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 第4回 大曽天主堂 


青砂ケ浦天主堂今村天主堂大曽天主堂
aosa ima oso
明治43年大正2年大正5年
平家で、屋根は二層平家平家で、鐘楼は3層


 この天主堂も、青砂ケ浦天主堂と同じ五島列島の中通島にあって、祖父の生まれた丸尾の近くにあります。青方湾の奥で、静かに入り江を見下ろす所にあります。青方から船を出すと、右手の林の中に見え、敷地が広くないので、大きく感じられるそうです。


 「西海の天主堂」(西日本新聞)に結城了悟先生が、大曽天主堂をご覧になった時に、
『どうして、ここに天主堂を建てようと思ったのだろうか?』
と考えられたと書いてあります。理由は、すでにここに明治12年に建てられた小さな聖堂があって、信者さん達がいらしたからだそうです。


 ここの信者さん達も、外海からいらした方が多いようです。島で、天主堂を造る時には、港から、信者さん達がずっと並んで、手渡しで材料を運んだそうです。この天主堂は、小高い丘にありますので、大変だっただろうと思います。もちろん工事の時にも、ずっと労力奉仕をなさったそうです。
 

 天主堂の建築には、大崎神父様のご指導がありました。煉瓦造り平家で、鐘楼は3層、バジリカ式会堂、ロマネスク調、円形アーチ窓の桜の花型の色ガラスが綺麗です。上に、3つの煉瓦造りの天主堂を並べてみました。煉瓦造りといっても、天主堂によって形が違うという事がおわかりかと思います。大曽天主堂が、正面の写真でないのが残念です。
 

 煉瓦の組み方は、いろいろな方法がありますが、下から12段は小口積(煉瓦の小口を出す)で、その他は、イギリス積(煉瓦の長手面と小口面が交互に出てくる)で、小口積の部分に色の濃いアズキ色の煉瓦を入れました。


 祖父が天主堂を作る時には、『堅固で、お金がかからないで、美しく』を目標にしていましたが、ここでは煉瓦を装飾的に使っています。イギリス積の特徴は、構造として堅固である上に、切り口が少なく経済的な事です。当時煉瓦は大変貴重で、またモルタルも高価で、米1升3銭だった頃に、セメント1袋3円もしたそうです。


 天主堂の材料は貴重だったので、新築する時には、今まで使われていた資材を使って天主堂を造る事も少なくありませんでした。この大曽天主堂を造る前に、木造の会堂があったのですが、それで、土井の浦教会を造りました。


 3ケ所同時に移転という事もありました。昭和2年、平戸に紐差天主堂を造った時には、その会堂は、佐賀県馬渡島(まだらじま)に、馬渡島の会堂は、佐賀県呼子に移転しました。殆ど同時に工事をして、完成はどちらも昭和4年頃でした。
 

 その時に、馬渡島に移転した教会は、私のリンク集の『風に吹かれて』の『天主堂巡礼』のこちらにあります。『長崎の天主堂と九州・山口の西洋館』の太田先生によると、今、馬渡島にある教会は、明治18年にできたものだそうで、教会としては、大変初期の貴重な木造の教会だそうです。


 昭和29年、福岡でも、戸畑天主堂が、32年には、湯川天主堂に、また、昭和12年に造った旧戸畑天主堂は、戦火をかいくぐって、49年湯川天主堂で鉄筋に改築されるまで、使われていました。


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