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ブレヒト叙事的 劇的演劇 対照表
ブレヒト叙事的演劇とは
ちょっと考えれば誰にでもわかる。
それがブレヒト演劇です。

芸術や文学はエンターテインメントです。
ところが、それが研究の対象にされてしまうと、このイロハが忘れられ、あいまいなものや難解な作品が偉いとされます。

でないと、研究者の存在理由がなくなってしまうからです。わかりやすいブレヒトの詩より、難解なツェランの詩を研究する人のほうが圧倒的に多く、ゲーテのお言葉がありがたく引用されるのです。「詩は、通訳できなければできないほど、頭で理解できなければできないほどすぐれている」

しかしブレヒトは観客を謎の深淵に誘い込んだりはしません。あいまいなもの、難解な作品が偉いとされる。その大罪をブレヒトは憎んでいました。

ブレヒト劇 「母(おふくろ)」 の冒頭で女主人公が登場して観客に語りかけ、自己紹介をし、自分の置かれている貧困の状況を説明しますが、こういうことは慣習的なドラマの概念では考えられないことでした。
1935年にこの作品がアメリカで上演されたときは、こういう部分はすべて常識的な劇の書き方に改められてしまいました。
こういうアレンジをブレヒトの原作と比較してみると、従来の劇が観客を自然に(芝居であることを忘れさせるように)芝居の世界に入り込ませるために随分まわりくどい手法を使わなければならなかったかということが分かってきます。
自己紹介や語りの導入によって節約された分だけ芝居のあつかう範囲は広がるし、それ自体で完結している短い場面を連ねていく「叙事的」構成は、長い事件を多くの段階で追っていけるという利点を提供してくれました。
ブレヒトは各場ごとの冒頭に、簡単な筋と結末を幻灯で示しました。
観客が予(あらかじ)め筋の予備知識をもつことは、事件を伏せておいて不意打ちを喰わせる従来の芝居よりも、事件がどのように起こったかの観察に集中できるメリットがあるんです。
「叙事的演劇」を体系化する必要を認めたブレヒトは「マハゴニー市の興亡」の注の形で従来の「劇的演劇」との対照表を作っているのでここで紹介しておきます。

従来の演劇の特徴 ブレヒト演劇の特徴
演劇の劇的形式 演劇の叙事的形式
行動的 物語的
舞台は出来事そのものを表す 舞台は出来事を物語る
観客を舞台の行動に巻き込む 観客を観察者にする
観客の行動性を消費する 観客の行動性を喚起する
観客に種々の感情を起こさせる 観客に決断を下させる
体験 世界像
観客に体験を伝える 観客に知識を与える
観客は筋のなかに引き込まれる 観客は筋と向かい合う
暗示が用いられる 論証が用いられる
感動が蓄積される 感動が認識に駆り立てられる
観客は舞台の人物と同じ体験をする 観客は舞台と対決して学ぶ
人間は既知のものとして示される 人間は研究の対象となる
変わることのない人間 変わりうる、また変わりつつある人間
結末に向けられた緊張 過程に向けられた緊張
ひとつの場面は他のためにある それぞれの場面が独立して存在する
成長 モンタージュ
事件は直線的に進む 事件は曲線的に進む
展開の必然性 飛躍
自然は飛躍をなさず 飛躍をなす
固定したものとしての人間 過程としての人間
あるがままの世界 変わっていく世界
人間の当為(ゾレン) 人間の必然(ミユツセン)
人間はこうだと示す 人間はこうでなければいけないと示す
人間の衝動 人間の動機
思考が存在を決定する 社会的環境が思考を決定する
感情 理性

このリストは両者の特徴を極端に強調して出したので、ひとつの目安にすぎません。
ブレヒトの演劇は感情をすべて否定する理性の演劇だとは絶対的にではなく相対的にいってそうだというだけです。
役者の行動のモチベーション(動機)はむしろ劇的演劇の演技法のほうがやかましく言いますが、ただ動機を社会的でなく個人の性格などに求めがちなので衝動と書いてあるのです。そういうことも頭に置きながらこれからの作品を読むときの参考にしていただければ、多少の役には立つでしょう。
もっとも「母」の冒頭の語りかけ場面にしても今日では違和感を覚える読者はそうはいないでしょうが、こういう書き方に慣れてきたのもブレヒト以後のさまざまな実験が浸透したせいで、イプセンなどの書法が常識だった時代にこういう書き方がいかに異様であったかを示すのが前述したアメリカの労働劇団の「母」の改作なのです。
20世紀になってから、多くの作家や思想家が深刻な顔をして、「語りえぬもの」に注目するようになりました。ですがブレヒトは逆に、「語らなくても誰にでもわかること」を描いたのです。ブレヒトの流儀は風通しがいいんです。

あいまいさや「語りえぬもの」への信仰が、ドイツ文学の伝統になってきました。

ドイツ文学に限りません。ピカソは、「見ることのできないもの・描くことのできないもの」の探求が現代絵画を駄目にした、と言います。「語りえぬもの」にブレヒトが手を出さなかったのは、芝居の現場で、コミュニケーションのむずかしさを肌で感じていたからではないでしょうか。

精神科医の中井久夫氏によると、「精神科医は、よく、伝達の内容は音調その他が3割、言語の文法構造によるものが1割、あとは伝わりそこなうという」。文章がコミュニケーションに1割しか貢献しないのなら、その1割を充実させよう。「語りえぬもの」はツェランのような求道者にまかせて、エンターテイナーの俺は、ちょっと考えれば、心に届く言葉をクリアに書こう。ブレヒトはそう考えたのでしょう、きっと。
能力のない作家や芸術家に限って、「語りえぬもの」を表現したがるようですが、偉大な古典作家のブレヒトは、ヴィトゲンシュタインの「言うことができることは、クリアに言うことができる」を自分の流儀にしました。わかりやすくすることで楽しませることができるのは大物の証拠です。

ブレヒトくん。解説どうもありがとー
実際のブレヒト。

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参考文献
ブレヒト戯曲全集 未来社
ブレヒト戯曲選集 白水社
人と思想64ブレヒト 清水書院
暦物語 光文社古典新訳文庫