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 第12回 細石流天主堂 





 ザザレと読みます。今はもうありません。五島の福江島の北にある久賀島の北の山道を奥深く進み、道が途絶えてから、谷を降り、山を登った所にありました。東シナ海の風を直接受ける山頂のやぶの中です。過疎化によって、昭和46年(1971年)に廃堂になりました。細石流を去った信者さん達は、福岡県の新田原(しんでんばる)の開拓村に行かれたそうです。教会のあった場所はこちらです。


 大正9年、島田神父様の時に、建設が始まり、翌10年に完成しました。木造、瓦葺きで、正面玄関にはギリシア様式、内部は舟底天井です。堂内の壁や天井にある五島椿の白い花模様がとても綺麗でした。


 雑賀雄二先生の「天主堂物語」によると、ここの教会の建設に使った木材のうち松材はすべて島で調達したそうです。しかし杉の大木はこの島には無かったので海を約40キロ程離れた上五島の相河(あいこ)から買ったのですが、海岸から4キロ程離れた山奥から運び出す為に、信者さん達が船で向かわれました。しかし思いのほか木が巨大で、運べないので途方にくれていたら、急に大雨が降り、水が氾濫し、そのできた小川を使って、海岸まで運んだそうです。


 2001年5月30日にNBC長崎放送で「天主堂 光と影」という番組が放送されましたが、険しい道を40分程登ると、石垣が見えて、急に視界が広がりました。この大変険しい道を、海岸からたくさんの杉の木を運んだのかと思うと、信者さんがどれ程ご苦労なさったかと思いました。


 「天主堂 光と影」の中では、昭和54年(1979年)に撮られた写真がありました。雑賀雄二先生の「天主堂写真集」は、1989年に出版されていますが、、ガラスが割れたり、壁の内部が見えたりしていますが、天井もあって、建物としては残っています。木下陽一先生の「西海の天主堂」は、1991年に出版されていますが、この写真集でも、かなり壁や天井は壊れていますが、まだ、建物としてありました。 ただ写真集の場合、写真を撮った日付けまではわかりませんので、教会がいつまであったかは、わかりません。


 「天主堂 光と影」では、信者さんがいらっしゃられなくなってから、20年以上経ってから、台風で壊れたそうです。教会のあった場所には、バラバラになった壁や柱が散在していました。椿の花模様の壁が1枚だけありました。白い花模様の壁の1部が福江の資料館に細石流の白い椿として残っているそうです。


 ここの2枚のお写真は三沢博昭先生のご好意で『大いなる遺産 長崎の教会』という写真集からお借りしました。写真の著作権は三沢先生にありますので、転載は決してなさらないで下さい。最近の三沢先生の写真展の様子はこちらに、写真集のご本についてはこちらにあります。祖父の教会だけでなく、長崎の古い教会のとても綺麗な写真がたくさん載っています。