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 第3回 『ド・ロ神父』様 その2 





 この写真は、日本でほとんど無いと言われている『ド・ロ様』の写真のうちの1枚だと思います。勿論、複写されたものは、何枚かあると思いますが、この写真の元の写真は、祖父が写真立てに入れて、床の間に大事に飾っていたものです。
 

 第二次世界大戦後の事です。教会の皆様や、「純心女子学園」の江角ヤス理事長先生が、ド・ロ神父様の写真がどうしても見つからないとお捜しになっておられました。その時に、私の父が、祖父が写真立てに入れて大事にしておりました写真を、お渡し致しました。
 

 白い絵葉書大の大きさで、卵型にくり抜いてあって、下はぼかしでした。古い写真でしたので、全体がセピア色に変色していました。おひげの下の方がぼかしなんですが、その部分に型押しでかなり大きく、上野彦馬と入っていました。


 これは、日本で初めて写真館を開いた「上野彦馬写真館」で撮られたものです。「上野彦馬写真館」は、長崎市の中島川の上流の方にありました。上野彦馬の家は、代々肖像画を描く家系でした。彦馬は、長崎市の銀屋町で生まれ、ポンペ先生について化学を学んでいるうちに、写真に興味を持ち、日本で初めての写真館を作りました。


 当時、写真を撮るという事は大変な事で、わざわざ写真館に出かけて行かないと撮れませんでしたし、また時間もお金も大変にかかりました。


 前にも書きましたように、ド・ロ神父様は、フランスの貴族のお生まれで、日本には多額のお金を持って来られました。しかし、神父様は、自分の写真の為に、自分の時間やお金をお使いになる方ではありませんでした。いつも、信者さんの為に、自分のお金も時間もすべて捧げておられるお方でした。だから、写真がほとんど残っていなかったのだと思います。


 ド・ロ神父様は、天主堂をお造りになるだけではなく、信者さんの生活の為に、いろいろな事をなさっていました。土地を持たない信者さんに土地を捜してお買いになったり、青年教育所を開いて、職業指導をなさったり、女の方に、織物や、染め物、ド・ロ様ソーメンの技術を教えたりなさいました。
 

 ド・ロ神父様は、外海に、煉瓦造りでは、大浦天主堂についで九州で2番目に古い出津天主堂や、大野天主堂をお造りになりました。亡くなった後に出来た、黒崎天主堂もド・ロ神父様の設計と言われています。
 

 ド・ロ神父様は、建築の時は、自ら設計施工し、材料を運んだり、大工さんや、左官さんと一緒に働かれました。出津天主堂をお造りになる時には、数日間の食料を持って山に入り、山小屋に住んで、立ち木のうち最良の物を選ばれて使われるようなお方でした。


 ド・ロ神父様が体調を崩されたのも、教会の建築中の事ですし、その後回復なさって、祖父と大浦天主堂の司祭館をお造りになられていた時も、建築中に事故があって、その為に亡くなられました。


 現在はわかりませんが、30年程前には、1860年代に、日本に来られる前にド・ロ神父様がパリに建てた木造の建物が、まだしっかりとした形で残っていたそうです。