうした振幅激しい<熱性の秘密>に彩られた秋の、詩的感性の浸透していく一般的、時代的な場の消滅を感じはじめてから久しい、という気がする。ひとの、<腐敗性>の特質が嫌忌されているからだ。懸命に、嫌忌を装うことで増殖する、文明だからだ。詩の衰退、というより、詩の嫌忌、そしてその根は深い、という気がする。思潮社による「田村隆一全詩集」の発刊によって、この期に、そうした複雑な文明の根っこを触感しようと奮闘しつづけた詩人の想起が話題になったことが、僕にはなにより、うれしい気がした。まあ、話題にといっても、そこは、あれなんだろうけど・・・。全詩集は高価で手がでなかったけど、「現代詩読本 田村隆一」(思潮社)や今月号の「現代詩手帖」特集「田村隆一をいかに超えるか」を手にして、そこに納められた討議やエッセイの多種多様な視点に、たとえば守中高明氏の「われわれとは誰か」はじめ、共感同意する文章、意見がたくさんあって、僕はといえば、自分の頭の悪さも忘れて(^^;、深夜の部屋でうなずいたりしているわけであります。あまり<ふるえる>こともなくとはいえ? 秋の夜長を、浸っているわけであります。

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2000年11月14日 火曜日

 4,5日まえに、久しぶりに青木栄瞳さんから長々としたファクスが届いたと思ったら、次の日には笠井嗣夫さんから「暗射」秋の号が後追うように?送られてきて、偶然とはいえ、またまた(何度目でしょうか(^^;)お二人併記ということになりました。といっても、今回は、都合により、とりいそぎ、ということで、紹介させてもらいますが、青木さんからのファクスにある、来年の「もみの木画廊」での詩の朗読会のことを最初にちょっと。来年の5月のことなので(5月なんて、もうすぐよと、スケールのおおきい青木さんにしかられそうですが(^^;)、まだどう変わるか未定な部分もあり、正式な紹介はひかえますが、5月3日、3部構成で、山本陽子特集。@部、公演、スピーチ。=新井豊美、坂井信夫、支倉隆子、清水鱗造。 A部、山本陽子を語る。司会進行・清水鱗造。上記の詩人のほか、駒田克衛、添田肇、中本道代、岡島弘子、石川為丸、などなど。B部、アメリカ現代詩紹介―原成吉、ポエトリー・リーディングなど。ということです。また、ファクスには、「SPITTOON」という「超都会的なミニ雑誌刊行記念のパーティのためにつくった詩」だとして、「滑空する動物たち」という、言葉の切り貼り細工の妙が、どこかチラシ広告を彷彿とさせるような作品が添えられていて、おもしろかった。清水鱗造さんのHPで掲載されることになっているとか。

 「暗射」笠井さんの映画論「暗闇のフラッシュバック」は、塩田明彦という監督の「月光の囁き」「どこまでもいこう」という作品をとりあげながらの、「塩田明彦あるいは断絶と運動と」となっている。僕には監督も作品も未知なので、どうにももどかしいが、たとえば「月光の囁き」という作品における、ひとりの「フェティシズムにとりつかれたマゾヒスト」の男子高校生と、彼をはじめは<まっとうに>好きになったひとりの女子高校生の、<まっとう>という意味がぐちゃぐちゃになるまでの、<関係の変容>を通じて、「生のなかでそれまでの認識を超える断絶に突き当たった主人公がそれによってどのような動きを見せるかということ」が、この監督の作品モチーフとしてあると、笠井さんは書かれている。いわばA=Aの住み慣れた世界を否定してしまうような、抗しがたい必然性、不可避性にぶつかったとき、どう対応するかの心的な劇への興味だろうか。おもしろそうではあります。笠井さんの紹介する日本映画は、僕のいきつけのビデオ店では、なかなか目にすることができないので、イライラしてしまいますが(^^;。でも、やはりまた次の論が楽しみです。前回につづいて清水三喜雄「沖縄で考えたA」は、「「異化」考―ビデオ『石の声』」と題して、沖縄の「高校の芸術科教諭(金城満)が、一九九六年に二三六〇九五個の石(この時点での沖縄戦戦没者数)に連番書いて、積み上げようヨと呼びかけて、六月十五、一六日に、この単純作業をやってみたという記録」のことに触れている。まさに骨のような「琉球石灰質の石」の膨大な集積は、圧巻だろうなあと思いつつも、実のところ、僕はこういう誰も反対できないようなメッセージに裏打ちされたゲージュツ行為が、どこか好きになれないところがあって、ニガテなのであります。鹿児島でも、水害によって壊れかけた薩摩藩時代の石橋を、拓本によって残そうという、街の芸術家たちの運動のことが報道されたりしたことがあるが、テーマはちがっても、やはり同じような、運動の前提において、なんか行為の底が浅くなってしまっているような、白々したものが、どうしても僕などには感じられて、感動とは程遠くなってしまうわけであります。やむにやまれぬ、ひとりの人の行為としてあらわれたら、また別なんだろうけど、ね。ま、ひねくれものの僕などがどう思おうと、いいわけですけど(^^;。「暗射」はこのほか、例によって、佐々木美帆さんの詩作品「糸は凍る水の針」、神長恒一さんのだめ連活動日記?などが紙面を飾っている。

 ―と、なんか、結局長々と書いてしまいましたが、青木さん、笠井さん、ありがとうございました。

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2000年11月22日 水曜日

 政治の世界のガタガタぶりがおもしろい。アメリカの選挙集計騒動、日本の森首相不信任案をめぐる、加藤クーデター、決起茶番劇。失望したとか、色々言われているようだけど、僕はむしろこうした茶番がもっともっとふえて、政治の世界の人間ヒーロー神話がどんどん崩れていくのは、いいことなのではないかと、喜んでいる。国民の支持率が下がったといわれながらの森首相が、私はやるべきことをやるだけですよ、自分のことなんか考えていない、滅私奉公です、とテレビの画面でしゃべったりしていたが、内部から彼の不信任をつきつけた加藤氏が、まさにその古色蒼然とした<りっぱな>言葉を裏切るように? 結局自分の役割への配慮しか頭になかったことを、みんなにさらしてみせたことが、妙に鋭い皮肉の表明にも思えてきて(^^;、おもしろかった。だいたい、不信任賛成なら党を除名といわれて、除名覚悟で決起したところで、一夜のお芝居としてはおもしろいだろうが、つまり、テレビの視聴者はよろこぶだろうが、そのあとは? なーんも、あたらしいことなんて、みえてはこないわけで・・・。あいかわらずの、<りっぱな>市民による、政治失望論議がにぎやかだが、政治幻想、政治家幻想が崩れていく感じの今の傾向は、僕にとっては、なんだか、いいんでないの、という思いの方が強い。むかーし、確か吉本隆明が、政治の世界なんて、別に俺はやりたくないけど順番で役割だからしかたなくやるんだ、みたいなところに落ち着いていくのが一番いいと、どこかに書いていたのを読んだことがあるが、大賛成である。世のため、国民のため、と軽々しく?いう政治家の言葉の内実を、もっともっと考えた方がいいように思う。しかし、それにしても、決起?失敗を嘆く加藤派同志たち?の涙ぐむ姿の、なんと時代がかった、古色蒼然とした印象だろうか。ベールのむこうの、下手な学芸会でもみているようで、白けてしまう。

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2000年11月27日 月曜日

 親の子供虐待が問題になっている反面、子供を本気でしかれない母親、父親がふえているということもよく耳にする。身近でも街中でも、そういえばほとんど、どなりちらすように自分の子供をしかりつけている光景は、みかけなくなった。上品な諭しかたや、マニュアル的なしかりかたはあふれているにしても。そのよしあしをどうこういう柄でもないが、最近あるひとから聞いた話は、興味深かった。ある日のお昼どき、家の前の狭い道路でボール遊びに興じていた向いの家の4,5才の子供が、近くの酒屋にいつも荷物を運んでくる車の再三の警笛も無視したあげく、危うく轢かれそうになった。泣き叫ぶ子供の声を聞きつけて家から飛び出してきた母親は、「こんな車の通る狭い道路で遊ばせといちゃ、あぶないでしょうが。近くに公園も、もっとひろい場所もあるのに」と注意する運転手に、子供をしかりつけて、恐縮したり、あやまったりするかわりに、次のように言い放ったそうだ。「12時以降は遊ばせませんから、配達はそれ以降にきてください!」・・・・説得的なその語調にかえす言葉もなく、(おそらくあきれて)運転手はぶつぶついいながらもひきさがり、「あまりおこらないでね、いこ、いこ、お母さん」と得意げな子供をかばうようにして、母親は家にもどっていったそうだ。PTAやら、なにやら、いろいろ社会的活動に精出して、奥さん連中の出入りも多い家で、聡明そうな、あかるい、ふだんはひとのいい奥さんなのだそうだが、聞いていて僕には、なんだか、さもありなんという気がした。そして、<関係>の在り様として、これはすこしも特殊なケースのようには思えなかった。子供との関係もだが、自分の弱さを弱さとしてさらしづらい、現代のある種の心的傾向が、重なって、みえてもきたりして・・・。

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