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●詩集「睡藍」、「牛ノ川湿地帯」、「夕空 ●詩誌「飛燕」2号、詩誌「まどえふ」4号
●青山誉支江詩集、詩誌「部分」27号「グッフォー」43号 ●第4回夜の会展、のおしらせ。
●「暗射」2005・春号 ●詩誌「部分」、「暗射」 「ぷあぞん」「まどえふ」 「地点」
詩誌「グッフォー」、「別冊庭園」、「オドラデク」、「暗射」、「部分」 ●詩誌「分裂機械」16号
●長い間のブランク、失礼しております。 ●前回のつづきです
●更に上からのつづきです ●とりあえずの一〇冊、その他です



2005年3月8日 火曜日

●松尾真由美詩集「睡藍」(思潮社)


詩集「睡藍」

「さざめき、漂流へと秘めやかに熱度はもつれる」
「ある破線、きわやかな羽と根の機微」
「初夏、その他の辺地」
「冬の櫂への果てない輝度」
「ささやかな地の溺者」
「せめて隘路のひそかな火」
「そうして微熱のかぐわしい混沌へ」
「放散のための蝕と蜜と」

以上8篇の作品が、前詩集のコンパクトな短篇を装っ
た?形式をかなぐりすてて(^^;、ながながとした言
葉のブラックホールへの、おもいっきりのマラソンラン
ナーぶりを発揮している。

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●三井喬子詩集「牛ノ川湿地帯」(思潮社)

悲しみには場所があって

「草よ」 「ニセアカシア」 「はじめての朝」 「悲しみには
詩集「牛ノ川湿地帯」場所があって」 「夏のゆびはみどりいろ」 「遺跡の…」 
「あらべすく」 「犯人」 「ササヤブ、ササヤブ、」 「堰提
に亀裂が入り、」 「図書館にて」
「来る」者
「誰もが不在の夕暮れに」「「来る」者」 「そこには光が
あり、風が吹く。」 「輪(和)」 「悲の南面」 「季節がご
ときものよ」 「作品1」 「罪の形」 「わたしが助けられな
かった三人の姉妹たち」 「ナミノウエ」

「わたしは迷子/仕掛けられ はめられた 光の子供……/
と 牛ノ川の辺りから透きとおった声がした」(ニセアカシア)。
金沢在住の三井さんの作品からは、そのように、土俗の声の
霊気がただよってくるが、三井さんの詩の特徴は、その声を
受けとめる語りの場の、虚体性、であり、そこでは、言葉だけ
が浮遊していて、「揺れている風景 あ 誰もいない/ナ ミ 
ノ ウ エ」(ナミノウエ)、の寂けさ、そのガラ―ンとしたひびき
が、超土俗的に、魅了してきます。

            ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 
●倉田良成詩集「夕空」(私家版)
詩集「夕空」

「夕空」 「秋の歌」 「Shower」 「大師」 「薪」 「御祓」
「稲妻」 「Hi」 「鍵」 「白雲」 「喜びの島」 「香炉」 
「In Autumn garden」 「風」 「WINTER WALTZ」 「雪」
「春隣」  あとがき

自ら詩の古典と化したような重厚な形式の散文語りで、人生の
旅人としての思索する視線、練熟した思いの移ろいを、まぎれも
なく現代の事象、風景に身を置きながらつづっていく、その内容
と形式のギャップが、どう読者の人生の時間意識を巻き込んでい
けるか、教養あふれる安定した語りながら、とてもスリリングな詩
集のように、感じました。倉田さんからははじめていただきました
が、まえに雑感コーナーで1度お作品、触れさせてもらったことが
ありました、です。(追記; 探したらもうひとつ、ありました(^^;)

松尾さん、三井さん、倉田さん、ありがとうございました。

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2005年3月18日 金曜日

●詩手帳「飛燕」2号

 詩の新聞「パーマネント・プレス」などを発行している沖縄の詩人石川為丸さん発行になる、石川さんいうところの「原稿料現物支給の商業詩誌」。表紙の<薄明の空を埋めて不穏に飛び交う燕>といった感じの写真は、最近ビデオでみた「リリィ・シュシュのすべて」(だったか?)の映画の中とか、とても類似した場面が一瞬でてきて、あ、とおもったりしたが、心象を伝えるとてもいい表紙だと思いました。2号は詩的信息と銘打って、詩のホームページをひらいている詩人の特集。ワタクシメも恥ずかしながら、参加させてもらっていますが(^^;、ホームページへのアンケートや、参加詩人のホームページに掲載している詩1篇などに加えて、それぞれが新作を発表している。ホームページ掲載の詩では、自作ではない詩を紹介した佐川亜紀さんHPの「咲け油」(韓国の詩人・金ソヌ作品)、関富士子さんHP「rain tree」の「気象通報」(木村恭子作品)、それに石川さんHP[クィクィ」の「瓜栽培」(若井信栄作品)など、充実している。参加詩人は、笠井嗣夫さん、桐田真輔さん、佐川亜紀さん、関富士子さん、高木秋尾さん、水島英己さん、石川為丸さん、それに海坂昇さん(^^;。アンケートのみの参加として清水鱗造さん、新作詩への投稿として吉沢孝史さん。また巻末には、前の創刊号あとがきを書いた若井信榮さん文章に対する異論を展開する形で、笠井嗣夫さんが「「飛燕」創刊号の編集後記について」と題する文章を寄せていて、さっそくの波乱の予兆が、なんともなくうれしい?(^^;。

新作詩「詩篇二〇〇四年」
水島英己「Autumn Anklet」 関富士子「空き部屋情報」 石川為丸「八月の空 宜野湾2004」 吉沢孝史「着流し姿が暗がりで」 佐川亜紀「請求書」 笠井嗣夫「モノクローム K・Kの肖像」 海坂 昇「惨劇のように呆けていく」

詩誌「飛燕」=発行所・おりおん舎(沖縄県那覇市牧志3-20-5-308 石川為丸事務所)
         定価・500円
            ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

●詩誌「まどえふ」4号

友澤蓉子「終止符のある彼方」 豊澤美奈子「ゆめ」 水木俊子「砂の薔薇」 石黒泰助「飽食の儀」 橋場仁奈「木がみえる」 かがひろこ「出来事―Circumstance」 古根真知子「触れる」 水出みどり「行き先はみな見知らぬ名前だ」

 水出みどりさんの「行き先はみな見知らぬ名前だ」にひょっこりでてくる、「ここはどこなのか。おおきく枝を広げた樹に赤ぐろい袋がぶら下がっている。思いっきり息を吹き込んで覗いてみると 明るい小路が生まれている。そうだったのか 知らなかった。狸小路が腸詰めの袋のなかだったなんて。・・・」というイメージが、なつかしい場所の現在のリアルな位相感を伝えるようで、印象にのこりました。

「飛燕」は寄贈ではないので、ここで載せていいものか迷いましたが(^^;、とりあえず、石川さん、水出さん、ありがとうございました。2誌の画像はアニメ見本②でご覧下さい。

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2005年5月2日 月曜日

●青山誉支江詩集「ペーパー・ウェイト」(私家版)





Ⅰ 「ペーパー・ウェイト」 「不穏な夢が」 「文字には鍵がかかり」 「日暮れていく水際で」 「めぐる、夏」 「かたく閉ざされたわたくしのかき貝のふち」

Ⅱ 「仄暗く、のびあがる水底」 「あなたのものいわぬやわらかな手が誘う」 「ここにあって」 「召還」 「背のなかにしずむ鈴」 「水場」

Ⅲ 「疲労」 「異郷」 「イノセンス」 




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●個人詩誌「部分」27号

 三井喬子さんの3篇の詩「狭い階段」 「梅の花」 「花舟」に、おなじみのゲストによる寄稿を、今回は池田實氏をむかえての、詩作品ではなく、氏のエッセー「時間論と他者」という短くも興味深いテーマの散文脈を競合させている。凝縮された、すこしわかりづらい文章ではあるが、空間論ではなく、時間論というのは、この時代の視線でもあり、おもしろく読ませてもらいました。

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●詩誌「グッフォー」43号

青山誉支江「地上の」 木本葉「自然調光」 岡巴里「水の滴りのなかへ」 松田良子「冬光」 福島董子「消息不明」 高橋和子「おとぎばなし」 中村千代子「めぐり ⅩⅩ」 清藤英子「楓笛」 桂本千里「病室からのノート」 土屋一彦「戒名」 金子啓子「疎ら・記憶」 原雅恵「他人の瞳(め)」

ほんとはまだそれぞれに感想もつほどに、ゆっくり読む時間をもてないでいるのですが(^^;、青山さん、三井さん、土屋さん、お送りくださり、ありがとうございました。

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2005年5月2日 月曜日


          第4回 夜の会展(RETURNS)

          2005年 5月 2日(月)~5月 7日(土)
          AM11:00~PM 7:00(最終日PM 5:00まで)
          場所=ギャルリー志門(中央区銀座6‐13‐7 新保ビル3F(銀座東武ホテル前)
               ℡・03-3541-2511 
  
          
          

 以上、第4回 夜の会展のおしらせを、青木栄瞳さんからいただいていますが、ぎりぎりでの紹介になってしまい、どーもすみません、です(^^;。確か去年夜の会ファイナルお知らせしたのですが、またつづいていくわけですね。それから、催し物お知らせも、このコーナーでまとめてやることにしましたので、よろしくです。

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2005年5月20日 金曜日

●「暗射」2005・春号

<詩>佐々木美帆「手のひらにふせた硝子のなかの」
<Books>清水三喜雄「菅江眞澄の〈凄み〉」
<視線で刻む17>笠井嗣夫「解体と再生の持続―塩田明彦『カナリア』
<みみずのたはむれ 8>前島俊一「ヘマロイド衰亡記」

 貧乏の底の底をついたような自らの暮らしに密着して、さながら活字による実況録画といった趣の、前島さんの「みみずのたはむれ」、その悲惨でこっけいで痛快な、捨て身の姿勢からくりだされてくる言葉の手触りは、時としてスキャンダラスな興味などすぐに色あせてしまう程の思考の射程をつたえてきて、ひきこまれてしまう。今回のいよいよ衰亡の淵に立ったような?身体からはきだされる、「ある雑誌の対談でじじいが、最近は警察に捕まるような激しいデモをやらなくなったと嘆いていたが、何にもしなくなるだけで日本なぞつぶれる」には、異議なし、連発(^^;。僕も、運動より散乱を、とか書いたことあるが(^^;、ほんとにつぶす気あるなら、選挙なぞにもいくな!(^^;。前島さんの身体を持った言葉を読んでいると、昨日地元新聞にのっていた、「鹿児島詩時評」の観念的なバカの文章を思い出した。この時評子については始まりの頃に、「鹿児島でも、この夏から、恐ろしいほど観念的な、ゲージュツ嗜好詩人の、雲を歩くような詩時評がはじまっている。これなら、まだまえの人の方がマシだったのにィ」と雑感コーナーに茶化して書いたことがあるが(^^;、案の定、詩は言葉、言葉と連呼しながら、<現代詩手帳の何月号で(名の知れた?)誰それ氏がこう言っていたが、このように詩とは>、とかいった権威づけの書き出しでいつもきまってはじまる文章に、それこそこの人の言葉の身体性と、勝手にやればいいと、何かいう気にもならないできたのだが、昨日(この記事が更新される時はおそらく一昨日)の記事では、ついに(^^;「自殺の増加」や「理由のない殺人の多発」はたまた「テロと戦争の世界絵図」までが、言葉のせいにされてしまっていた。曰く、「・・・パソコンや携帯電話の普及で、言葉は、かってないほど量産されている。それはむしろ氾濫とさえ言いうるほどだ。しかし、それは本当に、本当の、言葉なのだろうか?私たちの祖先が、その命をまさしくそのままに立ちあげようとして生み出した、その魂の言葉なのだろうか?いや、おそらくは違う。おそらくは、もっと希薄で、もっと軽薄なものと化している。その結果のひとつが、自殺の増加であり、理由のない殺人の多発であり、テロと戦争の世界絵図である。言葉が言葉として機能していないのである。それゆえ、私たちはいまこそ、私たちが生み出したその原初に立ちかえらなければならない・・・」(高岡修「かごしま詩時評」)・・・・そうである。「いや、おそらくは違う」が、くすっとナカせるが(^^;、こうした古代ロマンの大言壮語のうつわに、いつも盛られて評価されるのが、自ら世話役?を務める鹿児島詩人協会の詩人たちである。ま、それはいいとして(^^;、たとえば自分の母親に<くそったればばあ!>と発することで、かろうじて自己のバランスを保たざるを得ないひともいるだろうし、逆に、<お母様、わたくしが悪うございました>とくりかえしながら、ある日、自分でも抗し難い力で、母親をブスッと殺めるひとだっている。それは、家族であっても、社会であっても、おんなじ。言葉の希薄さとかなんとかは、それこそ身体をもって実存するその人(たち)の現場性にそわなければ、簡単に(陳腐などこかの校長センセイの嘆きのように?)言えるものじゃないだろう。言葉、言葉のますらおぶりは、どこか小林よしのり氏の公、公を連想させるが、こんな言われかたでは、時代のなかで、自殺や他殺の渦に巻き込まれて死んでいったひとたちも、うかばれないと、僕は思うよ。なんか長くなりそうな予感(^^;。笠井さんの映画論にも共感したこと書きたいのだが、今回はごめんなさい(^^;、でも、映画の内容にそって少年少女の置かれた状況について言及している笠井さんの文章とも、確実に関連してくることではありました。笠井さんの文章から引いて終わります。

「美しく鳴くカナリア。鳥篭のなかのカナリア。失敗の結果を身に受けるカナリア。子どもたちはカナリアとおなじように、時代の危機をいち早く察知して全身で人々に警告する。親たちの世代やそのさらに親たちの世代の失敗の結果をおしつけられる子どもたちの現在ある状態は、かわいそうでほとんど正視しがたいものがあるけれども、原因がどうであれ、だれもがこれ以上壊れることなく生きていかなければならない。」(笠井嗣夫「解体と再生の持続」)

笠井さん、ありがとうございました。

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2005年9月27日 火曜日

●個人詩誌「部分」28号

ゲスト詩人倉田良成さんの詩作品「弔辞」と、 発行者三井喬子さんの詩作品「本」 「へんちくりん―①竹林」 「へんちくりん―②疑惑」の3篇。ちなみに、三井さんは今年の中日詩人賞に輝いています。御祝いの言葉もおくれてしまいましたが、三井さん、おめでとうございます。

●「暗射」2005・夏号

佐々木美帆詩作品「汀線へ」
前島俊一さん連載<みみずのたはむれ9>「無為に沈める」  清水三喜雄さん連載<沖縄で考えた⑰>「寄らば斬るぞの殺気(11)―目取真俊『風音』をめぐって(下・1)」   笠井嗣夫さん連載<視線で刻む18>「過激なまでのフェイク―鈴木清順『オペレッタ狸御殿』  それに付録として前島俊一さんの「ティミドロアヌス帝の妄想」が別刷りでついていて、いずれも読み応え充分なものばかり。

●個人詩誌「ぷあぞん」20号

前回の入沢康夫詩につづいて、今回は(おそらく松尾詩の類縁性を僕などもつよく感じる)河野道代の詩作品「作品Ⅱ」を呼び込みながら、詩が詩であることの全体性、いわば<詩の大気>への緻密な視線の浸透体験の報告書ともいうべきエッセー、「光、飛翔のためのしなやかな純度のたゆたい」を収録。「気づくことだけを気づく」視線に満足しない、虚在の場所への、紆余曲折する視線のアタリの感じが、貴重であり、ここちいい、です。

●詩誌「まどえふ」5号

橋場仁奈「フジモト・タイム」  友澤蓉子「草冠の香る家路の方へ」  水出みどり「しずくが落ちる」  水木俊子「日の終わりに」  かがひろこ「出来事―Circumstance」  古根真知子「方向、もしくは空白」
古根さんの「方向、もしくは空白」、「頭蓋のおくの/水辺」にひろがる時間が、選ばれた言葉の緊張感とともにきらめくようで、気にいりましたが、最後の連にきていっきに弛緩してしまうのが、ちょっと惜しいと思いました。

●詩誌「地点』69号、70号

すでに終刊となった「地点」のあゆみを、目次集とあとがき集によって、それぞれふりかえっていて、ながらくワタクシメもおせわになった詩誌ですので、久方ぶりに接して、感慨深いものがあったことは、確かです。

と、たいへんな遅れと、取り急ぎの紹介となりますが、皆々様失礼の数々とともに、おゆるしのほど(^^;、ありがとうございました。

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2005年11月30日 水曜日

●詩誌「グッフォー」44号

{詩}=金子啓子「燃える」  清藤英子「煮こごり」  原雅恵「アリゲータペア」  土屋一彦「なかなか」  岡巴里「くさぐさの匂い」  松田良子「ナツツバキ」  高橋和子「れくいえむ」  中村千代子「しろい花が咲いている」  桂本千里「淡いルフラン」  木本葉「枝を払われた木のある風景」

●詩誌「庭園別冊」5号

{詩}=萩原健次郎「死んだ水と生きている水について」  中村鐵太郎「サン・ガルガ―ノの矮人と大きな葉の香草」  小林弘明「束の間の分極―岡部昌生展「THE DARK FACE OF THE LIGHT」に」  松尾真由美「失火のための芽の揺らぎ」  たなかあきみつ「『白日』に釘づけ」  北川有里「いしぶみ」  細見和之「ホッチキスの兄弟たち、ほか」  淺山泰美「ミセス エリザベスグリーンの庭に」  中村恵美「ラ・ハパレラ、風の庭 Ⅰ」  渡邊十絲子「闇湯」  高岡修「源流の蛇」  季村敏夫「青山」

●詩誌「オドラデク」3号

{詩}=鈴木匠「双数」  島洋「定型詩」 「男と女」 「虚言と真実」  谷口哲郎「姉たちの叫びとささやきをめぐるオード」  福留広子「時」
{特集・藤田文江}=谷口哲郎「モダニティの逆説(パラドックス)と幽霊(後編)  桑原周爾「藤田文江のための短いオマージュ」  谷口哲郎「「藤田文江」とその系譜」
{美術評論}=桑原周爾「ピン・ナップの白昼夢―E・ホッパー小論 1」  浜田賢吾「榎倉康二―界面的な感触」  
{短篇小説}=仙田学「隣のふたり」  荻田洋文「アホリズム」

(発行所変更=東京都日野市新町3-45―16 谷口方)

●「暗射」2005・秋号

{エッセイ}=清水三喜雄「<沖縄で考えた⑱>寄らば斬るぞの殺気(12)―目取真俊『風音』をめぐって(下・2)
笠井嗣夫「<視線で刻む19>歓ばしきものの奪回―エミール・クストリッツァ『ライフ・イズ・ミラクル』」
前島俊一「<みみずのたはむれ10>みんなビューティフル」
佐々木美帆「スクラップ 二〇〇五年秋「品位を保つために」」

●個人詩誌「部分」29号

ゲスト・海坂昇、あ、ワタクシメじゃん、いいのでしょうか(^^;。
{詩}=三井喬子作品「屋根。黒い屋根。」 「青く蒼い湖の瞳で」の散文詩2篇に、海坂昇「言葉がカチリと<シ>を装填する」

久しぶりの「オドラデク」3号、戦争の暗雲のなかで鹿児島から詩と時代を切り結ぶ先鋭な意識を造形させていた夭折詩人・藤田文江についての、谷口哲郎さんの興味深い論考はじめ、詩も、詩法いろいろ、スタンスもいろいろ(なんじゃ、こりゃ(^^;)、感想もいろいろ、わいてきますが、このところの精神的余裕のなさで、取り急ぎの目次紹介でごかんべんください。ゆっくり読ませてもらっています。土屋さん、松尾さん、谷口さん、笠井さん、三井さん、ありがとうございました。

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2006年1月1日 日曜日

●詩誌「分裂機械」16号

{詩}=田中宏輔「THE GATES OF DELIRIUM」  辻元よしふみ「ナヴァロンの秋、他一篇」  青木榮瞳「アルファベットのイヤリング、他一篇」  小笠原鳥類「鍵盤」  阿部裕一「Monday Blue」  遠所秀樹「いらつめ」  大杉卓二「頭脳直列、他ニ篇」  井原秀治「晩秋縊死譜、他ニ篇」
{批評}=ヤリタミサコ「ギンズバーグはどうしてホイットマンが好きだったか(6)」

青木さんありがとうございました。今年もよろしくお願いします(^^;。

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2009年11月1日日曜日

家の事情で色々あり、いきなり3、4年のながい間のブランク、いただいた詩誌、詩集がたぷたぷした負い目のようにたまっていながら、これも失礼したままで過ぎてしまいました。とりあえず、あたらしいものからでも、数冊づつ、紹介させてもらいます。しばらく使わないうちに、前のパソコンは壊れてしまっていて、移し替えるのに手間取ってしまいましたが、お見苦しい点など、あればお許しください。また拙詩集「ナミの文字、・・・・」へのあたたかいご感想など、ほんとにありがとうございます。鹿児島の詩人岡田哲也さんには西日本新聞にて触れてもらい、元気づけられました。

詩誌は金沢の「部分」(三井喬子個人誌) 北海道の「まどえふ」(水出みどり編集) 「グッフォー」(土屋一彦編集) 鹿児島の「詩創」(宇宿一成編集)など毎号欠かさずいただいています。松尾真由美さん個人誌「ぷあぞん」 中本道代さんからの「ユルトラ・バルズ」 など欠礼で、冷や汗、もうかえって居直ってしまっています(^^;。ブランクがながいので、他にもいくつかいただいた詩誌があったと思いますが、とりあえず、最近のものから、「索」(坂井信夫編集) 「ポエームTAMA」(池田實編集) 「ペーパー」(秋山基夫個人誌) 「アブ」(松原敏夫個人誌)などいただいています。ありがとうございました。


●松尾真由美詩集「雪のきらめき、火花の湿度、消えゆく蘂のはるかな記憶を」(思潮社) これは、下の詩集「不完全協和音」の3部作完結編としての最新作。
詩集「雪のきらめき、火花の湿度、消えゆく蘂のはるかな記憶を」

ⅰ夜明けのきらめき、雪の隙間の青のもとから
ⅱ黙秘のための夜明けの火、雪の欠片を、欠片の月を
ⅲ砂のけわしい起伏、両翼のあまやかな没し方へと
ⅳ冬の真昼の蝶の氷点
ⅴいっそう半睡のしろい切片、手と足、そして
ⅵこごえる影の芽の零度
ⅶ去ることの愉楽の形、ありふれた終局の



 

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●三井喬子詩集「青天の向こうがわ」(思潮社)
「連結を解かれた さ、お、ん、あ、か、/何ものも意味しない くねる身体/あるいは
柔らかな棒状の//八月の乾き。」 不思議な哀愁漂う、最新詩集。


詩集「青天の向こうがわ」形象

・鳥のいる風景 ・水のあふれる風景 ・青いガラスの床の上で ・狭い階段
・階段をあがると  ・深海魚 ・形象  ・揺れて、のち、 ・言語野
  ・蛙な男と亀な女 ・アンブレラ ・風のスパイ ・誕生 ・傘

憧憬

・山から来たの  ・大麦の実るころ  ・夏の屋根の上の  ・黒点  
・青く蒼い湖の瞳で  ・屋根。黒い屋根。 ・秋  ・しまい込まれた幼年期 
 ・球体  ・憧憬―花  ・陽はさんさんと降りそそぎ

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●岡田哲也詩集「わが山川草木」(書肆山田)
「俺は俺が好きな人のなかでよみがえりつづける/不断の優柔だ/とうとう
たらり とうたらり」    ひとつの闘いの形。<うたう>ことの力に満ちた最新詩集。

Ⅰ身辺のこと
            Ⅱ心辺のひと
詩集「わが山川草木」
灰の世直り記―火男のうた―   宇治金時
薩摩食べ物考 刺身醤油       雪明りのおやすみ
スミレとこどもとオオカミは     高空の朝
本人確認               雪目でうたう北の旅-常呂から仁頃へ
肥薩おれんじ鉄道          角 つのの身
日曜日の娘たち           角  つのの芽
ブリキの空               五月のうた―網掛川のほとりで
猫と食べる緑の夢          ある日のうた
しっことしっぽ             絶滅危惧種
花冷えのころ             むすめよ
                     銭湯にて
                     絵日記
                     春の歌

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●橋場仁奈詩集「ブレス/朝、私は花のように」(荊冠舎)
「ススキ、ヨモギ、ホウキ草/ゆらゆらとヒョロナガイじぶんの影を先に立てて草の影、踏んで歩いていく」  なにかをけんめいに振り払おうとするしぐさのように、尋常でない饒舌が持続する詩集。
詩集「ブレス/朝、私は花のように」
ブレス(二冊分冊の一冊目)
・ブレス ・バランス/バランス ・ボール ・希望  ・誕生まで・百日  ・初夏(はつなつ) ・みず ・生きること  ・呼ばれる   ・殺す女  ・別の橋  ・おとしもの ・m a i l   ・スロー、スロー、スロー、 ・フライドチキンを食べながら  ・狸小路2丁目 ・息をこらして見つめていると ・逃げつづける男 ・海の見えるところまで  ・墓 ・移動 ・待ち合わせ

朝、私は花のように(二冊目)
・10体の仏像  ・キャラバン ・駅まで25分  ・瞬く ・水密桃 ・フジモト・タイム ・黙らない舌 ・銀蠅スウープ  ・亜麻の花  ・お色直し ・M  ・あしたあたしが地下鉄に乗ってゆくとき  ・夜の声 ・白い足  ・ゆるやかなカーブにそって ・一二月の海月 ・雪が降っている  ・よしださんからネコの絵はがきがきた ・池に浮かんだ月  ・夜行列車 ・感覚  ・叫び ・朝、私は花のように


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2009年11月8日日曜日

上からのつづきです。詩誌は、谷口哲郎さんからいただいた内容充実の分厚な「酒乱」(あんど出版)も忘れていました。また松尾さんからは「ぷあぞん」の最新号が昨日届けられました。以前に「詩の松尾マシン」とか書かせてもらったことがありますが、マシンガンのような多作ぶりには、脅迫されてしまいます(?)(^^;ありがとうございました。詩誌はまだあったと思いますが・・・。


●松尾真由美詩集「不完全協和音」(思潮社)
美しい装丁の2冊分冊

儚いもののあでやかな輝度をもとめて
詩集「不完全協和音」・果てへのはじまりあるいは晶度を  ・なおも狂れゆく塵の漂白  ・余剰に憩うひとときの投身にて  ・ただゆるやかに夜の記録は波立つ  ・または地図のない泉の中点  ・秘めやかな芽吹きの域から  ・そして儚いものの裏の火の息  ・もしくは零度の羽化に焦がれる  ・再生のための親密な坂と谺  ・陽の輝きへと冷やかな恋情がたかまるとき  ・霞に撒かれる小石の行方  ・流されていくものの蜜の彩度  ・真夜中から朝への触手

秘めやかな共振、もしくは招かれたあとの光度が水底をより深める
・汐の彩色、しめやかな雨に流れる鍵と戸と窓 河津聖恵「シークレット・ガーデン―今しずくをみつめている人のために」に寄せて    ・旅の記録、もしくは越境の硬度について 入沢康夫「旅するわたし―四谷シモン展に寄せて」に寄せて   ・狩るものと狩られるもの、または裸出する根の動と潜 広瀬大志「メルトダウン紀」に寄せて   ・伝言と伝説、ゆかしい接岸にきざされる春の照度 中村恵美「伝説」に寄せて   ・光、飛翔のためのしなやかな純度にもつれる 河野道代「作品Ⅱ」に寄せて


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●水島英己詩集「樂府(FOLK SONG)」(思潮社)

詩集「樂府」
a
・院  ・闘牛病  ・ホームカミング  ・二〇〇四・夏・東京  ・辺野古野辺  ・Monster Waves  ・雑技  ・山帽子

b
・The Summer Trail  ・fall in love too easily  ・きみはどこにいるのだろう  ・秋のために  ・四月の雨  ・かもめ  ・博物館へ行く道 

c
・全校集会  ・そのとき私は  ・カラマーゾフ万歳  ・善き隣人  ・私はどのような戦争をしているのか  ・ヘルプ  ・擬宝珠

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中本道代詩集「花と死王」(思潮社)
<第18回丸山豊記念現代詩賞>受賞詩集です

詩集「花と死王」辺縁で
・辺縁で ・陽炎 ・残りの声 ・水の包み ・交錯

高地の想像
・貝の海 ・夢の家 ・奥の想い ・高地の想像 ・森の中 ・松と身体 ・鯉 ・薄暮の色  ・犬 ・鳥 ・朝

カタラ

・到来 ・死んだ海に ・曲がった石段 ・カタラ ・水晶地方 ・冷血1、2

新世界へ

・秋 ・首都高速4号線下 ・二月の名前 ・南の都市 ・新世界へ 風の脈拍


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●宇宿一成詩集「光のしっぽ」(土曜美術社出版販売)
詩集「光のしっぽ」


・私   ・牛眼は緑   ・犀の臀部   ・生存する河馬   ・樹懶  ・風になって   ・おさしみが流れてる ・おしごと  ・次女が急に ・光のしっぽ   ・蝶の頸   ・風の林   ・切って捨てる  ・川辺の春   ・くちなわ  ・爪噛むさびしさ   ・星の光のルフラン  ・石の標本室で  ・虫の相聞  ・耳の中に ・春 ・ガラスの日 ・美しい人を ・卵の孵る夢





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2009年12月1日火曜日

松尾さん、宇宿さんからの最新詩集2冊と、更に上からのつづきです。詩誌は、宇宿さんからの「詩創」最新号が届けられています。松尾さん、宇宿さん、それに土屋さん、青木さん、山之内さん失礼ばかりで恐縮しております。ありがとうございました。


●松尾真由美詩集「装飾期、箱の中のひろやかな物語を」

詩集「装飾期、箱の中のひろやかな物語を」
先月20日~26日にGallery Oculus(東京港区高輪)でひらかれた「松尾真由美「装飾期、箱の中のひろやかな物語を」―box詩集コラボ展」のために制作された「個展のパンフレットと詩集を兼ね合わせた」一冊とのこと。
英国在住の版画家市原世津子氏制作によるさまざまな〈箱〉の写真とともに、アルファベットのAからZまでのそれぞれの頭文字をもった3個づつの英単語を浮かびあがらせて、Aの詩集、Bの詩集・・・と題して、それらの単語に触発される78篇の自在な、それこそ現代詩の蓄積してきた詩法を惜しげもなく繰り出しながら、才能豊かな言葉の世界を展開している。あくまでも、自らの詩の身体性は手放さないながらも、今までいただいた松尾詩からは想像もできないような詩法にびっくり。その一端はここ。


 
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●宇宿一成詩集「固い薔薇」(土曜美術社出版販売)

第Ⅰ章 固い薔薇
固い薔薇 天花粉悲しいナメクジキリンの欲求症例検討会で 蜜柑 鬼が舐めるホクロ
詩集「固い薔薇」
第Ⅱ章 見えない密林
落日  面フクロウ 竹霊筒 掌 見えない密林 リンゴに朝霧 ロケット妻の誕生日に

第Ⅲ章 サイレン
塵のように 埋め立てられたものは 裁く ・校門 サイレン うしろめたさだけを

第Ⅳ章 水狂い
十字架  羽音 喪服の羽の 黒い流線型の 尖鋭な切り傷の 脱皮した少女の水狂い

あとがき  初出一覧

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●土屋一彦詩集「へんなへん」(グッフォーの会)
詩集「へんなへん」


屍体に係る生理的妄想  樹(きごう)号  渦中  だとしたら  秘 
Zoo また、いなくなった  納豆問答  そして、記憶は風化してゆく 
ホリデーもエレジー  矜持//鮫にあっては  偽装と見紛う身体特徴
変な偏


水族の憂い  数学もどき  卵のこと  食われるもの/食らうもの  
逆さカサカサ  兆候  冬の会話  目  痛みの本領  乱切り



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●青木栄瞳詩集「マジョ・リカ 解離録」(思潮社)


フニクリ、フニクラ
マジョ・リカ解離録1 ノア・ノア(太陽は燃えているか)
詩集「マジョ・リカ 解離録」マジョ・リカ解離録2 ロロヘロ・ロヘ-ロの恋人
マジョ・リカ解離録3 ナルシスの変貌「巨大・TSUNAMI」
マジョ・リカ解離録4 秘境「男と女の世界遺産」

春の植物への暗号 マジョ・リカ解離録5 天脳説(一)
宇宙に作曲家はいるのだろうか? ―詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論 序章

サラサラドライ・ミミ-ママ(子供用おむつ)と、いちばんパンツ(大人用) マジョ・リカ解離録6 天脳説(二)
われわれの目に、可視光だけでなくマイクロ波も見えたなら、 ―詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論 第一楽章・直球と変化球

ブン、ブン、ブン、 マジョ・リカ解離録7 天脳説(三)
ミッチェルの「黒い星」(ブラックホール)と「マオ」 ―詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論 第二楽章・生乳100%

デザートを召し上がれ、(あとがき)

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●山之内まつ子詩集「小匙12の空」(ジャプラン社)
詩集「小匙1/2の空」
「くびすじを掠め/身軽に侵入してくる空気/それの空っぽの部分を吸ってみたい」



シード  夕暮れ  レター  消失  ペルソナ ノン グラ-タ  ・グライダー  回ってくる  ステーション  シャドウワーク  渇き  アピタイト(Ⅰ)  アピタイト(Ⅱ)  無法  ストーン  とまどい(Ⅰ)  とまどい(Ⅱ)  キッチン  理由  ダイ アウト  待ってくれ  フィンガー  シーズン  ななめからうつろう  秋の果汁  しるし  ウエイブ  春の性分  はじまりのために  無闇な夜に  初出一覧  あとがき



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012年1月31日                              

ごきげんようです(^^;)。とりあえずの10冊なんとか準備してみました。詩誌も 金沢の「部分」(三井喬子個人誌) 北海道の「まどえふ」(水出みどり編集) 「グッフォー」(土屋一彦編集) 鹿児島の「詩創」(宇宿一成編集)「刺虫」(宇宿一成個人誌)など変わらず毎号いただいていて恐縮しています。また沖縄からの「アブ」(松原敏夫個人誌)や「KANA」(高良勉編集)も。それにいただいた時にくわしく紹介したかった「クイクイ通信」(石川為丸編集)の特集「「集団自決」に軍命はなかったとする上原正稔・星雅彦発言に対する異議」は、沖縄にたいする日本政府の関係がどのようなものかということが、ますます鮮明にならざるを得ない今日、枯れさせてはいけない沖縄の血の声だと思いました。〈軍命〉とはなんなのか。現在の基地問題についての、沖縄の人々へ粘り強く説明していくという、現政府の〈説明〉とはなんなのか。がんじがらめの経済システムと情報時代の錯覚からか、なにかリュックサックのように〈国家〉を背負ってもの言うひとばかりがあふれてしまった現状からは、ほんとにたいせつなものが、ことが、みえにくくなってきているのは確実だと思います。何ものにも属さない解放視野とでもいったものが、ますます困難になっていくような・・・。

じわじわとしたところからの、なにかのカタストロフのようにして起こってしまった感のある去年の大震災ですが、それに伴う原発被災が想定外などとしてゆるされるわけのものではないとして、それよりもなによりも、もっとも想定外だったのは、あの不気味に膨らみおしよせてくる、津波の姿態だったのではないでしょうか。高い防波堤やビルを飲み込んで押し寄せる津波といえば、イメージとしてはあのハリウッド映画などで創られた、シューと鎌首高くもちあげてやってくる、怒った波濤のいかにもいかにもの姿ですが、それが全然異っていた。波が全体としてうねり、〈全体としてもちあがって〉やってくるので、まるでよくテレビなどで脳科学者がやっているアハ体験にも似て、気がついたら風景が一変していた、ということだったのではないかと、想像されます。イメージの先入見によって、まだ大丈夫と避難のおくれてしまった方々も、あるいは多かったのでは、と。僕などは言葉もなく、無力ですが、悲しみのブランド品と化して、好き勝手な同情や希望の言葉に利用されないためにも、メディアまみれの物質(つかいすて資材)主義ではなく、真に物質(もの)に寄りそった復興が進むことを願うばかりです。

阿賀さん、笠井さん、山之内さん、水出さん、宇宿さん、エーメさん、三井さん、坂井さん、足立さん、ありがとうございました。


●阿賀猥、中本道代、戸沢英土対談集「ドラゴンin the Sea」㊤(星雲社)

「・・・龍の論理。論理のすべてを許容するかに見えてあるときは一切を破砕する龍の論理。言語を持たないもの、明確な姿をさえ持たないものたちの無念とその意思を抱え持つ龍の論理、つまりは大自然の意志、これらを感知できるのかドラゴンどうか?・・・・」(阿賀「はじめに」より)

りっぱな言葉だらけのうそっぽさ、植えこまれたカメラ目線の、決してうそっぽくならないうそっぽさ、そんな不気味な時代に、古今東西の文学作品、芸術、思想を俎上にあげながら、渾身の〈悪〉の復権手探り紀行。ドラゴンの年にふさわしい、痛快な一書。

一章 女とドラゴン  二章 黒い天使  三章 大菩薩峠




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●宗左近対訳詩選集「炎える母・抄 その他の詩」 笠井嗣夫編(土曜美術社出版販売)

炎える母東京大空襲。家畜を焼き払うような焼夷弾の雨。つっと離れた手の先に、逃げ遅れた母が炎えている。それを視てしまうこと、時を超えて視つづけること。その「熱くて冷たい/青い陽光(ひかり)のいずみ」。そう言ってみるしかない凄惨な場所、に「立ちつづける」意志から書きつけられていく、戦争と拮抗するまでの、内視の力。戦争を語るには、戦争について語るばかりが能じゃない。ここに、いまも、炎えている母が、いる。

「炎の海から立ち去らないこと、炎える母を見つめ、みずからも炎えつづけること。それは、際限のない苦しみを自身の内部に引き受けることである」(笠井嗣夫・解説より)
英語対訳者=中田紀子、牧野はるみ、スティーブン・トスカー


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●山之内まつ子句集「比喩を死ぬ」(ジャプラン社)

(無添加の月2005年~2010年から)
比喩を死ぬ
静脈の正しく透けて彼岸花

微熱かな人間不信の白鳥座

(ナルシスムな釘1991年~1995年から)

生首がドリブルして入ってくる東雲の窓

夏まではガラスで居たい猫の耳



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●山之内まつ子詩集「徒花」(思潮社)

徒花「マスカラとは騙し絵を漱ぐ口吻である/明けの/宵の明星を 女はじぶんの目に移植したがる その美質のみに溺れ 理由があまく根深いので それは新しい死体にはなりえない すでに億年を死につづけている あなたや/わたしの眼球 その類いの圧倒的なみにくさである 夜空はことだまの化石 地上の涅槃の匂いは知らず・・・」(「濃く焦げることを」より)

・顔無しー序  ・顔無しーわたしを買う  ・顔無しー鏡  ・影  ・ある演出家にとっての  ・海馬  ・はじめから空であるもの  ・濃く焦げることを  ・囲い  ・化骨  ・きょうふ  ・わらっている  ・こわれる朝  ・昏むひと  ・パラサイト シングル  ・乖離  ・きずつけてゆくもの  ・森  ・構築  ・刮目  ・永い散歩  ・春の うみ  ・あやまち  ・生者  ・火の婚姻  ・火の文字  ・火の哀しみ  ・火の怒り  ・開くリンゴ  ・ぷあ  ・徒花


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●水出みどり詩集「声、そのさざなみ」(碧濤舎)

声、そのさざなみ「ここはどこなのか。おおきく枝を広げた樹に赤ぐろい袋がぶら下がっている。思いっきり息を吹き込んで覗いてみると明るい小路が生まれている。そうだったのか 知らなかった。狸小路が腸詰めの袋のなかだっただなんて。賑やかな商店街。夜店ではたくさんの卵も売られていて。白い殻が割れて 生まれようとしているのは母だ。頭をなでて通り過ぎる。・・・」(「行き先はみな見知らぬ名前だ」より)

・風を踏んで  ・風が鳴っている  ・前夜  ・物語  ・湿った舌の  ・触れている  ・声について  ・童話  ・未生  ・やわらかな闇のなかに  ・カナリヤ  ・祀り  ・鏡のなかに  ・夏を揺すっていて  ・声につつまれて
・紅玉  ・しずくが落ちる  ・遙かなものを  ・逆光のなかに  ・行き先はみな見知らぬ名前だ  ・課外授業  ・螺旋階段  ・ゆらゆら揺れる  ・声、そのさざなみ


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●宇宿一成詩集「賑やかな眠り」(土曜美術社出版販売)

賑やかな眠り「・・・いまここに生きているということは/日々のたくらみを/言葉によってなぞりなおし/遠い祖先たちの記憶を交配し/受胎する脳髄の川のほとりに/かすかな希望を/ナズナの花のように/咲かせているということだ」(「記憶受胎」五、より)


・記憶受胎  春雷  ・時計  ・海風  ・昨日満月をながめました  ・月狩り  ・来光  ・水  ・雲霧林  ・爪  ・腐葉土  ・夕暮れのコメディー  ・樹冠のひと  ・日食の舟  ・夕焼け  ・影  ・雨座  ・現場検証  ・手紙  ・保護色  ・涙  ・あとがき



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●青木栄瞳詩集「エイメ姫の一千一夜物語」(思潮社)

浮遊する他者の言葉に囲まれたエイメ姫の幸福な言葉の食事模様。
エイメ姫の一千一夜物語
・この先 段差あり  ・ビューティ・トワレ  ・フワフワ仕上げの愛犬ノン  ・見えない次元《ワープする宇宙》
・エイメ姫の一千一夜物語1 (大玉LL)ひらけ、春キャベツ!  ・エイメ姫の一千一夜物語2 僕はマタタビでは無い!  ・エイメ姫の一千一夜物語3 立夏X//・1 

マジョ・リカ解離録8 天脳説(四) 「虎のバター(ちびくろ・さんぼ)」とノーベル賞―詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論 第三楽章・D・N・A、遺伝子のワルツ

マジョ・リカ解離録9 天脳説(五)
 コルセットを外した「日本語のゆくえ」―詩人・EIMEの量子論的並行宇宙論 第四楽章・超新星爆発


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●三井喬子詩集「紅の小箱」(思潮社)

紅の小箱格子戸の闇の虚空に残された声。それを捕獲してどこまでも伸びていく、三井擬物語詩の快感のような通路。

「風がはらはら、はらはら、と通った。/硝子戸の奥の、そのまた奥の、棚の、紫檀かと思われる小引出しから、紅い小箱がとり出されるのが、たしかに見えた。/目には見えませんのでね、ほら、どうぞ、もっと近づいて・・・。/匂いもしませんのよ。あらそんなに鼻孔を広げないで。/過剰摂取すると骨が溶けます。身体も透きとおってしまいます。元には戻れなくなりますよ。・・・」(「妖怪の素」より)   


Ⅰ・牡丹  ・川下り  ・その向こう と  ・ものを見ている男の  ・「妖怪の素」  ・月夜の水浴び  ・白磁の壺よ  ・冬至には  ・越前府中丁稚羊羹伝来異説  ・乙女潟きさらぎ尽  ・お稽古  ・算盤はじいて  ・吉やぁ
Ⅱ秋立つ日  ・花が流れていく  ・川に送る  ・花舟  ・刃物砥ぎ  ・塀の上の首  ・箱がしずかにありました  ・熊と寝た  ・紅葉の宿で  ・じゃんじゃん峠に雪がくるころ  ・大宿峡谷落日悲歌  ・枝垂れ桜  ・逝く春の


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●坂井信夫詩集「影のサーカス」(漉林書房)

影のサーカス敗戦の闇のテントに飛び交う死者たちの鼓動を結集するかのような、サーカス団。どこか西欧の偉大な生き神様を連想させる団長のもと、目的は死者たちの総元締めであった日本の生き神様を前にしての、生き伸びた死者たち?の闇のサーカス決行。・・・これはもしかして、民衆のというより、秘められた神々の闘い?とも読めてしまう、32章からなる散文詩集。

「・・・だが団長は、わたしたちはかれを追及したり裁くために招くのではない。かれが忘れていた惨たらしい光景を記憶の底から呼びもどしてほしいと希うだけだ、と。あの神風攻撃隊を創りだした男は八月十六日に自死した、という。人間魚雷回天を発明した男は、その後どうなったのか、と少年は闇のなかで思った。おれたちは傷だらけなのではない。傷そのものとしてサーカスに辿りついたのだ。地上八メートルの綱のうえで、おれたちは祈らない。眼下にひろがる海を、母のように想うだけだ。だから、墜落をおそれない。・・・」

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●足立和夫詩集「暗中」(草原詩社)

暗中「疲れた天使の/ため息が/頭の後ろに/聴こえる/世界に/ゆっくりひびいていく/ぼくも/疲れてしまうではないか/なにが起こったんだ/おびえるひとたちが/気にしてしまうよ/おお天使/遠い戦争が/近いのか」(「鉄扉のむこう」より) 足立さんの身体からにじみでる言葉は、的確にイメージを結び、正確にその思いが伝わってくる。

序詩・目撃  
第Ⅰ部「暗中」 ・奇妙な空のなか  ・一五二年  ・神の目  ・暗中  ・まがる夜に  ・ビルの底で  ・てらてら  
第Ⅱ部「失業」 ・失業  ・ラーメン屋で  ・睡魔  ・そのように  ・アスファルト  ・地下の珈琲店  ・影のダンス
第Ⅲ部「静かな一本の木」 ・小鳥  ・神の足  ・黒い実家  ・鉄扉のむこう  ・存在という世界  ・静かな一本の木


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