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 第5回 手取天主堂 





 手取天主堂は熊本県の熊本市にある、昭和3年にできた、祖父の初めてのコンクリート造りの天主堂です。それまでの天主堂は、木造か、煉瓦造りでした。コンクリートが使われるようになったのは、大正12年の関東大震災によって、煉瓦造りの脆さがわかったからではないかと言われています。


 大変、綺麗な写真を、ゆっきーさんからHPに使って下さいという事で、お借りしましたので、今回の教会は、手取天主堂にいたしました。したがって、この写真の著作権はゆっきーさんにあります。ゆっきーさんは、橋の写真を中心に素敵な写真を撮り続けている方です。HPは、こちらです。


 手取の写真がとにかく素晴らしいので、見て頂きたいと思います。それぞれの写真はもう少し大きなものを、私の写真集に入れましたので、見て頂ければと思います。手取教会の内部の写真は、こういう角度のは私も初めて見ました。とても綺麗だと思います。天井の写真は、『天主堂物語』の雑賀先生の写真集に載っていますが、折上天井です。正方形の枠の中の、木で作ったと思われる花模様が綺麗です。


 木造や煉瓦造りの時には、青砂ケ浦や大曽のようなリブ・ヴォールトの天井が多いのですが、大正8年に長崎県の五島に頭ヶ島天主堂を石で造った時に、小さい天主堂を広く見せる為に、折上天井を造りました。その後は、折上天井が多いようです。


 手取天主堂は昭和3年にできた、祖父の初めてのコンクリート造りの天主堂です。それまでの天主堂は、木造か、煉瓦造りでした。コンクリートが使われるようになったのは、大正12年の関東大震災によって、煉瓦造りの脆さがわかったからではないかと言われています。


 祖父が初めてコンクリートの建物を造ったのは、大正12年の、長崎市にある長崎神学校で、3階建てでした。この時初めてトラックを使いました。長崎でトラックを初めて買ったのは、三菱重工の長崎造船所で、祖父が2番目でした。アメリカから、神父様にお願いして取り寄せて頂きました。祖父が新しいものが好きだった事もありますが、限られた予算を有効に使うには、機械を使う事はどうしても必要でした。


 この時に、コンクリートミキサーも買いました。それまでは、コンクリートを混ぜるのは、もちろん手で箱の中でこねていました。コンクリートミキサーは、ポンポンと音がして、中からコンクリートが出てくるので珍しかったらしく、たくさんの方がお弁当を持って見に来られたそうです。


 他の天主堂は、島や、平野の中や、丘の上にありますが、手取天主堂は、熊本の街の中にあり、近くにはデパートもあります。屋根は1層で、天主堂が大きくないので、外から見るとあまり目だたないそうです。中と外の落差が激しいのが、この教会だそうで、内部の空間は、「高さ」と「広さ」をとても感じるそうです。 


 写真を撮られたゆっきーさんは、手取教会は熊本市の中心部にあって、すぐ隣りで新しいビルの工事中で、とてもあわただしい環境ですが、そんな中で、決してまわりには流されない姿で存在していることに、確かな存在感を感じたそうです。信者の方の思いが脈々と受け継がれていることが、特に教会の中に入れば、伝わってくるそうです。


 手取教会のS様によると、
「このお御堂では、春分の日と秋分の日前後のそれぞれ午前9時ごろと午後4時ごろに、祭壇中心部の十字架の後ろに天井に近いステンドグラスの窓の光があたります。実に綺麗です。一年に二回だけです。」
という事です。見てみたいです。


 雑賀先生が、この天主堂の取材をなさった時には、アイルランドのジョー神父様が、いらっしゃったそうです。ジョ−神父様は、温かく、笑顔に満ちた方だったようですが、アイルランドのキリスト教の信者さん達も、アイルランドでは、大変な迫害を受けられたそうです。


 今の手取天主堂のHPはこちらにあります。このHPには、写真がたくさんありますので、天主堂の細かい所や、信者さん達のなごやかな様子や、天主堂を皆さんが大切に使って頂いていらっしゃる事などが、とても良くお分かりになると思います。