東武 73・78型

 和光市に住み、東武鉄道の73・78型に夢中になっていたのは、ちょうど国際児童年の頃でした。街中には、GODIEGOのビューティフィルネームが流れてましたっけ..。GODIEGO、復活したようですが、今でもビューティフルネームを聞くと、ななはちを思い出します。このページ、BGMはビューティフルネームがお勧めです。

 朝、学校へ行く前に、ちょっと早起きをして、良く、朝霞の大カーブで撮影してました。ラッシュのピークを外し、6時台に集中して、続々と上ってくる73・78型は、まだまだ東上線の主力電車で、壮観でした。夏の夕方には、夕涼みがてら、バルブ撮影なんかもしてました。当時の首都圏の民鉄で、20メートル級旧性能電車がこれだけまとまって運用されていたのは、東上線が唯一だったように思います。
 撮影や車輌調査では、森林公園検修区のS.S氏に大変にお世話になりました。偶然にも母親と同郷のご出身とかで、何かにつけて可愛がって下さったことを、ありがたく思い出します。
 学校帰りに東武練馬で買い物し、入線してきたななはちに飛び乗ったとたん、雨に濡れた東武ストアの紙袋(当時、レジ袋は無かった!)の底が抜け、板張りの床に、キャベツやキュウリをばらまいてしまったり、中間の運転台に入ってたら、ヤンキーの兄ちゃんにタバコの吸い殻を投げつけられたり、まあ、いろいろなことがありました..。もう、時効でしょうけど、かく言うおいらも、乗務員扉の窓を落とし、大きく身を乗り出しながらつりかけモーターの音を聞いたり、池袋では当然のことのように、乗務員扉を中から開け、下車してました。
 この頃、朝の上り電車の運転台に侵入し、施錠してカーテンを降ろし、ラッシュの混雑を尻目にサイコロ振ってた連中が逮捕される事件が起こり、OLも加わってた云々含めて派手に新聞に書き立てられるなど、何かと話題にことかかないななはちだったのです。東上沿線に住み、73・78型に惚れていたおいらですが、東上線のイメージ形成において、彼女らの存在が無関係であったとは申しません。
 定期入れにしのばせた池袋駅発の時刻表には、8R・6Rの違いを含め、しっかりと73・78型の運用がチェックしてあったので、学校帰りには必ず、モハ7820形最前部の、二人掛けの席に座って帰宅してました。和光市駅の下車口が最前部だったしね。でも、試験の最中なんかは、参考書を開くけれども目が行かず、運転士のマスコン&ブレーキさばきにばっか目が行ってしまい、参考書を開いても、それは単なる気休め程度だったのを覚えてます。

 最近、思わず笑ってしまったのは、発売された東上線のシュミレーションゲームに、おいらの住んでいたアパートが、チラッと出てくるのです。
 成増駅を発車して十分加速し、惰行で白子川の築堤を渡り終えると、再びノッチを入れて左カーブを駆け抜け、オリンピック道路をアンダークロスすると、ガクン、ガクンと、2回ほど、車体が大きくバウンドする場所がありました。その先の切り通しの、右手上にあるアパートに住んでいたのです。そこは下り方面(寄居方)に向かって上り勾配なので、静かになった夜更けなど、つりかけモーターの音がうるさい程良く聞こえました。壁に貼った時刻表の、最終の73・78型の運用には「おやすみななはち」の愛称があり、モーター音を聞いてから眠りに落ちたのを思い出します。..ホントに懐かしい、東武の73・78型電車です。

 なぜ、和光市に住んだかって? おいら、幼少時から東武電車&東武バス好きだったこともあるけど、東京に最も近い、広々とした豊かな田園風景の中で、長大編成の旧形電車を見ることできたのが、和光市だったのです。とかく本線と比較される東上線ですが、本線には無い旧形車の8R運用が1本だけありました。これが東上線を地元とする、ななはちファンの唯一の自慢! 本線に比べ、63形をルーツとする73型も多かったしね。
 それでは、73・78型の魅力を最大限に引き出したと思っている画像を先頭に、池袋駅から和光市駅界隈まで、ありし日の勇姿をお楽しみ下さい。まだこの当時は、営団有楽町線の工事は始っていません。(このページでは東武の表記に準じ、「型」で系列、「R」で編成を表します。)


78-tj-041 モハ7820形ほか6R

いい、いい、断然いい!

常々考えるのだが、電車の美しさは単色塗りで見えてくる。また、その魅力は「半流」「前パン」「幌付」「狭窓」で決定付けられる。昭和50年代前半の首都圏の民鉄に、これ程硬派で端正な、迫力ある電車がいたろうか? 東武73・78型をおいて他にいなかったと考える。しかし、陳腐化した車輌と見なされ、一身に悲哀をかこっていたのも彼女らであった。何ともいとおしい、東武最後の「旧形」電車であった。


78-tj-281 モハ7847ほか6R

池袋駅5番線

モハ7847を先頭に、池袋駅5番線(特急・急行・準急ホーム)に停車中の川越市行の準急電車。どの列車が73・78型か、何両編成か判っていたので、並ぶ位置が決まっており、学校帰りは必ずモハ7820形(もしくはモハ7870形)の最前部に座って帰ってきた。準急電車に乗ると、和光市駅は二駅目である。この図こそ「 Look for Nature 池袋から東武東上線」のイラストのベース。地元の方しか、判らない?


78-tj-031 モハ7820形ほか6R

大山駅で

この風景を見ていると、プラットホームの屋根の圧迫感と共に、空間には制輪子の焼けた匂いが充満し、漂ってくるような錯覚にとらわれる。今まさに停車位置に止まろうとする、モハ7820形を先頭にした成増行き各駅停車。東上線ではパタパタとめくれる方向板を使っていた。63型時代から使われたすぐれモノ。詳しくはリンク先の「回転行先板研究所」をご参照下さい。 


78-tj-021 クハ300形ほか

七夕の街を行く

大山は、都内でも武蔵小山と双璧をなす、物価の安い街と言われていた。アーケード街の七夕飾りは賑やかで、旧形電車とのカラミを狙ったが、アーケード側は意外と暗く、この画像は人混みを避け、朝早く、区役所側から撮ったもの。着物を着た女の子が踏切にいる。当時は、TR25を履いた73型が、踏切を通過するのがごく日常の街であった。


78-091 モハ7820形ほか6R

夜の下赤塚駅

ダイヤグラムをチェックしながら、夕涼みがてらのバルブ撮影。信州や関西に撮影遠征をする前の日の夜などは、予行演習と称して、こんなお遊びをやっていた。新宿駅からアルプスに乗るにも、東京駅から347Mに乗るにも、まずは73・78型を選んで乗車して、池袋に行ったっけ。


78-tj-241 モハ7820形の並び

乗り換えのひと時

当時の東上線のダイヤ設定は、成増止めの各駅停車に、準急電車が接続するというものであった。準急電車が入線してきたところなので、後ろの1番線には成増止り各駅停車の、73・78型が停車しているはずである。4番線には8000型が見えるが、この一瞬には、4線の内の3線に78型が並んでいる。2人が持ってる新聞の紙面に「長島骨・・」の文字が踊っている。


78-tj-171 モハ7870形ほか6R

ただいま力行運転中

白子川の築堤を過ぎ、オリンピック道路をアンダークロスし、アパートの前の切り通しにさしかかった、モハ7870形を先頭にした寄居行準急電車。78型は初期の車輌を除き、国鉄80形に使用されたのと全く同じ、U形押込形ベンチレーター(大型)を装備していた。パンタグラフが連結面にある車輌は、イマイチである。


78-tj-061 クハ300形ほか6R

切り通しを抜けて

上の画像の対称地点からの撮影である。73型は更新修繕にあたり、国鉄の73形と同様、グローブ形ベンチレーターを継承していた。当時、画像に見える家並みの一軒に住んでいた。今は営団有楽町線と併走区間となっている場所である。


78-tj-271 クハ300形ほか6R

アパートの下で

和光市駅を発車した池袋行き電車は、このあたりまでには加速を終え、ノッチ・オフ。下り勾配を惰行運転で白子川の築堤に向う。画像の左上には大和中学校が、右上にはアパートがある。この時は、洗濯をしながら時刻表を確認し、切り通しに下りての撮影だった。振り返ってみると、旧形電車好きな鉄ちゃんにとって、恵まれた、夢のような生活だった。


78-tj-261 クハ817ほか6R

屋上歩み板付クハ817

東上線には4R固定の78型が5本あったが、ガラベンに木枠窓、ヨロイ形ブラインド付きのモハ7800形は、5000型の種車として、真っ先に消えていった。形態的には最も面白く、当初の計画では、2R固定で製作されたモハ7330形は、後にクハを電装し、付随車を新造して中間に組み込み、Mc+T+T+Mcとする計画があったと聞いた。


78-tj-181 クハ329ほか6R

和光市周辺の印象

押込形ベンチレーターを持つ異端車の、クハ329を最後尾にした寄居行急行電車。和光市周辺は武蔵野台地の北東端にあたり、その台地を、荒川に流れ込む幾筋かの小川が谷を刻んでいた。切り通しあり、築堤ありで風景が変化に富み、武蔵野の雰囲気も留めた楽しい撮影地であった。線路に沿った高圧線の鉄塔が、いかにも東京郊外の民鉄らしい。これと同じ場所の写真が「東武鉄道80年」(P158)に掲載されている。


78-tj-071 クハ300形ほか6R

雪晴れの朝

ちょっと早起きした雪晴れの朝、出場したてのぴかぴかのクハ300形を先頭に、寄居発池袋行の急行電車がやって来た。この撮影ポイントは、上の画像とは線路を挟んで反対側、大和中学校の正門前あたりで、駅に向かう道すがらである。風景は、どう変化しているのだろう。好きな場所だっただけに、行ってみるのが恐いような気がする。


78-tj-201 クハ300形ほか8R準急

あこがれの8R準急

和光市駅を出発し、池袋に向かう8Rの準急電車。おいらは、これに夢中になった! 生まれは63形のつりかけモーター音を聞きながらの通学は、旧形国電ファンにはこの上ない贅沢で、特にモハ7328のつりかけサウンドはすさまじかった。最後尾付近に見える踏切で、先頭にアップしてある画像は撮ったものだが、この踏切付近の地下あたりを、東京外環自動車道が通っているはずである。先日、地図を見ながら外環を通り、「ああ、この辺りだなぁ」と、無性に懐かしい思いをした。


78-tj-051 モハ7820形ほか8R

8R快走

73・78型の8R運用は、急行から各停まで使われていた。通常、寄居方から78型2R+78型2R+73型4Rで組まれていた。73型に比べ、78型の4R固定は5本しか存在しなかったため、78型のみで8Rが組まれることは少なかった。また、当時、2R×4本の8Rは出現しなかった。この撮影場所で135ミリで引くと、先頭にアップした画像となる。


78-tj-211 モハ7820形ほか

和光市駅で

当時の和光市駅は、大和町駅時代からの、平凡な小さな駅舎だった。下り線と駅舎の間には植え込みがあり、四季折々の花が咲いていた。この日は梅雨の合間の薄日が射した日で、タチアオイやあじさいの花が満開だった。ホームに見える駅名標が、この年に襲来した台風の突風で落ち、ガラス製なので3つに割れ、駅員さんから頂戴したものが今でも残っている。


78-tj-161 クハ329ほか8R準急

おはよう! 8R準急

朝の6時台には、ラッシュ時間帯を避け、続々と73・78型が上って来た。学校に行く前、早起きして朝霞駅の和光市駅寄りにある大カーブに行き、ねらった8Rの準急電車。8Rの一日は、この2150T列車で始まっていた。カーブの外側には、朝霞キャンプへの引き込み線の、廃線跡が残ってた。キャンプ内のプラットホームに、東武の63型が入線している写真を見たことがあるが、朝霞なのか光が丘なのか、また、どこで見たのか記憶に残ってない。この当時、営団の車庫になった辺りは一面の雑木林で、泉も沸いていた。もう、その泉も無いだろうなぁ...。



 和光市でななはちと一緒に暮らした頃を思い出す度、幼い時、親から与えられた絵本に「小さなおうち」という一冊があったことを、思い出す。
 ...のどかな田園地帯の丘の上に建てられた小さなおうちは、ネオンの明かりが夜空を焦がす、遠くの大都会にあこがれる。時が経つにつれ、小さなおうちの周囲は宅地となり、やがて住宅地はビル街となり、都市化されていく。いつしか小さなおうちの前には電車の高架線まででき、人々は早足でしか歩かなくなってしまう。その頃にはもう、ネオンサインや街路の明かりで、いつが昼なのか夜なのか、四季の移ろいさえもわからなくなってしまってた...。小さなおうちは、やっぱり都会はいやだ、鳥がさえずり、りんごの花咲く郊外がよかったとなつかしがり、失ってしまったものに気が付く。そんなある日、家を建てた人の子孫がやって来て、小さなおうちを郊外に移築し、ハッピーエンドとなるストーリー...。ふた昔前の、和光市の田園風景を思い出す度、頭に浮かぶ一冊の絵本です。

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