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雑感30

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(謹賀新年) (イラク情勢という苦いこっけいさ) (いいひと? それとも・・・) (電磁波障害と交流磁気効果) (天秤宮19号の削除記事)






2003年1月1日 水曜日

 あけましておめでとうございます


 今年もよろしくお願いします.。
 奄美の民謡に、「東照るお月西に照り回て、世界照り回て、元の東」というのがありますが、やはり、12月の次が13月、その次が14月と無限にのっぺりと進行していくのを想像してみると、それはどうも人間にとっては不自然なような気がして、循環ということ、あらたな出直しの幻想を創出することのたいせつさを、特に今年などは個人的にも痛切に感じております(^^;。思いにまかせない昨年でしたが、今年はなんとか調子を取り戻したいと思ったりしていますので、懲りずに、ご愛顧お願い申し上げます(^^;。以前として不穏な世の中ですが、ほんとにどうなっていくのだろうという印象ばかりが募ってくるのをふりはらいつつ、皆様の幸せをお祈りいたします。

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2003年3月12日 水曜日

 イラクの大量破壊兵器武装解除を求めての軍事攻撃という、この<緊迫した冷酷な茶番劇>については、なにか物言うのがとてもむなしくなってしまい、僕などはとにかく戦争にならない状況の生まれるのを願うばかりだが、それというのも、ブッシュ・アメリカとその腰巾着たちのイラク攻撃の必要性の論議というのは、なにも人類の平和と安全とかではなく、あくまで自分たちの敵か味方か、という差別を前提にしての、味方へのイラクの脅威論ということであり、そのためには敵の犠牲がどれだけ出ようが、それは自分たちの平和と安全のためには、しかたのないこと、とかの発想になっている気がするからだ。いってみれば、すでにして戦時体制下の発想であり、イラクを敵として認める気のないものの、戦争反対など、発想のシールドのむこうにあるかのようなのだ。まずは、問題は、敵と味方である。しかしながら、その<敵のすがた>をつくりあげてきたのは、いったい誰なのか、というところから、今日的な政治のナンギさもでてきて、前にも書いたウロボロス的苦いこっけいさが、露呈してくるように思われるのだ。イラク解放?のあかつきには、日本式の戦後体制をつくるビジョンがあるとかうわさされているが、今の日本国家の腰巾着ぶりをみるにつけ、ブッシュ・アメリカの意図もみえみえ?といいたくなってくる(^^;。2、3日前の某テレビのニュース番組は、湾岸戦争時のアメリカ軍の劣化ウラン弾によるとみられる放射能被害の凄惨さについて、報じていた。イラクやアフガンだけに限らない、アメリカの大量破壊兵器によって自分たちの平和と安全をこっぱみじんにされた人々の数は、いったいどれだけになるのだろうか。おまえがまず武装解除をしろよ、と煮えたぎる思いで空を仰いでいる人の数は、いったい、どれだけになるのだろうか。なぜいまイラクだけを、というブッシュ・アメリカの矛盾を炙り出すように、ダダをこねまくっている?北朝鮮の悪太郎ぶりが、それなりの政治的成果のようにみえてくるのも、また苦い苦いこっけいさだ。

(註・ 僕などはまったくの政治音痴で、うまくいえないのだが、僕以上に音痴のひとが上の文章読むと、テロとの闘いなのに敵味方はあたりまえだろうが、なにをピントはずれなこと書いているのかとなりそうなので、一言つけくわえると、つまり、アメリカ本土を襲ったテロ組織アルカイーダを追ってアフガニスタンという国に侵攻して、<アフガニスタン国民>に甚大な被害もたらした、あの明らかな不法行為以上に、イラクとテロとの関わりを理由に、<イラク国民>にさらなる犠牲を強いることになるこんどのイラク<先制攻撃>の、どこに正当性があるかといえば、相手を(つまりイラク国家を)<敵>とみなす、ということ以外にない(^^;のではないだろうか、ということだ。それが、湾岸戦争の紛争介入のスタンスとまた大きく違っている点だと、僕は思う。同じ悪の枢軸よばわりされている北朝鮮(武装解除の必要というなら、さしせまった<そこにある危機>としてのこの国こそ、不気味すぎるくらい不気味なのだが…)は、それからすると、同盟関係としては色々動き出したにしても、もっかの<敵>ではない、ということだろう。それはナ―ンでか、ということなんだけどねえ(^^;。―15日 付記)
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2003年5月25日 日曜日

 昨日ある集まりで詩誌「天秤宮」編集のMさんにお会いしたのだが、現在印刷中の19号のゲラ刷りみせてもらい、なんか、ああやっぱり、と、力がぬける思いがした。だいたい校正刷りの訂正などを前の号から僕に言ってこなくなったあたりから、あやしい(^^;、とおもっていたのだが、前回だまって半分くらい削られたここの雑感コーナーの記事を主体にした「インターネットな夜に触れながら」の原稿、Mさんの気にくわなかったのはこのあたりなのではと、もう一度今回の分に加えて提出したところ、沖縄の盗作問題について書いた記事は、「削除した・・・」なんとかかんとかぶつぶつおっしゃるので(^^;、ええーっと、なんで?と、すこしおおげさに驚いてみせて問うと、いいにくそうに「彼女、友達なのよ・・・」なんとかかんとか、そわそわして、そわそわしながらもぬけぬけと(^^;、おっしゃるのに、なんか僕の方が悪いことしているのかなあとか、一瞬後ろめたくなってしまった。友達だからって、別に彼女が書いた文章でもないのに、ということは、友達を悪く言う文章はたとえ他人の文章でも、自分の詩誌にはのせられない、ということだろう。それはそれで、ひとつの立場ではあるでしょうが(^^;、なにも単に根拠のない個人攻撃、中傷をしているわけではなく、公の場にあらわれたひとりの詩人の書く行為について僕はこう思うと(なにいってやがるんだと(^^;)、いっているだけなのに、友達だからってねえ(^^;、こうあからさまに拒否されてみると、なんか、かえって問題は陰湿になっていくような気がするんだけどなあ。これじゃ、沖縄の石川(為丸)さんが批判されている詩の世間人の先頭を走ってしまうことにはならないでしょうか(^^;。Mさんは<いいひと>?それとも、やっぱりおかしい?僕はおかしいとおもうけどなあ。そしてそれは、詩に向かう態度とも密接に絡まってくるのだと、思うんだけどなあ。・・・どーよ、お客さん(^^;。

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2003年6月20日 金曜日

 詩誌・詩集の紹介コーナーで、阿賀猥さんのこんどの電磁波障害を背景にした新詩集を紹介した翌日だったかに、電磁波兵器とかいった荒唐無稽なことばが飛び交うあの白装束ニュースに見舞われてしまい(^^;、なにものかの悪意さえ感じてしまったことでした(^^;。なんじゃこりゃ、と。「僕たちを取り囲む大気の邪悪な魔力にむけての、阿賀詩渾身の、<シ>小説とも読めて、興味深く拝読させてもらいました」とか書いた手前、なんか同類にみられてしまううう、と(^^;。この絶妙のタイミングは、予知兵器攻撃でもうけたのではないかと(^^;。まあ、あのパラノイアックな自然や事物の白包みの風景、遠目からみたらなかなかの面白い光景ではありましたがねえ。でも近づくと、なになに、地球を亡ぼすノビル星の衝突の日は一週間ノビル、とか、マジな顔してギャグとばしている研究所員?さんのテレビコメントなどを聞くはめになり、あのオウムの地震兵器より、ふざけているううう、と思いましたねえ(^^;。・・・ま、電磁波兵器は勝手にやってくれたらいいとしても、では肝心の阿賀さんのいう電磁波障害そのものについては、どうなのかというと、僕などはこれもにわかには信じられないのですねえ(^^;。こんどの阿賀さんの詩集は電磁波ということばは直接にはでてこなくて、それが暗示的な使われ方をしているのでそれほど抵抗感なく詩的に読めてしまうわけではありますが、でも彼女が近年実際に取り組んでいるらしい電磁波障害そのものについては、有害な狭義の電磁波と電磁波一般?をいっしょにしない限り、まだこれといった確定的な見解が示されているわけではないと思うし、阿賀さんは苦しい体験から、こうとしか思えないという細路を見出していったわけでしょうが、問題はこの体験論的な<こうとしか思えない>という判断の在り様にこそ、罠がひそんでいるようにも思えるのです。同じ電磁波で、僕などは障害とは反対の交流磁気治療器(磁気ネックレスとかいった、いわゆる定常磁場を利用した健康器具とは磁場の種類のちがう、馬鹿重い大層なものですがーそしてちなみに電磁波の強さとしては、阿賀さんの詩集の「大気」が暗示している高圧電線下の電磁波と、同じ程度のものらしいですが・・・)なる器具で、幻覚、幻聴に何年も悩まされてきた老母の( この雑感コーナーなどにも書いたことのある母の症状ですが、この治療器については雑感では注意深く触れないできました(^^;)、それのおかげとしか思えない治療効果上の変化を体験しているのですが、いまだに半信半疑、いや僕の世話がよかったからだとか(^^;、別の要因も色々と考えられてきて、この器具を使い出してからの急激な変化に驚きながらも、まだその力に説得させられるところまではいたっていません(^^;)。まあ、不思議といったら不思議で、薬漬けの副作用などでふらふらよたよたと生ける屍みたいになっていた母が、この器具を使い出してから日をおかずまたたくまに正気をとりもどし、悩まされていた幻聴や幻覚もうすれていって、気にならない程度になり、薬を断った体はもとのふつうに意思疎通できるからだに蘇生していったという経緯があるわけで、こう書きながらも、説得させられそうな誘惑に打ち勝つのは容易なことではないのですが(^^;。でもみていると、この大層な器具をつかっているという安心感のようなものが、精神におよぼす影響大のようにも思えて、まだおぼつかないところも多く、疑わしいところ多々で・・・・(^^;。つまるところ、知や情報のあふれ、すこしからだを揺すると容易に反転する知や情報が並立し、知っているようで知らないことだらけのこの世の中では、あえて、うかつには信じないという身構えを鍛えつつ(^^;、知や情報との距離の取り方を考えることこそ、僕などにはいちばんまっとうであり、大事なことのようにも、思えるのですがねえ・・・。

(註・上のノビル星というのは、ニビル星とのこと(^^;、おしえていただきました。僕の聞き間違いか。失礼しました。でもテレビを見た時の印象からすると、特に文章訂正することもないと思われますので、そのままにしておきます―30日付記)

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2003年7月21日 月曜日

 天秤宮19号が刷りあがって昨日5冊送られてきましたが、件の削除記事、削られていたのは、上で(5月25日付)述べた箇所だけではありませんでした。中本道代さんからいただいた詩誌「ユルトラバルズ」7号に関して盗作問題に触れた記事も。ということは、つまりは悪口の度合ではなく?、盗作問題に触れること自体、検閲により禁止、ということになるのでしょうか、ね(^^;。どこかにのせたご自分の詩やご自分への評価の記事は、一方的にファクスしたりしてくるのに、ひとこと、この記事はのせたくないのだけれど、くらいのことわりもなく、なんかこそこそと削るというのは、どう考えても納得いかないですねえ。笑ってしまったのは、ゲラ刷りで見せてもらった時は、僕の詩など他の作品に紛れるようにしてあったのに、できあがったのをみると、なんと巻頭に配置替えになっていたことだ。よろこんで、感謝して、盗作問題など忘れてもらえると思ったのか(^^;。そ―はいくかい(^^;。こういう感覚というのは、程度の差こそあれ、ちょっと金にぎらせたら大丈夫、といったまさに世間人的発想なんじゃないのか(^^;。あるいは、別の効果を狙ったのだったりして(^^;。それにしても、もっとひどい悪態の記事(^^;、まえにも天秤宮にはのせてもらったと思うんだけど、なんで沖縄の盗作問題だけ、こうも拒否的になるのだろうか、ね。相手のことを思っているようで、ほんとは相手のことを思っている自己イメージのことこそ、大事なのじゃないのだろうか。これ以上言うと、個人攻撃になってしまうので、やめますが(^^;。、それから、これは盗作問題とは関係なく、前回と2度削られることになった中本道代さんからの詩誌「ユルトラバルズ」8号記事など、残念です。「天秤宮」にはおせわになり感謝していることは、かわりはないですが、ま、そういうことで、一応おしらせしておきます、です。とるにたらない、小さな権力の芽などに対しても、僕のようなものがそのつど自由にモノ言える場をつくれるというのが、なんといっても、インターネットの最大の存在意義なのだと思うので・・・(いいわけは、いいわけ?(^^;)。

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