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 (Jo5・26号について) (正視に耐えない映像は・・・) (地元の新聞の「論点」5日付に・・・) (天秤宮・ 宮内さん、おこるかな・・・) (かすみくって、いきれるなら・・・) (毒蛇ハブのこと) (異郷という言葉が・・・)





1999年7月6日 火曜日

 阿賀さんから、JO5(26号)が送られてきた。こんどの号は、内容充実、討論形式の書評(野沢啓氏を囲んでの、氏の「移動論」(思潮社)について)はじめ、すっかり、読みふけってしまった。ふつうの詩誌などは、サラサラめくって、ポイが多いが、やはり、この詩誌、リキのいれかたが違うのだろう。女の人たちの、ずばりと的を射た発言が、なかなかの快感なのだ。的を射すぎるという難点もあったりなんか、して?その、ヒヤヒヤ感が、僕などの、貧相な思考の可能性を刺激してくれたり、するのだ。阿賀さんの存在は、こころづよいかぎり。それにしても、この1年あまり、音沙汰なくしていたのに、こないだ、阿賀さんのことに触れたりすると、こうして、すぐに郵便物が届くというのは、なんども経験しながら、不思議な気持だ。詩作品では、「あたしたちは/互いが好きなわけではないけれど/足が動いているーGのままに」(不可解なG)という、川田エリさんの詩行がよかった。ただし、Gを、人のイニシャルではなく、重力と受け取って読めば、だが。それと、和久井孝美さんの「それで/わたしは人なんかに興味はないの/わたしはあのジュースがほしいの/米櫃の中でたくさん重なるマリーがそう答えた」」ではじまる、「ひとごろし」という詩篇。「河出書房から出たダメ連の「だめ!」はJO5詩人も登場して売れてますね」「その本、好きな人多いです。今回号では和久井孝美さんが、写真入りで大きく載ってますので見て下さい。」の、情報も。24号に載せてもらった僕の作品についても、参加作品合評の中で触れてくれている。「・・・・夾雑物をゴチャゴチャ入れ込んでいるの、24号に海坂昇(ウナサカノボル)詩篇が父上の死とその周辺のゴタゴタを書いて、私は読みにくいと思ったが、何人かが絶賛してきました。読みにくい中に何かが浮き出して行くのでしょうね。」と。今回送ってこられたのは、この部分を報せんがため。ページにわざわざ付箋がしてあって、触れさせてもらったことの添え書きが。ほらね。ほらね。「こころやさしく、繊細」と書いた通りでしょ。

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1999年7月7日 水曜日

 いままで見た映画の中で、正視に耐えない映像というのがあるとしたら、ひとつだけ。それは、どんなドキュメンタリー映画でもなくて、パゾリーニ監督の「ソドムの市」で、清潔な皿にホカホカにのせられたウンコを、フォークとナイフで、切り分けては食べ、切り分けては食べする場面だ。色といいツヤといいもうほんもののウンコとしか思えない出来栄えのものを、行儀のいい作法で、若い男女が口いっぱいになすりつけながら食べる(食べさせられる)シーンは、いまにもグウェ―とこみ上げてきそうで、映像のインパクトとして、強烈だった。でも、と、ひるがえって、考えてみると、たとえば詩の作法にしても、そうだが、僕たちは、グウェ―とも言わずに、なんか、ウンコのようなものを、けっこうなものでございましたといいながら、味わったりすることになれてしまっていて、はたからみると、おいおい、ほんとかよ、というような感性を、後生大事にしている、ということが、きっとあるのじゃないだろうか。映画の中のファシストの将校みたいなものが、いやらしい笑いをうかべて、「これを食え」と、やはり姿を変えて、うろうろ、うろうろ、していたり、するんじゃないだろうか。夏のあくびついでに、そんなこと思ってみるのも、少しは、異った水の流れる音が聞こえてきたりして、いいことだ。

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1999年7月8日 木曜日

 5日付の地元の新聞の「論点」というコラムに、「障害者は「かわいそう」なの?」と題した種村エイ子さんという大学の先生の文章がのっている。この手のネタに最近は枕詞のように使われる「五体不満足」という本のことから始まり、著者の「乙武くん」の「天性の明るさ」から、「障害を「不幸なこと」とする既成概念は、みごとに打ち破られ」る読書体験がつづられ、さらに、次のようなことが書かれていく。「たまたま同じ年齢の息子をもつ私は、乙武くんの家庭の子育てに感嘆した。四肢に障害がある赤ん坊に「まあかわいい」と声を上げたというお母さん。私は、息子たちを出産したおり「五体満足ですか?」と第一声を発した母親であったことを恥じ入った。」と。障害者が、とにかく、前向きに明るく生きていこう、というのはわかる。その母親が、とにかく、前向きに明るく生きていってほしい、と願うのもわかる。でも、ここでのように、「まあかわいい」という母親の言葉をこれだけ字義どうりに受け取って、まったくの赤の他人が、自分を恥じたりする態度というのは、僕にはほとんどわからない。わからないどころか、加えて次のように書く時、それは、もうほとんど倒錯的な思考の世界にはいりこんでいるんじゃないかと、ヒヤッとしてしまうほどだ。「おりしも、この鹿児島で受精卵着床前遺伝子診断が実施されようとしている。障害をもって生まれる可能性のある受精卵を取り除くための診断。その前提には、障害は「かわいそう」なことであり、できたら避けるべきだという主張がありはしないだろうか」と。かわいそうもなにも、ここではなにを障害遺伝子とみなすかが、論点のはずなのに、あんた、何言い出してるの、という感じだが、でも、よくよく読み進めてみると、こういう書き方は、対象に対する、書き手のあふれる善意が、論理をもてあましている、というふうにも取れば取れそうな感じもする。。なぜなら、最後に、ベトナムでの、あの枯葉剤による子供たちの障害について、「親の表情は悲痛に満ちていた。だが、乙武くんと同じように明るい子どもたちを目にしていると、生まれない方が良かった「いのち」だとは、とうてい思えない」と、極々ふつうの感想をのべておられるからだ。はじめっから、こういう風な語り口でやってくれれば、共感もするのだが、題のつけかたといい、何としてでも、暗さは敵といった雰囲気といい、やはり、現代の「明るさ病」に書き手自身が、侵されていると、僕などは思ってしまうのだ。障害者を見守る他人にとっては、この「明るさ病」は、都合のいいことかもしれないが、はたして、障害者一般ではなく、障害者一人一人にとって、ほんとに、いい傾向なのだろうか。

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1999年7月9日 金曜日

 詩誌「天秤宮」11号ができて、それではとりに伺います、といったまま、何日が過ぎただろう。たまりかねて、主宰者の宮内さんから、2冊送られてきた。宮内さんは、葬儀屋の女社長さん。車を飛ばしていけば、20分もかからない吹上町というところに住んでおられるのだが、どうも、足がむきにくい。なぜなんだろうね。2,3日前のファクスでは、ある詩人から、宮内さん、「歴史にのこる同人誌」だと、「おおげさな」こと書いた手紙をもらい、「そうかな」と思い、「まさか」と思い直したことが書かれてあった。「そうかな」から「まさか」の心理の過程がおもしろく、目に浮かぶようで、うふふふと、笑ってしまった。「天秤宮」は同人誌ではありません、とあれほどいってたのに、どこかの文化団体で同人誌として持ち上げられて、私たち同人一同、これからも精進を重ねる所存です、とかなんとか、宮内さん、ころころ、言うことかえるので、よく分からなくなってくることが、多いひとです。女手一つで、がんばっているひとでもあります。(ちなみに、7月1日に書いた詩誌の主宰者は、宮内さんとは関係アリマセン、ので、あしからず。)ともあれ、さあー、夏だどー。元気ださなくっちゃ。

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1999年7月11日 日曜日

 それにしても、いままで日記すらつけたことのない僕が、なんやかんやと、こうして書きつけているのは、自分でも驚きだが、反面、そろそろ飽きてきてもいる。ぼうーっとして、文字にする気もない、よしなし事を、思い浮かべている時のほうが、やはり、生きてる実感も、思考とも言えない思考の充実も、感じられて、いいと思ったりもする。むかし、新聞記者のまねごとやったことがあるが、毎日毎日、記事をとにかくまとめて、社会のある断面を文字にしていくという作業は、使命感とか、なんか強制的に頭からかぶせるものがないと、とても、社会というか、世の中というか、にとっては、ある面、よけいなおせわの、生きているものを、かえって線引きして硬直させてしまうような、つまりは、僕にとって、在ってもなくてもどうでもいいものに、思われたことがある。とにかく、考えだしたら、むつかしいよね。誰が頼んだのでもないことをみんな使命感のようにやっていて、世の中、習慣と使命感みたいなものが、ごっちゃごっちゃになっていて、突き詰めれば、商売商売、ああー、頭が変になりそう。(ん? すでに、なってるって?ゴメン。)誰かに、いつだったか、かすみでも食って生きていくつもり? とからかわれたことがあるが、かすみでもくっていきていけるのなら、人間にとって、こんないいことはないのじゃないだろうか。食料革命よ、きたれ、だ。

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1999年7月12日 月曜日

 いまは、ほとんどみなくなったが、一時期まではハブの夢を見て、目を覚ますということが、時々あった。亜熱帯のハブのメッカ、奄美大島に生まれ育ったので、日頃は意識していなくても、やはりそのおぞましい、こわさというのは、相当深く無意識にくいこんでいるのでは、と思ったことがある。自分では、噛まれたという経験もないし、山などでその姿をみかけるということも、数えるほどしか経験はないが、問題は、そのほとんど姿なき殺人鬼のような、存在感にある。山懐に抱かれるようにしてある田舎などでは、便所の梁に長々と寝そべっていたとか、鴨居にいたとか、台所で、土間に足をぶらんぶらんさせていたら、床下にいたハブにかぶりとやられたとか、家の中での身近な人間の体験として、よく聞かされてきたし、遊ぶところといって、少し刺激的になるには、山野に分け入るしかない当時の僕たちにとっては、どこへ行くにしても、絶えずその姿なき殺人鬼の影を意識しないことはなかったように、思う。ただ、習慣化された生活の中で、意識していることさえ、意識しなくなっていたということだったのだろう。都会のひとに、ハブがでるんでしょう?といわれば、別に、たいしたことはないですよ、よっぽどでないと、ハブに出会う機会なんて、めったにあるもんじゃないです、というだろうし、それはそのとおりなのだが、だからといって、それは、確実に毒の白い牙をもって、潜んでいて、姿を見せないだけに、島の(僕の)無意識に、深くからみついている、ということなのだろう。夢は、ふたつのパターンがあって、ひとつは、歩いていく砂の道にハブがうじゃうじゃいて、僕は必死に手を掻いて、空中に浮かびあがり、浮かび上がりきれずに、また必死で手を掻くが、もう足はハブの舌の息がかかり、足を引っ込めるが、こらえきれずに、目をさます、といったパターンが、風景をかえたりしながら、多かったように思う。もうひとつは、垣根に囲まれた細長い道、あるいは、水のちろちろ流れる鬱蒼とした谷底の道を、垣根や岩の間から、また、頭上を覆う木の枝から、ハブがいまにも飛びかかってきそうな気配だけが漂うなかを、例によって、真ん中の中空を泳ぎ渡っていくというもので、一匹のハブが、どこからか、シュッとくるかこないかのところで、目をさます、というパターン。おお、こわ。

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1999年7月14日 水曜日

 <異郷>という言葉に、しんみりと空間がふかまる、というような時代は、もうこないのだろうか。<イベント>という言葉がうるさい、20世紀最後の夏に、そう思う。

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