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 第11回 紐差天主堂 





 平戸にキリスト教が入ってきたのは、天文19年(1550年)、ポルトガル船に乗ってきたフランシスコ・ザビエルの布教からです。藩主松浦隆信はキリスト教は信じませんでしたが、南蛮船との貿易の利益の為、キリスト教の布教を許したので、20年後には、信者さんの数は、3000人になったそうです。


 この天主堂は、長崎県の北部、平戸市の紐差(ひもさし)町にあります。明治32年に建てられた平戸島の初期の天主堂である宝亀天主堂から、南に4、5キロくらい行った所で、紐差盆地の中央の小高い丘の上にあります。地図はこちらです。


 紐差は、明治初期から、平戸の信仰の中心でした。明治6年に、ペル−神父様が、仮御堂を建てられ、明治18年(19年?)に天主堂を建てられました。旧紐差天主堂は、今の紐差天主堂を造る時に、佐賀県の馬渡(まだら)島に移転されたそうです。当時、建築の材料は大変貴重だったので、古い教会はどこかに移転して、また使われました。馬渡島の旧会堂は、呼子に移転されました。今の馬渡島の天主堂は、大変古い貴重なものなのだそうです。写真は、「写真紀行★風に吹かれて」のこちらにあります。


 今の天主堂は、明治20年にマタラ神父様が着任なさってから計画が始まり、次の萩原神父様の時に、昭和2年着工、4年に献堂されました。巨大な天主堂で、旧浦上天主堂が崩壊してからは、日本最大の天主堂と言われていました。


 天主堂としては、長崎県では初めて、祖父としては手取についで2番目のコンクリート造りで、正面には、八角形のドームのある鐘塔があります。20段あまり階段を上がった2階正面は、円形アーチです。天井は、舟底天井と呼ばれる、折上天井です。写真ではちょっと見にくいかもしれませんが菊の花のようなレリーフ模様があってとても綺麗です。外部はロマネスク様式です。内部は三廊式で、入り口や窓は円形アーチです。


 紐差もド・ロ神父様が土地を信者さんの為にお買いになって、外海地方から移住させられた所です。外海は貧しい農村だったので、ド・ロ神父様は、田平、紐差、北海道、宮崎、鹿児島と、信者さんを派遣なさって、移住できないかお調べになったの ですが、田平、紐差以外は、信者さんが遠すぎるというので、決心がつかなくて、 結局、田平と紐差だけになりました。明治20年に紐差に4家族23人を移住させられました。現在も紐差天主堂の近くには、多くの信者さんがいらっしゃるそうです。


 ここの2枚のお写真は三沢博昭先生のご好意で『大いなる遺産 長崎の教会』という写真集からお借りしました。写真の著作権は三沢先生にありますので、転載は決してなさらないで下さい。最近の三沢先生の写真展の様子はこちらに、写真集のご本についてはこちらにあります。祖父の教会だけでなく、長崎の古い教会のとても綺麗な写真がたくさん載っています。