昭和51年に19歳で免許を取って以来、ほぼ四半世紀、車に乗り続けた事になります。
        この間、私の相棒として活躍してくれた車は、現在のインプレッサを入れて34台、本当は全部紹介したいのですが、
        写真が残っていなかったり、あるいは写真を撮るヒマもなく他界してしまった車もあったりして、とても全部は紹介する
        事が出来ません。そこで、写真が残っているものだけに限り、ここに紹介してみたいと思います。

  昭和49年式 三菱 ギャランGTO 2000SL−5
 記念すべき最初の相棒です。免許を取ってすぐに買いました。
 当時の価格で89万だったかな・・・頭金40万で、残りは2年間の月賦(笑)。
 立っているのは当時19歳の頃のやぎしたです。
 いや〜、若いですねぇ・・・・。もう24年も前の姿ですわ。細いし・・・(爆)。
 アルミホイールなんて宝くじでも当たらないと買えなかった時代のこと、
 当たり前のように、鉄チンホイールに165のラジアルを履いています。
 こいつではあっちこっち出かけたものです・・・。いや〜、懐かしいなぁ。
 この車で初めてダートラに出ましたが、所詮はツーリングカーでしたね。
 戦闘力の無さを痛感して、古いけれど闘える車と言うことで次の車、下に
 あるギャランに乗り換える事となります。(下取りに出したらお釣りが来た)
  昭和47年式 三菱 ギャラン16L−HT1600GS
 ダートラをやるために買った車です。
 名機4G32には、SUツインキャブが装着されていました。
 アクセルOFFの時に響く、ギュ〜ン!という独特の背圧音がたまりません
 でしたね。 まだほとんどノーマルの状態の写真です。
 実は、こいつは2台目のダートラ車なんです。
 GTOに乗っている頃もう1台、ギャランのHT(こちらは1500のGSでした)
 があったのですが、江戸川の河川敷で練習中、縦に転倒して廃車になって
 しまいました。(最初の犠牲者)
 この車に取付けたステアリング(MOMOジャッキーイクス)は、1番下にある
 ファミリアに至るまで、代々引き継がれて行くことになります・・・。
 ・・・で、上のギャランの改造後の姿がこれです。
 白黒写真が年代を感じさせますが、当時の三菱のワークスカラーです。
 初代ランサーGSRがこのカラーで限定販売されていましたが、三菱が海外
 ラリーにギャランを使っていた頃のカラーとは少しパターンが違います。
 ま、今で言うレプリカのハシリみたいなノリですかね。
 町中を走っていると、良くランサーのラリー車から手を振られましたよ。
 エンジンをいじったり、ラリーサスを組んだりと一番得意になっていた頃の車
 です。今で言うと、C2クラスですかね(ナンバー付いてたけど・・・)。
 走っている場所は「茨城中央サーキット」です。
 今はジムカーナ場として有名ですが、当時はまだダートコースでした。
 林間で、ジャンプスポットがあったりする、面白いコースでしたよ。
  昭和48年式 三菱 ギャラン16L−HT1600GS
 ダートラ用のギャランとしては4台目。
 結局この車が最後のダートラ車になりました。
 この前にもう1台、赤の4ドアセダンがありましたが短命に終わっています。
 SOLEXツインキャブにタコ足、50φのストレートマフラーを付けていて、
 相当の「爆音君」だった様です(笑)。 
 なにしろ母親が「一里先からでもお前が帰ってきたのがわかる」と言って
 いたくらいですから・・・・。
 ダートラ用のタイヤは減りが早いので、普段は写真の様に鉄チンホイールに
 組んだ中古ラジアルを履いて節約していました。
 当時は貧乏してましたからねぇ・・・(あ、今でもか・・・)(爆)
  昭和48年式 日産 フェアレディZ−L
 こいつは、一度は乗ってみたい車でした。
 同僚が東京へ転勤になり「もう車は要らんので誰か買って!」と言うことに
 なり、20万で買い叩いた(鬼)車です。
 さすがは2000の6気筒、高速巡航は余裕たっぷり・楽々でしたね。
 NAPS以前のエンジンなので、パワーもレスポンスも最高。
 機会があれば是非また乗ってみたい車のひとつです。
 近頃のZには無い、スポーツカーとしての雰囲気がありましたよ。
 ギャランとこのZとの間に、セリカLB2000GTVホンダ ライフGS・フロンテ
 カローラ
1200 ランサー
などに乗っていましたが、いずれも短期間でした。
 こいつは1年半乗って、知人の息子に譲りました。
  昭和56年式 ホンダ アクティストリートL
 初の新車!!
 鼻の長いZから、鼻のまったく無いこいつに乗り換えたもので、最初の頃は
 すぐそこに地面が見えてとても怖い思いをしたものです。
 軽なので燃費が良いと思いきや、リッター10qも走らんのには驚きました。
 後で聞いたらハイルーフは極端に燃費が悪いだと(買う前に言ってくれ!)。
 5速ミッションだったり、後席の足許がとても広かったりと、結構便利な車
 でした。釣りの足には荷物も積めるし、中で寝られるしぴったりでしたね。
 当時の軽で4人で楽々乗れる・・・と言うのも珍しかったです。
 これは2年乗って、次のマー坊を買うときの下取り車になりました。
 生意気にアルミを履いて、フルスモークにしてあります・・・・。
  昭和58年式 スズキ マイティボーイ
 アクティに2年乗って、それを下取りにして買ったのがこれ(写真右端)。
 スズキのマー坊こと、マイティボーイ。 2台目の新車です。
 この車も今でも欲しい車のひとつですね。乗っていて面白かったですよ。
 なにしろ攻めると、インリフトしながらケツが滑って行くんですもの(笑)。
 ブリッドのバケットを付けたり、ロールバーを付けたり、マフラー替えたりと
 結構いじりましたね。 斜めにストライプも入ってるし・・・(笑)
 ちなみに、こいつが独身時代最後の愛車です。
 結婚を機にこいつを売っ払い、アルト(写真無し)を買うまで半年間、自分の
 車が無い時期がありました・・・・。何と、原付で通勤してたんですよ。
 今売り出しても売れる車だと思うけどなぁ・・・。
  昭和52年式 スズキ ジムニーSJ−10
 結婚してから買ったフルオープンのジムニーです。初のオープンカー(笑)。
 いろいろ付いていますが、ベルト以外は前のオーナーが付けた物です。
 ドアが全てキャンパス張りだったので、ドアを外すと遊園地の乗り物のような
 保護棒が1本あるだけ・・・。なかなかの迫力でした。
 中途半端なオープンスポーツより、なんぼか楽しい車でしたね。
 ただし、高速は勘弁! どんなに踏んでも90q以上出ないんだもの!。
 でもさすがは2スト、低速トルクはありましたねぇ・・・。ちょっとした坂道なら
 ば、4速をホールドしたままで、ポロロ〜ン♪、と可愛い排気音をたてながら
 楽々と登って行ってしまったものです。
 女房のサニーを全塗装する費用を捻出するために売却しました。
  昭和55年式 日産 サニークーペ1500GS
 この310サニーは、もともと女房の車でした。
 もとは白でしたが、あんまりボロっちくなって来たのでジムニーを売ったお金
 で全塗装しました。色は当時人気だったFFジェミニの2ドアにだけ設定され
 ていたセイシェルブルーというトルコ石の様な色です。結構目立つ色でした。
 1500のシングルキャブ車でしたが、ショックを替え、触媒を外していたので
 結構良い走りをしたものです。
 こいつに乗っている頃に長女が生まれ、私は晴れて父親になりました。
 気に入っていた車でしたが、残念な事に職場の駐車場で飛び出してきたマークU
 に横っ腹をはじかれて他車に突っ込み、全損・廃車となってしまいました。
 巻き添えは4台(中・大破3台、小破1台)、マークUはほとんど無傷・・・・。
  昭和56年式 マツダ ファミリアHB−XG
 サニーが前述のとおり壊れてしまったために、急遽購入したファミリアです。
 知り合いのディーラーに「何でも良いから10万円で」と無理を言って埼玉から
 持って来てもらいました。(当時私は三重県に住んでいた!!)
 この車が初めてのエアコン付き車になります(笑)。
 洗って(?)いるのは当時2歳4ヶ月の長女です。
 ボンネットにエアスクープが見えますが前オーナーが付けた完全なダミーで
 もちろんNAです。他にも後付サンルーフやらパワーウインドウやら、60タイヤ
 やら、10万円とは思えない位いろいろと付いて来ました(笑)
 これが車検切れとなり、次に買ったのが女房専用車として現役で活躍する
 平成2年式三菱デリカスターワゴン4WD−GLXとなるわけです。
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