「蚊の目玉のスープ」存在調査顛末記


中国には「蚊の目玉のスープ」なるものが存在するという。以前何で読んだのだろうか、そんな話が頭の片隅に残っていた。

ところが、先日中国の方と話をしていた折、たまたま蚊のことが話題に上り、ふとその料理のことを思い出し話してみると、その方の反応は意外なことに、そんなものは存在しないと一笑に付し、取り合ってくれない。果ては私が冗談を言っていると思われる始末。いつも私が冗談ばかり言っているのでこの話も冗談だと思われてしまったようだ。「狼が来たぞ」の話しではないが、いつも冗談を言っているために真面目な話も信用されなくなってしまったのでは、私の沽券に係わる。話題を出した行きがかり上、その存在を突き止めるべく、失われた私の威信を賭けて「蚊の目玉のスープの存在調査」をはじめることになった。目標は、その料理の中国名を調べること。証拠として確かな文献、写真などがあればなおよい。

手っ取り早くネットで検索をかけると、すぐに情報は集まった。
それは洞窟にいる蝙蝠が蚊を食べ、その目玉だけが消化されずに糞として排出されるものを集めて、裏ごしにしてスープにするという。非常に高価なもので、日本円で3、40万ほどもするという。しかし肝腎の、料理の中国名が書いていない。他のページも似たり寄ったりで、まことしやかに書いてはあるが、全ての情報が孫引きのようで、実際に自分で食べた、という一次情報、また中国名を書いている情報が全くない。
 そこで調べ物の本道である書籍情報に手をつけてみた。しかし意外にこのような分野の本が少ないことを知らされた。日本では中国の原書の入手もままならない。
 しかし、どの分野にも人が目をくれもしないようなことに興味をもって、調査し、書いている人はいるものである。一冊の本に行き当たる。
「ご存知のように中国はグルメの国である。とにかく、コウモリの糞を洗い出し、消化されない蚊の目玉を集めてスープにしてしまう国である。もっとも有名なこの話はウソで、小エビの目玉だそうだが…。(以下略)」(『虫を食べる文化史』梅谷献二 創森社)
 これによると、実際の素材は蚊の目玉ではなく、実は小エビの目玉を蚊の目玉に見立てているだけだ、ということらしい。ようやく解決の兆しが見えてきただろうか?しかし、この本さえも「だそうだが…。」という伝聞調で書いており、その小エビの料理の名前も登場しない。

さらなる調査で、各国を歩き回り様々な珍食奇食に挑戦し、たくさんの著作をお出しの小泉武夫さんの著書のこんな文に辿り着く。少し長いが引用してみよう。「中国ではトンボを天鶏、ムカデを蝍蛆(しょくしょ)といって食べることが多いが、その中国の広東に、一風変った珍品中の珍品料理があって、しばしば食通の話題を集める。それがすなわち「蚊の目玉のスープ」という代物である。蝙蝠は別名を「蚊喰い鳥」とよばれるほど蚊が大好物で常食にしている。従ってその糞の中には蚊の目玉がたくさんあるだろうと考え、そこからあみ出されたのがこの料理だという。この「目」と称する部分をスープに散りばめるとたいそう美味で珍しいことから、天下の珍味と称えたそうである。そもそも蚊の目玉は古来中国では「夜明砂」と名付け、老舗を誇る薬屋の看板に掲げられたというが、これは蚊や蝙蝠は夜明けでも目が見えるというので、夜盲症の薬にひっかけて薬屋の看板になったものである。しかし、実際には蚊の目玉などという代物があろうはずはなく、この料理はつくり話であって、スープに点々と浮く黒く微細な目玉はアミのような小さなエビの子である蝦子(ハアツー)の目玉なのである。だが、これを知って騙された、などと怒ってはいけない。昔から「目をむくより口を向け」(怒るより、よく説得すればもっとうまいものにありつけるかも知れない)という諺があるではないか。」(『奇食珍食』小泉武夫 中央公論社)

これはかなり説得力のある記述である。おそらく上記の梅谷さんの記述はこの小泉さんの著作を引用しているのであろう。

結局、蚊の目玉は小エビの目玉だった、ということで、ようやく話は解決を見たかのようだ。しかし、生来の天邪鬼の私には、どうにも腑に落ちない。あれだけまことしやかに語られている蝙蝠の話、蚊の話は全く根拠のない話なのだろうか?「火のないところに煙は立たず。」で全く存在もない根拠のない話がここまで詳細に語られていることが、どうも私には納得がいかないのである。なにしろ中国は「四足はテーブル以外、二足は梯子以外は食べる。」と揶揄されるほどの国である。こんな料理があっても全く不思議ではない。専門家の小泉さんに楯突くつもりは毛頭ないが、ここからは私自身の調査を進めるほかはないようである。

蚊の目玉の方面からの調査は行き詰ってしまった。かくなる上は、蝙蝠の糞の側からの調査である。

こういう時に頼りになるのは万物を分類し、薬として薬効などを体系付けた本草書であろう。もともと中国には医食同源という考え方があり、食べ物は薬としての作用を持っていると考えられている。その本草学の集大成とされる、明の時代に書かれた『本草綱目』にはこんな物が薬になるのかというような、例えば人の陰毛とか、耳垢などまで…ありとあらゆる物が、薬効などとともに紹介されている。

さて、肝腎の蝙蝠の糞である。上述の小泉さんも述べていたように、蝙蝠の糞は「夜明砂」といわれるらしい。清の時代に編まれた『本草備要』を調べてみると、あるある、「夜明砂」。その項を読んでみるとこうあった。「蝙蝠屎也。食蚊。砂皆蚊眼。故治目疾。」すなわち、夜明砂というのは蝙蝠の糞で、蝙蝠は蚊を食べる。砂のようなものは全部蚊の目玉だ、というのである。なんと、探していたものはこれではないか! なんのことはない、私の専門たるべき分野の範疇に答えがあった。はからずしも自分の勉強不足を露呈してしまったようで、お恥ずかしい次第ではある。ちなみに最後の、目の病気を治す、というのは、例えば動物の肝臓は肝臓の病気に効く、などという考えと同じで眼が目の病気に効く、という中国医学お得意の発想法である。

では、この夜明砂が単品ではなく、何種類かの生薬を組み合わせる方剤ではどのように用いるのだろうか。これも清の時代の医学書『医方集解』には眼の病気を治す「羊肝丸」という処方で夜明砂を用いることを述べ、その説明に、「蚊食血之虫、夜明砂皆蚊之眼也。故能散目中悪血而明目」とあり、さらにその注釈として、「蝙蝠食蚊而眼不化、其屎為夜明砂」とある。すなわち、蝙蝠が蚊を食べ、眼が消化されず、その糞が夜明砂である、と言うのである。先程の本草備要とほとんと同じ内容、効用を言っている。

また、やはり清の時代の医書『血証論』の中には、「代抵当湯
(一銭酒炒)、莪朮(一銭)、山甲珠 (三片)、紅花 (一銭) 桃仁 (三銭)、丹皮 (三銭)、当帰 (三銭)、牛膝 (二銭)、夜明砂 (三銭)
山甲攻血, 夜明砂, 是蚊被蝙蝠食後所化之糞, 蚊食人血, 蝙蝠食蚊, 故糞能去血, 嚙死血, 餘藥破下, 務使瘀血不留。」とある。すなわち、夜明砂は蝙蝠が蚊を食べた後の糞で、蚊は人の血を吸い、蝙蝠は蚊を食べる。だからその糞は血を取り去る。と、やはり同じことを言っている。

『本草備要』には夜明砂の薬効として、「散血、明目」とあり、また上記の方剤の効用でも、夜明砂の効用を「羊肝丸」のように目に良い、という作用を取るものと、代抵当湯」のように血を散じるもの、という作用を取るものとの二通りに集約されるようだ。これを見ると、明らかにこの「夜明砂」の作用は、蝙蝠の糞、という理由で考えられているのではなく、あくまでもその中の蚊の目玉-蚊が血を吸うところから「散血」、または、中に入っているところの目玉から「明目」-を前提とした効用を考えての薬効なり処方である。

さて、夜明砂の薬効はさておき、これが例の「蚊の目玉のスープ」の素材の典拠と考えてよいのではないだろうか! 実際にこの夜明砂の中に蚊の目玉が含まれているかには一抹の疑問が残るが、とにかく、正統的な医書にも取り上げられるぐらい、蝙蝠の糞に蚊の目玉が含まれ、そしてそれを薬に用いる、という考え方がある、というところまでは突き止めた。

さて、素材は解決したが、残るはこれを使ったスープである。要するに、この夜明砂を素材に用いたスープが、目指す答えということになる。
素材が薬剤である以上、まず探すのは、薬剤をうまく調理しておいしく食べられるように考えられた、医食同源の精華とも言うべき薬膳を探すのが近道だろう。ネットで検索をかけてみると、中国のサイトでいくつか夜明砂を使った薬膳料理に当たった。
 その中についに!夜明砂を使ったスープがあるではないか。「夜明菜心湯」「夜明谷精湯」がそれである。ちなみに「湯」というのは中国語でスープのことである。
 「夜明谷精湯」にはレシピも書いてある。翻訳の上書いてみよう。

材料 夜明砂6グラム、羊の肝臓50グラム、谷精草6グラム、刻みネギ5つかみ、塩、コンソメスープ適量、味の素1グラム

  ・作り方 羊の肝臓を刻んでおく。鍋を火にかけ、スープ、夜明砂、谷精草を入れ、10数分煮込み、薬剤を取り去る。スープに羊の肝臓、ネギ、塩を入れ、十分煮込む。味の素で味を調える。

とりあえず2種類を探し出したが、おそらくこれ以外にも夜明砂を用いたスープはたくさん存在するであろう。

ついに幻の(?)蚊の目玉のスープに辿り着くことができた。意外に大掛かりな調査になってしまったが、思うような結論が導き出たことはとても幸いなことである。
 あとは、実際に中国へ渡り、中国本土で実物を探す旅になるであろうか。夜明砂がいくらぐらいか、そのスープがいくらか、実物に当たって、調査の結びとしたいものである。また、科学的な調査として、夜明砂の中に本当に蚊の目玉が入っているのか、内容物の分析調査も面白いであろう。蚊の目玉のスープを求めての中国旅行、というのもバカバカしく、かつ高尚(?)で、おつなものではないだろうか。願わくば、大変高価であるというそのスープに巡り合った暁には、即金で会計を済ませて、祝杯としてガブリと飲み干したいものである。

とりあえずここまでの調査で、「蚊の目玉のスープ」は決して荒唐無稽の産物ではなく、むしろ中国伝統の医食同源の思想、中国医学の思想に基づいた、まっとうな料理であったことを証明できたのではないだろうか。これで冗談だらけで失墜してしまった私の信用も少しは回復するよすがとなったであろうか?    
                              完

                         

付記: この調査を進める中で、つい最近(2005年の9月ごろ)のニュースに、この夜明砂には、かつて中国のみならず、世界中を恐怖の底に突き落としたSARSに似たウィルスが存在するとの発表があったことを知った。その後の調査でそのような危険性はない、とも発表されたようだが、いまだに多用を慎むようにとの勧告も出されているようだ。「君子危うきに近寄らず。」残念であるが、夜明砂の賞味はやはり幻としておいたほうがよさそうだ。この文を読んだ方も、できれば「蚊の目玉のスープ」を楽しむのは慎まれた方がよいのではと思う。「死ぬのが怖くてフグが食えるか!」という言葉もあるぐらいなので、命と引き換えに楽しむ覚悟がおありでしたら、それ以上止めはしませんが…