ts-194 クハ76085ほか4B


駅前広場で独り言‥‥

  忘れもしない1981年3月1日、雪の舞う福塩線を最後に、おいらの愛した70形は、国鉄線上から姿を消した。70形の牙城が、信越線、両毛線、上越線、中央西線と、次々に陥落してから、早や、20年以上が経過した。

  狭窓・3扉、戦前形都市近郊形電車である51形の後継車として登場した70形であるが、前面には姉妹系列の戦後形、80形の正面二枚窓が採用されている。おいら自身、電車の美しさは 「その車両(ハコ)を単色塗りにした時、初めて評価できる」 と考えているが、その点からは、70形は、決して誉められた外観とは言い難いのである。それは、クハ76形の茶坊主の例を見ても良く判る。

  しかし、側面に見られる戦前形の面影と、正面二枚窓の戦後形流線形の、ミスマッチとも言えるドッキングに、流れるような塗り分けで、青2号とクリーム2号(デビウ当初)をまとった時、あふれるばかりの軽快感とスピード感が生まれ、この絶妙なマッチングと塗色の多様さから、おいらは彼女を 『国電の華』 だったと思うのである。
  三浦半島の白砂青松を象徴した海を感じる塗色と、古都や軍港を沿線に持つ横須賀線の雰囲気が、70形に一種独特のスマートなイメージを持たせたと思うのは、おいらだけだろうか。70形は、石原裕次郎主演の映画にも、たびたび、颯爽と登場する。

  70形を中心に旧形国電を追いかけてきたおいらは、福塩線のお別れ運転を機会に、鉄道の世界から遠ざかった。ずっと、70形のファンでいたかったから‥‥と言ったら、言い過ぎだろうか。幼い頃横須賀線で、また、両毛線や上越線で、彼女らと日常生活のなかでつきあえた頃を夢に見る。有楽町のホームの外れに佇むと、70形の最期の想いが通じたような、新前橋から逗子へ向けての、信じられない、夢のような廃車回送を、幻のように思い出す。ビルの谷間に消えていった彼女らを思い出すたび、この鉄路の果てで、今も70形が活躍しているような、ふと、そんな想いにとらわれ、胸が熱くなるのだ‥‥。

  独り言が長すぎました。70形の世界にタイムスリップしたい方がいらっしゃいましたら、緑の窓口にお越し下さい。思い入れたっぷりの、 ななまるワールド にご案内いたします。

緑の窓口