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西洋館の歴史


登録有形文化財 西洋館倶楽部(渡辺家住宅)

平成11年7月8日登録  
登録番号 12−0009 
木造3階建て スレート葺 
建築面積146uサービス

西洋館倶楽部は平成11年7月に県内9番目,市川市内最初の登録有形文化財に文化庁より指定されました。嘗て敷地内にあった日本屋敷は今はありませんが応接間の機能を果たしていた西洋館は建創当時の姿のままです。

西洋館の歴史
西洋館倶楽部 代表 渡辺俊司

創設
西洋館倶楽部は私の祖父,渡辺善十郎が大正末から昭和の初期にかけて建築した渡辺家市川別荘の一部です。一部と申しますのは建創当時の西洋館は日本屋敷を中心とした広い屋敷の一部であり約1,000坪の敷地に住居としての日本屋敷,庭園,邸内道路,車庫などが点在していたからです。渡辺善十郎は兜町で明治31年創業の株式仲買人(証券業)丸水渡辺商会株式会社を経営しており,昭和初期には日本橋区長,衆議院議員等も勤めました。その他日本橋倶楽部創設,日本橋女学館理事,日本橋警防団団長(戦時中は警察と消防が一緒になり警防団となりました)など地域貢献もした人物です。関東大震災で深川の邸宅を焼かれ市川別荘を建て引越しました。しかし当時の市川は総武線が両国止まりで(昭和9年の全線電化で隅田川を超えました)都内に出るには不便でした。(叔父は慶応まで2時間かけて通っていたそうです)結局一家は短期間で深川に戻ってしまいました。
     


         
  渡辺善十郎(1883〜1967)               渡辺家熱海別荘の上棟式

                
                        渡辺家ファミリー(深川本宅)

   
    次男渡辺善次郎ガルミッシュパルテンキルフヘンオリムピック(1936年)出場の見送り風景
       (東京駅 フィギアスケートに出場 花束の少女は稲田悦子選手12歳)

                            
戦時中
留守宅となった西洋館には国府台陸軍野重砲連隊の将校として赴任された東久邇宮盛厚王の宿舎に指定され東久邇宮殿下は国府台時代を渡辺邸で過ごされました。現在隣のマンションの裏に市川市の建物が有りますがここは観音開きの正門の横にあった交番の名残です。
戦時中の西洋館は再び空家となりましたが市川空襲の際,敷地内にも焼夷弾が落ちましたがいずれも不発弾だったようです。一部発生した火災は御近所の方々の協力で消し止められたと云う話もきいております。不発弾の方はゼリー状のガソリンが入っていて後に父が風呂の燃料に使用したと云う話も聞いております。また西洋館倶楽部のエントランス横に3つある水槽は当時の防火用水槽です。

戦後
私の両親の住居となり時代の変遷とともに日本屋敷部分を売却し(今のマックスバリュの処),敷地内にマンション(インペリアルハウス)が建ち西洋館だけが昔のままの姿で残りました。私,渡辺俊司はこの家で生れ,この家で育って参りました。

西洋館倶楽部の誕生
住居として使わなくなった西洋館は,歴史的建造物の保存と有効活用を目的として隣に20坪程の音楽ホールを建築しギャラリー&コンサート いちかわ西洋館倶楽部として平成9年にオープンいたしました。同年に国の登録有形文化財に登録されたのも嬉しいことでした。音楽には素人の私ですが好きなシャンソンのライブ会場になればとのささやかな夢もありました。現在は幅広い音楽シーンのロケーションとして使われています。多くの皆様に愛される音楽ホールとして良質の会場を提供するよう努めております。