父・金久正著「増補・奄美に生きる日本古代文化」(1978年・至言社刊)より、第11章「をなり神」を4回に分けて全文収録です。(ルビ文字は( )の中に、ルビ強調は下線で示しました。また文脈上あきらかな校正ミスと思われるところは文意を整えて示しました。)

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(U)
 「をなり」「ゐひり」の使用例を、もっと細かく調べると、ただ「をなり」という場合は、ふつう妹を意味し、姉を特に意味する場合は「すだをなり」または、「あね」(姉)という。妹という語はなかったようである。「えけり」は語源的にいっても、兄を意味する場合が多く、特に弟を意味する場合は「おととゐひり」または単に「おとと」という。「あに」「あにょ」なる語は、この島では新しい語のようである。
 それで「をなり」「ゐひり」の関係といっても、多くは兄と妹の関係を意味するので、これから兄、妹の呼称を用いて、をなり神について、もっと考えてみよう。
 をなり神すなわち妹(姉)の生霊は、神高い神で、特に海上にて危険にさらされる兄(弟)を救う力があると信ぜられている点に問題がある。この信仰は今日でも、特に船乗りたちには広く信ぜられているらしい。
 喜界島塩道の長畑某は、仲間の者たちと夜の漁に出かけ、途中大時化(しけ)に会って漂流し、二日の間島影も見えない大洋の中に浮沈していた。もう二日も絶食しているので、仲間の者は力尽き果て、櫂を取る気力もなく、この長畑氏だけが、まだ元気で独りで盛んに櫂を漕いでいたが、三日目の未明になって、不思議にも自分の「をなり」が自分を励ましているような声が聞こえて来たので、これはきっと助けられるのだと、いよいよ力を得て漕いでいると、夜明けとともに島影が見え出したので、それに向かって進むと奄美本島北部の笠利の浜に漂着し、そこの青年団の手で救われたという。
 これはまた、十数年前のこと、沖縄の某港から奄美大島に向けて便船があるというので、ある女が一人急用ができたので、これに乗船を申し込んだ。ところが乗客の中には女は一人なので、この発動船の船長は女一人はだめだといってその乗船を断わった。そのわけは舟人の掟として、女一人を乗船させることはできないことになっている。かならず「をなり神」が嫉妬するからだというのである。この女の人は急用なので、次の便船までは間が遠く、ぜひともこの船に乗りたい。それで警察に頼んで何とか渡りをつけようとしたが、巡査が頼んでも船長は頑として聞かない。
 巡査も「慣習法」の根強さに、へとへとしているところへ、船長が一策を持ち出した。それならよろしい。誰か女の写真があるならば、それを携帯することによって乗船を許すというのである。その写真と本人で女二人になるから「をなり神のやきもち」がないというのであろう。それでこの女は、やっと乗船できて急場をしのぐことができたという。「をなり神の嫉妬」というのは、つまりは、この船に乗っている「えけり」らの「をなり」の生霊が他の女と一対一で乗船すると、嫉妬して海上の旅を守護してくれないかもしれないというのが、その主な理由であろう。
 民謡にも、
  上(あが)る太陽(てだ)拝(う)がて、徳・永良部渡たて、
   をなり神拝がて、吾(わ)島戻り (前出)
 とある。
 それなら、なぜ、妹の生霊が海上の兄を守る力があると信ぜられるようになったのであろうか。ここに一つの大きな仮説をあえてのべてみよう。
 肉親の兄(弟)と妹(姉)との夫婦関係をタブー化する過程として、もし、この禁制を犯した「をなり」は、社会的圧迫が加わり、水の神と結婚すること、いい代えれば、水の神の「いけにえ」となることを余儀なくさせられたのではあるまいか。
 これによって、水の神の「たたり」を鎮め、水田稲作に供えたのであったが、後になって、霊観念の発達とともに、生きている妹(姉)の生霊に、こんな水(海)を鎮める力があると信ずるようになったのではあるまいか。こうみてくると、「をなり」は、つまりは田神の「うない」と通じてくることがわかる。
 をなりとゐひりが夫婦関係を結び、それが世間の知るところとなり、このをなりに山川の一本橋を渡らせるといった昔話が、よくこの島には伝わっており、また沖縄島の普天間の伝説は有名である。
 一人のをなりがあった。家の奥室に閉じ籠り、外出することなく、その顔を見た者がない。この女の妹が結婚することになり、その夫は、ぜひ姉に一回だけ会わせてくれと妹に頼むので、姉にはかり、やっと一回だけ姉に会うことができた。姉は自分の姿を見られたので恥ずかしいといって、山に逃げこみ、ある洞穴の中へ身を隠してしまった。家族の者が後で捜したけれども、この「をなり」の姿は、永久に見えなくなった。その後、この「をなり」の兄が中国に渡り、その帰途暴風に会い、危険が迫った時に、先に洞穴に消えて行った「をなり」の声が聞こえ出し、その霊力によって、海上の難を脱したという。
 次に、この島に残っていた「をなり神」を歌った「おもり」を、あげてみる。これは諸鈍部落近くの生間という部落の森実和喜という古老が覚えていたものである。「おもり」というのは南島で行なわれた長い詩形であり、沖縄にては、「おもろ」といっている。
 一、菊真をなりぢゃら
   上からも欲(ふ)しゃん
   下からも欲(ふ)しゃん
   下かちも否(ばあ)!否(ばあ)!
   上かちも否(ばあ)!否(ばあ)!
   御寺(うてら)の穴(がま)かち、
   落(う)てて行(い)け。
 二、今日(けふ)、来(きち)ゃる誇らしゃや
   今(なま)来(きち)ゃる誇らしゃや
   馬駄(うまだ)呉れろか、をなりぢゃら
   うりも否(ばあ)!否(ばあ)!えけのあじ
   せなみ呉れろか、をなりぢゃら
   うりも否(ばあ)!否(ばあ)!えけのあじ
   家(やあ)倉呉れろか、をなりぢゃら
   うりも否(ばあ)!否(ばあ)!えけのあじ
   小袖み袖呉れろか、をなりぢゃら
   うり呉れれ、えけのあじ
   吾(わあ)島かち、手持ち仕侍(しや)べろ

 一、菊真屋内(やうち)の妹の君は
   上からも所望され
   下からも所望され
   下へもいや
   上へもいや
   お寺のがまへ
   落ちてゆけ。
 二、今日来た、うれしさよ
   今きた、うれしさよ
   馬をあげようか、妹の君
   それもいやです、せの君
   牛をあげようか、妹の君
   それもいやです、せの君
   家倉をあげようか、妹の君
   それもいやです、せの君
   小袖み袖あげようか、妹の君
   それを下さい、せの君
   私の島への手持ちにしましょう。
 菊真は屋内の名、すなわち屋号であろう。をなりぢゃらの「ぢゃら」は、「あむしられ」の「しられ」(しりゃともなまる)と同語源で、敬称愛称の接尾辞である。この場合「しられ」に置き代えることができる。上、下は、村の上ブラレ、下ブラレの意味と、上流、下流の屋内(やうち)(家庭)を兼ね意味する。ばあ・ばあ=いやです。「かち」=「へ」と同じ意味で方向を示す助辞。誇らしゃ=うれしい。なま=いま。うまだ=馬の古称。せなみ=牛の古称。うり=それ。えけのあじ=えけりのあじ、あじはここでは敬称愛称の接尾辞に用いられている。
 いま通説にしたがって、この意味を要約してみると、菊真の「をなり」というのは、なかなかの美人で、上流の家庭からも下流の家庭からも、方々から結婚の申し出があったが、すべて「いやだ」といって断わる。やがて世間の圧力が加わり、そんな女なら山中の洞穴にでも行って失せろと、悪罵されるようになる。それでもうその村におれなくなり、山中に入り巫女になる。
 それから十数年経て、この「をなり」も、もう巫女としての修行も十分積んだころ、ひょっこり、この村に現われて兄に面会する。兄は、この面会を喜び、をなりが欲しいものは、何でもあげようというと、をなりは何もいらない、ただ小袖み袖(神衣)だけは自分の国への土産として貰って行こうという。
 この「おもり」は、をなり神を歌ったものに相違なく、もっと長かったのが忘れられて、これだけ残っているものと思われる。してみれば、この通説では「をなり神」の本旨は浮かび出てこない。
 したがって、この通説は再検討する必要がある。まず、「をなり神」という表現を正確に理解する必要がある。一般的には、「をなり」の現身そのものも「をなり神」と考えられがちであるが、厳密にいって「をなり神」とは、「をなり」の死霊または生霊を意味するものであることを、まずはっきりしておく必要がある。
 ここで問題になるのは、「うてらのがま」という表現と、「わぁしま」(吾島)という表現である。

(つづく)

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更新日/2002年7月7日
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