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 第13回 堂崎天主堂 





 長崎県の下五島の福江市奥浦にある堂崎天主堂は、明治41年に献堂された浜辺の天主堂で、昭和49年、長崎県の指定有形文化財に指定されています。「日本二十六聖殉教者」というもう1つの名前があります。教会のある場所はこちらです。


 この教会を、HPのお誕生日の「教会のお話」に選びましたのは、祖父にとって、いろいろな意味で、大事な教会だったからです。祖父にとって、大切な師であるペルー神父様にたくさんの事を教えて頂いた教会である事、2回、建築にかかわっている事などです。


 五島の奥浦は16世紀から、五島の信仰の中心でした。1572年に<東方の三博士>教会が建てられ、外海から信者さんが移ってこられた時に、最初に上陸なさったところが、ここ奥浦でした。


 「明治10年には、教会が建てられました。これは、正式の教会(Ecclecia)です」
と書いてある資料と、
 「明治12年(1879)パリ外国宣教会マルマン師によって、堂崎に仮聖堂が建立されました」
と書いてある資料があります。
明治20年、下五島に着任なさったペルー神父様が、野崎棟梁、祖父副棟梁で、堂崎天主堂を建てられました。明治37年に着工して、41年に完成しました。祖父が、25歳から29歳の時でした。その後、大正6年、アゼペール神父様の時に、祖父が設計施工で、完成致しました。


 祖父が、初めて教会建築に参加したのは、明治32年、祖父の生まれた五島の新魚目町の曽根天主堂の建設の時で、その時私の祖父は20歳でした。福江の野原与吉棟梁のもとで、ペール神父様のご指導で、西洋建築と初めて出会いました。
 祖父が、祖父の父のもとで、大工の修業を始めたのは、15歳の時です。初めて天主堂を見た時には、どんなに驚いただろうと思います。


 ペルー(アゼペール)神父様は祖父の大変大事な師です。ペルー神父様は
「高等工業程度の学校で、建築学を会得されていたようだった。」
と、祖父は言っていたそうです。ペルー神父様には、リブ・ヴォールト天井をかける方法と幾何学を教えて頂いたそうです。祖父は、高等小学校しか出ていませんので、 幾何学は大変難しかったと言っていました。でも、リブ・ヴォールト天井の設計をする為には、どうしても幾何学がわかる必要があったそうです。


 この天主堂の特徴の1つが、煉瓦が「アメリカ積み」である事です。三沢博昭先生の「大いなる遺産 長崎の教会」の中での、川上秀人先生の説明によると、「アメリカ積み」は、堂崎天主堂と、旧井持浦天主堂だけだそうです。


 このの教会は、大浦天主堂に次いで、五島では初めての本格的ゴシック建築で、その後の天主堂建設の模範とされてきた教会だそうです。建築費は、ペル−神父様のお母さまが、フランスから送られたお金が主でしたが、もちろん信者さんの積み立て、労力奉仕がありました。下五島の信仰の中心の教会でした。おミサの時には、海からは小舟、陸からは歩いて信者さんが集られたそうです。おミサを知らせるのは、法螺(ほら)貝で、30分前に吹いたそうです。昭和52年(1977)からはキリシタン資料館にもなっているそうです。


 ここの2枚のお写真は三沢博昭先生のご好意で『大いなる遺産 長崎の教会』という写真集からお借りしました。写真の著作権は三沢先生にありますので、転載は決してなさらないで下さい。最近の三沢先生の写真展の様子はこちらに、写真集のご本についてはこちらにあります。祖父の教会だけでなく、長崎の古い教会のとても綺麗な写真がたくさん載っています。