D.SHOSTAKOVICH:SYMPHONY No.5 in D minor

ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 ニ短調

〜はじめに〜  〜作曲背景および作品紹介〜  〜第4楽章の意味するものは?〜

〜演奏の違いについて〜  〜さいごに〜

〜はじめに〜

「ショタコーヴィチの音楽は特別な世界であり、そこに入り込むのは容易ではない。独自な旋律法、切り詰めた技法、クライマックスへの長い準備、複雑な和声法と対位法など、これらすべてが聞くものの緊張した思索の働きを求め、無自覚に演奏会へ来ることを拒む。彼の音楽がもつ巨大な力ゆえに、簡潔に理解される『美しい』という概念を、それに当てはめることはできない」    (K.KONDRASHIN)

 旧ソ連において最初のショスタコーヴィチ交響曲全集を録音完成させ、また作曲家自身にも信用され交響曲第4番や第13番をはじめいくつかの作品の初演をまかされた指揮者、キリル・コンドラシンの言葉である。まさに彼の音楽世界を簡潔に言い表した言葉といえよう。一時期はポスト・マーラーの一番手といわれるも、あれ以上のブームは作れなかったショスタコーヴィチ。確かにCDへの録音は増え、また作品に対する研究もすすみ、我が日本でも全交響曲のスコアが発行されたりするなど、以前よりメジャー化はしてきた。しかし他のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、そしてマーラーといった、多くの人から愛され親しまれる作曲家の仲間入りというところまでには至っていない。それはやはり作品の特徴[暗い響き・ときに明るくもどこか素直ではないヒネた感情・複雑な和声・ときには異質の楽器をぶち当て、また狂暴な音塊を投げつける上手なもののかなり独特なオーケストレーション]がもつ、一般の『美の概念』とはちがった『アンバランス』によるのだろう。この『アンバランス』は聴くものに対し普通では得られない衝撃や混乱を与える。先の言葉どおり彼の作品には聴衆が容易に近づいてくることを自ら拒む・・・そんな性質をもつ。(そこが逆に魅力のひとつでもあるのだが)

 そんな彼の作品の中で20世紀音楽史上の傑作として広く親しまれ、また数多く演奏され録音されてきたのが交響曲第5番二短調作品47である。不協和に満ちたサウンド、暗い響きといったショスタコーヴィチそのものの音楽ながら、少しも難解でなく、全楽章に聴き所をもったこの作品。今回もあいかわらずの私見(曲解)を含みつつ紹介を試みたいと思う。

上に戻る

〜作曲背景および作品紹介〜

 1936年1月28日、ショスタコーヴィチを語る上で避けることのできない事件『プラウダ批判』が起こる。彼のオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が共産党中央委員会機関紙プラウダにおいて「音楽のかわりの荒唐無稽」として否定されたのだ。スターリン体制の下、党内粛清もはじまろうとしていた(8月には第一次モスクワ裁判が行われる)この時期、このような社説が載ることはまさに致命傷だった。彼は「人民の敵」というレッテルをはられ多くの人物が彼から離れていく。名誉回復のためには共産党に認められる作品を発表するしかなかった。そんな彼は昨年から書きつづけていた『交響曲第4番』の作曲を継続、そして完成させる。レニングラードフィルでの演奏も決定していた。しかしそのリハーサルの段階で彼はこの作品の発表を撤回(破棄ではない)する

 その後彼は歌曲集『プーシキンの詩による4つのロマンス』を作曲。しかしこの作品をすぐには発表しなかった(初演は1940年)。そして1937年4月から7月にかけて『交響曲第5番』を作曲する。11月22日まだこの頃は無名だったムラヴィンスキーの指揮により初演。圧倒的な拍手と賞賛に迎えられ、彼は名誉を回復、再び『人民のための芸術家』としての道を歩んでゆくこととなる。

 全体の構成は悲痛な第1楽章からはじまり、間奏曲的な第2,3楽章を経て、壮大なニ長調のクライマックスを築く第4楽章を結論とする、「暗から明」の流れをもつ。そのため「ネオ・ベートーヴェンスタイル」と呼ばれることもある。

 第1楽章 Moderato 〜 Allegro non troppo ニ短調 ソナタ形式

 強烈な印象を残す劇的で悲壮なテーマのカノンではじまり、またこの楽章全体の雰囲気を伝える。その後ヴァイオリンに下降音型の第1主題が静かに現れ、その後トランペットがなり響く頂点に向かい発展してゆく。ついで歌謡的な第2主題が同じくヴァイオリンに現れる。この主題はどこかビゼーの歌劇『カルメン』中の『ハバネラ』の副旋律に似ている(この点については後で言及する)。

 ピアノの不気味な足音から展開部に入り、第1主題の大々的な展開、打楽器を伴った第1主題の行進曲を経て再現部に突入、全合奏の圧倒的なクライマックスにたどりつく。ここで作曲家はその心情を悲劇的に吐露する。ショスタコーヴィチ特有のドラによる収束のあと第2主題がフルートとホルンによりニ長調で再現。その先の幸福が予感されるが再び色調は暗くなり冒頭カノンの残響のなかチェレスタがかすかな希望を奏でつつ楽章を閉じる。

 第2楽章 Allegretto イ短調 

 ショスタコーヴィチお得意のスケルツォ。レントラー風の少しテンポの遅い舞曲。低弦の主題をはじめ木管の音型、ホルンの雄たけび等いたるところに彼の皮肉っぽい面がみられる。トリオはソロヴァイオリンによる同じくユーモラスなもの。ここでは彼が好んだジプシーの辻音楽がみてとれる。再現部はファゴットによってはじまる。この楽章の楽器使用をみていると、下敷きとしてベートーヴェンの交響曲第5番第3楽章がどうも見え隠れしそうだ。 

 第3楽章 Largo 嬰へ短調 3部形式

 緩徐楽章。まさにショスタコーヴィチしか書けないような非常に冷たく暗い曲。ここでは弦楽器が全体で8部に分けられ室内楽的な響きを作り出す。第1部はその弦楽器群により内省的な旋律が奏でられる。その後のハープの伴奏をともなったフルートの旋律も同様、おし隠した感情と寂寥感を感じさせるものである。第2部は弦楽器の恐怖と孤独にふるえるようなトレモロのなか各木管楽器のモノローグが続く。

 そして第3部において木琴を加えた大きなクライマックスがくる。ここまで押し黙っていた彼ははじめて慟哭する。チェロの悲痛な叫びの後、次第に曲は落ち着き最初のテーマが再現され、最後にハープとチェレスタを重ねた独特の音色(ショスタコーヴィチはこういった思わぬ楽器を重ねて独自の音色を作り出すのが得意!)の旋律で終わる。

 第4楽章 Allegro non troppo ニ短調  

 冒頭ティンパニのD−Aに導かれ、圧倒的な金管楽器の主題によってはじまる(CM等であまりにも有名)。この主題を中心に発展、曲は次第に加速してゆき一度輝かしい長調に達するが、再びドラの一撃で停滞。内省的な音楽になる。弦楽器による静かな音楽はすこしずつ明るくなってゆき、最後はハープによる希望にみちた音型(重要!)にたどりつく

 その後再び静かに冒頭の主題が回帰するが途中から3拍子に変わったところで弦楽器とピアノの上昇が始まる。上がりきった頂点において再び4拍子にもどり、金管楽器が輝かしいニ長調のファンファーレを宣言する。最後はティンパニとバスドラムのD−Aが連打される中、ニ音の全合奏でこの交響曲は終わる。

上に戻る

 

〜第4楽章の意味するものは?〜

 ここではこの曲の結論として意味付けられる第4楽章について少しつっこんでみたいと思う。果たして第4楽章の意味するものは。またどのように演奏されるべきか。 

 ショスタコーヴィチを語る上でもうひとつ避けられないものとして、『ショスタコーヴィチの証言』という書物がある。これは旧ソ連の亡命音楽学者ヴォルコフが書いたもの。彼によればショスタコーヴィチ自身による口述記録をまとめたものだという。さまざまな論争の末現在は「一部の真実はあるも、大半はヴォルコフの創作が混じった『偽書』である」と断定されつつある。しかし発表当時は世界中にセンセーショナルな騒ぎを引き起こした。というのはそこで描かれていたショスタコーヴィチ像が、それまで西側諸国が描いてきたそれとあまりに食い違っていたからだ。本の中では共産党を中心とする旧ソ連体制に対し苦悩し反抗してきたショスタコーヴィチの姿が描かれていた。彼を旧ソ連体制の御用作曲家とみてきた西側にとってはまさに衝撃だった。

 そしてそれを如実に示す代表的記述として、この交響曲第5番の第4楽章に対する彼自身(とされる)の発言が注目された。有名な「強制された歓喜」である。

『あれは《ボリス・ゴドゥノフ》との場面と同様、強制された歓喜なのだ。それは鞭打たれ「さあ、喜べ、喜べ、それがお前たちの仕事だ」と命令されるのと同じだ。そして鞭打たれたものは立ち上がり、ふらつく足で行進をはじめ、「さあ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ」という』 (「証言」p322より)

 それまでこの第4楽章はショスタコーヴィチが共産党への名誉回復を目論み、旧ソ連の肯定的な面を描いてみせた、体制迎合の音楽とみなされてきていた。旧ソ連(共産党)の勝利を表しているといわれてきた。それが実は作曲家の意に反した音楽だったというわけだ。それ以降この曲はショスタコーヴィチの反抗の意を汲んだ深い『悲劇』の曲として扱われるようになった。そして『証言』が偽書とされつつある今現在でさえ、この記述だけはいまだに引きずられ、曲の解釈に大きな影響力を及ぼしてきている(それは後述する第4楽章コーダの解釈の違いにあらわれる)。

 だが実際本当にこの第4楽章は『悲劇』なのだろうか。「暗から明」という構図を素直にみても本当にそうなのだろうか。作品そのものが本当に「悲劇」を書こうとしていたのだろうか。

 ここで第4楽章中間部終わり近く、再現部直前に出てくるハープの音型に触れる。この音型、前節の作曲背景で述べた交響曲の前作『プーシキンの詩による4つのロマンス』の第1曲『復活』後半部に、伴奏として同一のものが登場する。その部分の歌詞は下記のとおり。

「この様にして迷いは消える  私の苦しんだ心からも・・・・  そしてそこにイメージが湧きあがる  最初のころの清らかな日々のごとく」

 まるで作曲時期の彼の心そのもののような歌詞といえよう。またこの『復活』詩の大意は「古く野蛮な絵はやがて消え去り、天才の創造が再び世に現れる」といったもの。素直にとれば第4楽章の中間部の音楽は作曲家の内省からやがて苦悩は消え、芸術家としての復活を確信、宣言しているといえるのではないだろうか。

 その確信の後をみてみよう。再び冒頭主題が帰ってくるがもう暴れる力はない。その後多少の迷い(ティンパニのG音など)はあるがやがて意を決したように音楽は上昇をはじめる。スコアをみると3拍子にはいる直前からのピアノは4拍子にたどりつくまで時々逡巡するも下降することはなくずっと上がりつづける。そして上昇しきった末コーダに入り、自信に満ちたA音の中高らかに金管楽器がニ長調A−D−E−Fisを奏でるのだ。

 ここが「勝利」だとか「悲痛な叫び」だとかいろいろ言われる部分。ところでこの交響曲について作曲家が述べた言葉をここでみてみよう。

「終楽章は、悲劇と、それまでの楽章の緊張を喜ばしく、楽観的な音で解決している」 (『私の芸術家の答え』より)

 彼の旧ソ連内での公式的な発言は他人の手が入っているといわれ、あまり重要視されてはいない。しかしあくまでも「公式」な発言である。ここではそれを素直にとってみよう。彼は「楽観的」といっており「勝利」とはいっていない。つまりコーダはいまだ勝利(名誉)をつかんだとはいえない。しかしそれはおそらく可能であり、これからも「人民のための芸術家」としてやっていこう、という希望と決意を意味していたのかもしれない。そういった意味での単純な喜びを表している、と解釈できるのではないだろうか。

 ただその喜びはあくまで個人的なものである。もし社会的な意味をもったものを作るならば、もっと簡単な方法が取れたはずだ。例えば、党お抱えの人物の詩をつかったカンタータなどを作ればいい話だ。そして実際彼はその後の「ジダーノフ批判(1948年)」の時は、オラトリオ『森の歌』を発表。その中で大々的にスターリン賛美を(素直な歌詞つきで)歌い上げている(中期といわれるこの頃は、彼自身かなり「したたか」になっている。この時期の作品は、完成後すぐに発表する作品と一時期隠しておき後年に発表する作品とを明確にわけていた。前者は『森の歌』や『我が祖国に太陽は輝く』。後者は『ヴァイオリン協奏曲第1番』や『ユダヤの民族詩より』など。)しかし「プラウダ批判」のこの時期(まだショスタコーヴィチは31歳!)は芸術家としては若く純粋だったのだろう。あえて芸術音楽の最高峰=交響曲で、しかも純器楽曲形態で勝負をしている。ここにショスタコーヴィチの若き芸術家としての意地がみてとれる。体制に迎合するわけではない(みせかけでもなく)が、作風は大衆にぎりぎり接近できるところで妥協する。芸術家としてのプライドを捨ててまで名誉を回復しようとは思わないが、旧ソ連体制の中での一芸術家としては生きてゆく。だからこそ批判後も『交響曲第4番』は完成させ、また破棄もしなかった(地位も確立した25年後にちゃっかり初演している)。さらに勘ぐればベートーヴェンが「暗から明」という形式ををはじめてはっきりと打ち出したときと同じ番号、「第5番」で勝負したのではないだろうか。

 だがここで第4番を一時撤回、第5番を書かねばならなかったことは十分「悲劇」といえるだろう。ベートーヴェンの時代、交響曲は社会全体に対し「高い人間性」を示す、ひとつの「理想」を表すものだった。それが後期ロマン派、とくにマーラーにおいて芸術家個人が自我を表出するものとして「精神」的に堕落する。そしてこのショスタコーヴィチが第5番を書いた瞬間、音楽に対し体制が介入するという意味で「社会」的にも堕落したわけだ。「暗から明」というひとつの理想をうったえ続けた交響曲の、ひとつの終着点としてみればショスタコーヴィチの第5番はとてつもなく大きな「悲劇」を決定づけた作品といえるかもしれない。(蛇足。ぜひ交響曲第4番は聴いていただきたいと思う。正直聴きやすい曲ではなく、また難解で救いようのない曲である。だがこれを知れば彼が第5番で何をとりいれ、何を捨てたのかがはっきりします。)

 さて結論。第4楽章は素直に希望に満ちた音楽としてとるべきではないだろうか。ただあくまで個人的な意味として。私の勝手な解釈だがコーダは変に中途半端にやるより、堂々と自信に満ちた未来を目指した行進曲として輝かしく演奏されるべきだと思う。そのほうが曲の構成として素直であり、聴いていても気持ちいいからだ。ひねくれもののショスタコーヴィチであったら、きっとそれを望むと確信する。強烈に皮肉な笑いをうかべながら・・・・

 なお余談だがこのA−D−E−Fis、これも『カルメン』の『ハバネラ』の引用のようだ(詳細はMs氏のページにあります)。歌詞は「気をつけなさい!」だそう。これからの活動に対する自分なりの戒めなのだろうか・・・・・第1楽章も含めたこのカルメンの引用、私は批判された『マクベス夫人』に対する、同じ女主人公(しかも悲劇)のオペラの題材を利用したオマージュではないかと邪推するが、いかが。(なおMs氏はこの引用についてかなりつっこんだ解釈をしています。非常に興味深いのでご一読を・・・ここからどうぞ

上に戻る

〜演奏の違いについて〜

 この曲のスコアについて、有名な点がふたつある。ひとつは第4楽章コーダのテンポ設定。現在出版されているものをみると「4分音符=188」というとてつもなく速いテンポとなっている。もうひとつは同じ第4楽章の283小節の弦楽器の上昇音型が一般のスコアのものと、初演者ムラヴィンスキーが指揮したものと異なること。付け加えればムラヴィンスキーはコーダのテンポも遅めであり、現行のスコアのテンポとはまったく異なった演奏をしている。

 この点については最近、金子建志氏がムラヴィンスキーの使用スコアを調査、報告している。その報告によると彼自身が音型、テンポとも1937年の初演のときから同じような演奏をしているということだそうだ(レコ芸に掲載。残念ながらまだ細かく読んでいないので、少しまちがっているかも・・・すみません)。そうすると今まで旧ソ連内で2種類の演奏スタイルがあったということになる。

 ここで不思議なのはショスタコーヴィチはなぜ出版の段階で校正をかけなかったのか?283小節の音型は初演のときと出版のときとで気分が変わったということもありうる。だがコーダのテンポは明らかに誤植であり、おそらくムラヴィンスキーのものが正しいといえる(私の解釈からしても)。なぜ彼はそれを訂正しようとしなかったのかは、大きな疑問である。

 一説にはショスタコーヴィチは他人による自作演奏にはあまり口をはさまなかったともいう。一度発表し、自分の手から離れた作品はあまり興味がなかったのだろうか。私もこの点についてはまだ明解な答えを見つけていない。

 ただそのおかげか、この第5番、他の曲とくらべて、指揮者による解釈の違いが非常にはっきりとわかり、CDの聞き比べをすると大変面白い。わかりやすいところではやはり第4楽章コーダのテンポ。思いっきり遅くしてまるで旧ソ連の重機甲師団が攻めてくるような「お国万歳」演奏(コンドラシン、スヴェトラーノフ)から、188のテンポに準じ、はやめのテンポで非常に軽い楽天的な「良かった良かった」演奏(バーンスタイン59年録音盤、フェドセーエフ)、そしてその中間、という大別して3種類の演奏がある。また第1楽章中間部の行進曲のテンポや、クライマックスに入る直前どこでリタルダンドをかけるか、第4楽章前半部のアッチェレランドをどのようにかけていくか・・・・など本当にいろいろな解釈がある。旋律の表情づけ等も含め、この曲には「これが絶対!」という演奏がない。だからきっと演奏するごとにいろんな解釈に出会えることだろう。ぜひいろいろなCDおよび演奏を聴いていただきたいと思う。 

上に戻る

〜さいごに〜

 今回の解説はかなり苦しみました。というのは盟友のMs氏がHPの7月から「ショスタコーヴィチ強化月間」に入り、その第1弾として交響曲第5番の曲解を掲載したため。正直まいりました。プーシキンについて言及されてしまったり、また「カルメン」の引用などまたまた今回も「うまいな〜」という解説。私自身の解説として何を書こうかなぁ、とかなり苦しみました。なんとか第4楽章については私なりの解答を出してみましたが、どうでしょうか。ただ以前これに良く似た文章をどこかで見たことがあるのですが・・・・もし内容が重なっていたら、ごめんなさい。

 あ、それとMs氏の解説はぜひ読んでみてください。今までとは違った曲に対する印象をもてると思います。こちらからどうぞ。  

 今年(99年)はなんと3回も第5番につきあえそう。当然指揮者もそれぞれ違います。残り半年が非常に楽しみです。さあどんな名演に出会えるかな・・・・

<参考文献>

・『ショスタコーヴィチ交響曲第5番 全音スコア』

・『ショスタコーヴィチ大研究』 春秋社

・『ショスタコーヴィチの証言』 ヴォルコフ編/水野忠雄訳 中央文庫

・『ショスタコーヴィチの生涯』 D&L.ソレルチンスキー/若林健吉訳 新時代社

(99/7/20 脱稿)

(99/8/1 若干の補筆修正)

前に戻る