水の映画をみますか
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 稲川方人の『われらを生かしめるものはどこか』というとても魅力的な詩集のなかに、「水の映画をみますか」といういきなりの詩句がはさまれる、作品がある。意味はわからなくても、水と映画の組み合わせが、イメージを広げてくれるが、でも、それは、なぜだろうと、すこし考えると、すぐに思い付くのは、現像されて、透明なフィルムに浮かびあがる映像といい、それを、ビデオなどの、媒介機器をつかわずに、闇=水につつまれながら、映写機で、直接スクリーン=水に投影することといい、つまりは、映画本来の、映画らしい、映画というのは、僕らの無意識のなかで、水のイメージに浸されているということだ。それは、別の言い方をすると、映画が、抗しがたい共同性を帯びて、輝いている、ということだろう。

 つまり、詩句は、散文的にいえば、映画らしい映画をみますか、ということにでもなろうか。僕は、そのように解して、その詩を味わったが、近年の映画作品自体のなかにも、この水と映画の組み合わせによって、映画が映画らしくあった時代の映画を、美しくも、どこか感傷的に浮かびあがらせる映像に、出会ったりすることがある。

 たとえば、ケビン・ コスナー主演監督の『ポストマン』。核戦争後の荒廃した世界を背景に、あるダム湖のほとりに自然発生的に形成されつつある共同体のために、日暮れ時、湖のシンとはりつめた水から浮かびあがるようにして、対岸の巨大なスクリーンに上映されつづける、映画が最も映画らしくあった時代の映画たち。音は聞こえないが、水に反響する、その無音のセリフの、なつかしいひろがり。

 また、たとえば、日本映画では、山田洋次監督の『虹をつかむ男ー南国奮闘篇』。これは、テーマそのものが、映画が映画らしくあった時代の映画に夢をつなごうとする男の、悲哀と栄光(ちょっと照れる言い方だが)を笑いのなかに描こうとしたものだった。その中で、やはり、南の島の海をバックにして、張られたでっかいスクリーンに映し出される、日本映画の最も輝いていた時代の映像たち。それを、夜の闇に沈んでいく砂浜に腰をおろして、じっとみつめつづける、人々の視線。ざわざわと、なにかそれ自体、郷愁を誘う、人々の視線。

 そう、ここで、僕は水と映画のつながりにとっての、欠かせないもう一つの要素を付け加えなくてはならないだろう。それは、あのでっかいスクリーンを見つめるひとびとの、モアイ像のような、浅い仰角の視線である。この視線によって、映画は、もっとも、夢(寝てみる夢)=水に、近くなるだろう。そして、それは、1895年12月28日、フランスはパリの一角に、はじめて映画が人々の前に現われていらい、人々を魅惑し、魅惑することでさまざまな危険にも晒してきた、視線で、あったろう。

 その視線にからまるように、水と映画のしっとりとしたつながりを描くとともに、視線の変容によって、そのつながりが希薄になり、しだいに映画がかわいていく時代の機微を、あの映画館を取り巻くみごとな風景の描写によって描いたものに、『二ューシネマ・ パラダイス』があった。なにを語らなくても、あの、映画館の前の広場の空気、映画館の上の大気の色、それがなによりも、もう、映画が映画らしくあった時代の映画は、<僕たち>のまえからは、永遠に去ってしまったのだということを、胸に染み入るように、納得させてくれた映画だった。

 視線の変容。それは、否応もなくやってくる。映画は現在、よく言われる言い方で言うなら、映画が映画らしくあった時代の、死後を生きているのであり、死後とともに、生きているのであり、言い換えるなら、<僕たち>から分離されながらの、共同性を生きているのである。

(ここに座って、
(水の映画をみますか、
(鬼火です、
(ほら、くれてやるこころの火です。
 稲川方人『われらを生かしめる者はどこか』(1986年青土社刊)より