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  レンタルビデオの時間B
アザーズ
2001年アメリカ映画 監督 アレハンドロ・アメナーバル
出演 ニコール・キッドマン  フィオヌラ・フラナガン  クリストファー・エクルストン     104分

 「オープン・ユア・アイズ」という注目すべき作品によって登場したスペインの若手監督の、製作場所をハリウッドに移しての、期待通りの、最新作。浮遊するひとの視線の綾織りによって形成されている、この世の生の実感というのは、それが事実としてばかげているとか、科学的に根拠がないとかいってみても、なにほどの解消にもならないある領域を、ホログラムのようにして抱えもっている。科学的なリアリティーではなく、まさにひとの生のリアリティー。その視線の織り成す世界のリアリティーとでもいうべきものの映像的な創出(想起?)に、この監督の才能は、独特の冴えを見せて、魅了してくるのだ。あの世とこの世、とか、死者の霊、次元を異えた世界とか、それらは、科学的にどうという前に、なによりもまず、ひとが生きていることの視線の生の精一杯の力学に属している。単なる怪奇もの、お化け映画に終わらずに、この監督の映像的な力量は、そうした視線=生の実感の重みを、静かに想起させてくれる、微妙で決定的な深みをもって、訴えてくるのだ。それは、例えば、「オープン・ユア・アイズ」に感動してトム・クルーズがリメイクしたという「バニラ・スカイ」という作品の、決定的な物足りなさ、実感の重みのなさ、などを思いくらべたら、その作品の質の違いがわかるのではないだろうか。もっとも、この「アザーズ」は、トム・クルーズのそんな感動によって支えられ、彼の製作総指揮よって実現した作品でもあるらしいのだが…。いずれにしても、ゴシック風の古い館を舞台に、このところのハリウッド怪奇映画に流行りのおもいっきりのどんでんがえしを、とても効果的に余韻深く演出した、秀作である。
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ダンサー・イン・ザ・ダーク
2000年デンマーク映画  監督 ラース・フォン・トリア(脚本も)
出演 ビョ―ク(音楽も)  カトリ―ヌ・ドヌーブ  デビッド・モース  ピーター・ストーメア    140分
 

 こういうミュージカル映画の創り方、そして、映画を観る事の、まぎれもない、こういう至福の在り様もあるのかと、はじめて観たときは、その衝撃にビデオを巻き戻すのもわすれて、暗闇の中にしばし呆然としていた。以来何度となく借りてきて観ているのだが、いやあー、それにしても、すごい映画だなあと思う。遺伝的な病によって視力を失いつつある、ビョ―ク演じる若い母親が、同じ遺伝病の宿命にある息子だけはなんとか先端医療によって救いたいと願い、故郷のチェコスロバキアから息子といっしょにアメリカへやってきて、あるアメリカ人夫婦の敷地内に置かれたトレーラーを間借りしながら、地方の旋盤工となって働き、大好きだったミュージカル映画の本場にやってきた感激から、工場のサークル活動で自らもミュージカルの創作に参加して、しぼんでいく気持を、歌い、踊ることでなんとか発散させている、―そんな日々が、ドキュメンタリ―タッチのカメラワークで淡々と描かれていくのだが、視界の失われていく、先細りの不安感は、やがて仕事の最中にも旋盤工場の色々な音のリズムへの反応となって、彼女のミュージカルへの空想を侵入させてしまい、その空想が場面を一転して、せつない必然性のように、その場の生活場面を、明るいミュージカルの舞台に変容させてしまうのである。印象的で、すごいのは、しだいに視界を失っていく主人公の、言いようのない静謐さにつつまれた、不安きわまりない薄明の世界描写が、それを必死に押しのけるようにして主人公から涌き出てくる、増幅された心音のような<リズム>と<うた>の劇的迫力と相俟って、毛穴に浸透してくるようなぞくぞくするリアルの相を醸し出していることだ。そのリアルの相を、うすめることなく(なにかに回収することなく)、かろうじて<他者>へ触れさせたまま余韻させているのが、あの救いようのない結末への踏んだり蹴ったりの不幸(この映画には、わかりやすい悪人、わかりやすい善人はひとりも登場しないで、すべては、関係の不幸のように描きだされているのも、なかなかのものだが)との道行きではないのだろうか。あれだけの救いようのなさによって、かろうじて、観客は、<視力障害者>ではなく、失明のリアルな相に、余韻としても、触れることができている、そんな気がする。あののがれようのない殺人によって、音のない独房に押し込まれた主人公の姿は、いてもたってもいられないくらい、コワイシーンだったし、小さな送風口ににじりより、必死で<外>の物音とつながろうとするしぐさなど、演技とも思えないビョ―クの迫真の演技に、涙があふれてしょうがなかった。そして、どんな(回収的?)死刑執行映画も消し飛んでしまうくらいに、生きた人間を冷静に、法のもとに殺すことのむごたらしさを感じさせてくれる、最後の場面・・・。ビョ―クの歌声も、字幕に流れる歌詞も、哀切に、力強く、この世のひろがりを感じさせて、すばらしかった。
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エリン・ブロコビッチ
2000年アメリカ映画  監督 スティーブン・ソダーバーグ
出演 ジュリア・ロバーツ  アルバート・フィニー  アーロン・エッカート   131分

 今の社会、これこれの資格をもっているもっていないということだけでは、その人間を信頼するにたる条件とはなりにくい、職業意識の解体ぶりが、ある意味で、如実にあらわになりつつある様相をみせているわけだが、この映画は、いかにもそうした風潮に呼びこまれてきたような、資格をもたない痛快な大衆的ヒロインの活躍を、男女の役割逆転した<家>の問題などもうまくからませながら、文句なくおもしろく描いてみせてくれていて、日本では、まだまだ考えられないヒロインじゃないかと、思いつつも、まずは、よろしかるかる、だった。でも、ヒロインの熱意によって暴き出された公害問題というのが、最後には決定的な内部告発者による証拠資料の提出があるにもかかわらず、保証金の獲得=勝利という雰囲気に包まれておわるのは、やはり、いまひとつ、ヒロイン映画の限界のようにも、思えないこともなかった。莫大な金は出しても、非は認める様子もない公害企業にたいして、いったん心身ともむしばまれてしまった被害者は、ほんとは、どんな様子なのか。今も活躍中の実在の人物がモデルということだが、裏返すと、それが映画の売りになるほど、現実ばなれした、お話に近い特殊例、ということなのだろうか。というより、どこまでが、リアルなのか、よくわからない。だいたい、もとミスコン女王のナイスバディちらちらの、踵の高いサンダル、パタパタの、ファック!、シットゥ!連発の、あの自由さのスタイルが通用する人間、問題解決の場所というのは、どうしても限られてくるわけのものではないだろうか。不正を暴き、権利を勝ち取る、法的な勝ち負けの世界ならいざしらず?・・・・。(偏見!(^^;)でも、僕は何を言い出しているのだろう(^^;。ヒロイン映画としては、そんなことぬきにしても、やはり、痛快で、細部描写も、リズムもいい、十分に楽しめる映画だった。おどろいたのは、弁護士事務所と関わるきっかけとなった、最初の自動車事故の場面。看護婦のことは子供がいるからわかる、程度で看護婦の仕事にもぐりこもうとして(^^;失敗した直後の、観客は確かに主人公が乗って発進したのをみながらの、ワンショットでの追突事故。フィルムのつぎはぎが、あるのだろうが、いきなり追突してしまって、びっくり、いきなり映画の中のリアル感が増幅された感じだった。
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パーフェクト ストーム
2000年アメリカ映画  監督 ウォルフガング・ペーターゼン
出演 ジョージ・クルーニー  マーク・ウォールバーグ   130分

 このところ、実話にもとづく映画というのが流行りのようだが(皮肉のつもりか、最近観た映画「ダイナソ」の人気に便乗したようなダイナソなんとかという邦名のポンコツ怪獣映画―カネかえせ!と、すぐに観るのをやめてしまった、時々うっかりつかまされるたぐいの、詐欺的映画(^^;―が、これは実話にもとづく話だと、仰々しく、ナレーションをいれていたりしたのには、おもわず笑ってしまったが(^^;)、この巨大台風に遭遇して、超弩級の波浪に飲みこまれたまま、帰らぬ人となったという、小さなめかじき船の漁船員たちの話も、そういう設定になっている。しかし、実話の目のとどかない、目撃者のすべて消えてしまった、海のシーンこそが、この映画の主な舞台だとしたら、どうなるのだろう。前半部分での、とりたててどうということもない漁船員たちのそれぞれの日常を、あきさせることなく描いてみせる力にも、感銘するが、やはりなんといってもみどころは、ありえない巨大台風に逆巻く波の圧倒的な迫力シーンであろう。木っ端となって翻弄される、ちっぽけな人間世界という実感が、これはスクリーンが大きければ大きいほど、じんわりと身体に染みとおってくるような、映画ならではの、醍醐味である。沈没して行く船から、ひとりだけポッカリ浮かび上がった船員ボビーの、揺動するどす黒い圧倒的な波の片隅の、小さな、小さな存在感と、それだからこその、うちふるえるようなこの世への思いが、なにか僕たちの無意識に絶えず作動している、真性の<愛>(ああ、言ってしまった(^^;)を、まさに映画的作法で確認させてくれるようで、このシーンひとつだけでも、この映画は、僕に強い印象をのこしてくれた、作品だった。それにしても、荒れる海での、かじきまぐろとの格闘シーンなど、大迫力だったのだが、あの本物としか思えないかじきまぐろが、すべてつくりものだったとは、おーどろきぃ、であります。
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ストレイト・ストーリー
1999年・アメリカ映画  監督 デヴィッド・リンチ
出演 リチャード・ファーンズワース   120分

 なにげない日常の片隅で、腰の病に襲われて、ひとり台所に倒れる老いた主人公。それが、いかにもリンチ監督らしいショットではじまるのだが、さてこれからどんなリンチ・ワールドが展開するのかと見守る目には、ん?、ん?、と、一見肩透かしくわせるような、しごくまっとうな、まっとうすぎるくらいまっとうな映像が、のんびりと展開していくのに、とまどってしまう。が、しかし、それもつかのま。映像にはいりこんでいくうちに、それがまぎれもなくリンチ映画になじみの時間体験であることに、すぐに気づかされるのだ。肉体と意識のちぐはぐさからくる<老い>のもつ<不穏さ>。頑固な性格からそれを正直に生きる主人公を通して、異様に遅速した時間を、誰はばかることなく、<ワタシの時空>へと遡リはじめるとき、そこにはどんなトリップ映像?も必要としない、呆けるほどになつかしい<生の時間>が、夢の手触りで流れていく。そしてそれこそは、デビッド・リンチ映画の難解な世界からしみでてくる、単純で強烈な時間の風景そのものなのじゃないかと、観ているうちに気づいていくのだ。どんな電子機器の気配もない、静かな夜に身をよこたえて、稲妻に耳を傾ける主人公と吃音のやさしい末娘。二人の見あげるなつかしいような空。「嵐がすきだ」・・・「私も」・・・「あれは、穀物倉庫の音よ」と明かされる、遠い底鳴りの音。けっして恵まれた人生ではないからこそ、肌にふれてくるような、<いま、ここ>という、なんか忘れてしまったような、新鮮な時間の厚み。そして、そこからのびていく、さながら現在のどこかを行き迷うパラレルワールドのような、ほかならぬ<このワタシ>の生・・・・・・・・・。 
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ビーチ
2000年・アメリカ映画  監督 ダニー・ボイル
出演 レオナルド・ディカプリオ  ロバート・カーライル  ヴィルジニー・ルドワイヤン   119分


 文明社会を脱して、どこか美しく刺激的な世界で自分を取り戻したいと願うひとりのアメリカ青年が、猥雑で異国情緒あふれるバンコクにやってきて、五感をしびれさせるような美しいビーチのひろがる秘密の島への地図を手にいれる、というところから、この物語ははじまるのだが、もうこの地球上、美しい幻想を満足させてくれるようなどんな楽園も、ほんとはあるわけもないという、僕たちの時代の暗黙の了解をかろうじてすりぬけるようにして? その秘密の島は、どこか遠い海のかなたにあるのではなくて、観光客でにぎわう島々の連なりの端っこに、ひっそりと浮かび、美しいビーチを切り立つ岩山の崖によって、内側に、いわば内景として隠し持っている、というような設定になっているのが、うーん、苦しいといえば、苦しいが、しかしそれはまた同時に、この映画の主題のようなものを考えると、うまく設定された象徴的な在り様のようにも、思えないこともない。主人公の青年リチャードは、その島で目の醒めるようなビーチ(確かにはっとするような美しい色彩と静寂に心引かれるとしても、よくよくみつめていると、亜熱帯の奄美で育った僕などは、なつかしい!という気持ちは湧いてきても、そこで暮らしたいといった気持ちには、あまりならない程度の、ま、あの映画「コンタクト」にでてくる、宇宙のかなたの夢のような砂浜にくらべたら、ごくごく地上的な? 砂浜ではありましたが(^^;)に遭遇すると同時に、そのビーチを囲むようにして結社的な生活をする、色々な文明国からやってきた旅行者たちでつくるコミューン(どこかかってのヒッピー的共同体を思わせるそれ)にも遭遇してしまい、はじめは、このくらしこそ自分がさがしもとめていたものだ風な解放感にひたるものの、そのコミューンの内と外にくすぶる、共同体維持のための軋轢と矛盾が、ある事件をきっかけに、いっきに(いささか戯画的に?安易に?)浮上してしまい、自分をとりもどすつもりが、逆に自分をとりおとしていくといった個と共同体の別に新しくもない問題状況に直面、夢から幻滅への移り行きはすぐにやってきてしまう。そこから、この映画の、わかりやすいといえばわかりやすい主題のようなものが浮き上がってくるのだが、いわば<内景>としてあるビーチを、文字どおり<内景>として在らしめるための、この僕たちの現実世界のいやいやながらを装いながらのしっかりした全面肯定が、予定調和的に果たされていく、といった運びにななっていくこの映画をみながら、僕などはどうも批評的視線をエサにうまく世界支配をとりつけていく、なんかのプロパガンダ映画のようにも思えてきて、内容としてはあまりいい印象のものではなかった。だいたい、共同体を軸にして、あれか、これか、なんて、あまりに現代的主題としては古臭いのではないだろうか。むしろ、共同体を軸にしない、ビーチへの夢、みたかったのは、そのようなものだ、とか思いながら(^^;。
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                         更新日/2002年6月25日



(2001年UP)