私のおじいちゃん


私が、おじいちゃんと暮らしたのは
おじいちゃんが85歳から、95歳くらいまでの10年間くらいで
おじいちゃんが亡くなる2年前くらいまでです。
とにかく、記憶もしっかりしていましたし
身体も大変元気でした。

一人で電車に乗って、会社の建築現場を見て回るのが日課でした。
現場には、知っている大工さんや、左官さんなどがいましたので
建築のいろいろな話をするのが楽しみだったようです。

仕事は、長男の輿八郎にすべて任せていましたが
黙って建築現場を見て、なんとなく
『あそこがおかしい。』
と言ったところを調べてみると、何かが間違っていたりしたそうです。

おじいちゃんが、工事現場に来るのが
楽しみでもあり、怖くもあったと、現場では言っていたそうです。




おじいちゃんが、97歳まで、生きたと聞けば
きっと、生まれつき余程身体が丈夫だったのだと
思われるのではないかと思います。

実際には、全く逆で、小さい時に大病をしてお医者様から

「この子は、20歳まではとても生ききらん。」

(生ききらん=五島の方言で、生きる事ができないという意味)

と言われていたそうです。




曾祖母(おじいちゃんの母)は
お医者様に祖父が長生きできないと聞いて大変驚きました。

祖父は、本家の長男でしたので
何とかして無事に育てないとという責任があったのです。

今は、本家とか分家とか、あまり言わないと思いますが
当時は、本家の責任は大きかったそうです。

どうすれば、祖父を長生きさせられるか
曾祖母は、お医者様と相談しました。

冷たいものを食べない事
暴飲暴食をしない事
時間を決めて食事をする事

これが、曾祖母がお医者様に言われた事でした。