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 第6回 今村天主堂 


   


 祖父が最後に見た自分の作った教会は、どこだったんでしょうか?今村だったかもしれません。今村天主堂の60周年に、祖父は今村に行って神父様ともお話をしたそうです。祖父は昭和51年に97歳で亡くなりましたので、亡くなる3年前になります。祖父は晩年、この天主堂を訪れるのを大変楽しみにしていました。 


 上の2枚の写真の著作権は「makeup」さんにあります。大変綺麗な写真をお借りしました。次のページの大刀洗教育委員会の資料の写真もお借りしています。


 今村天主堂は、『長崎の天主堂と九州・山口の西洋館』をお書きになった、太田靜六先生と、祖父の出会ったきっかけになった天主堂でもあります。昭和37年、祖父が83歳の時に、太田靜六先生が、初めて今村天主堂をご覧になって、その4年後、土田充義先生を中心に、4人で1週間もかかって、今村天主堂を実測なさいました。その1ヶ月後に、祖父が87歳の時に土田先生が祖父を長崎に訪ねてくださり、祖父が91歳の時には、太田先生と祖父は会う事ができました。 


 それまでに、雑誌や新聞などで、教会の紹介などされた事はありましたが、本格的な調査や、構造などを研究して頂いたのは、初めてでした。 


 今村の信仰の始まりは、今から400年以上前、キリシタン大名の『大友宗鱗』の1族が、家臣を伴って今村に移って来た時とされているそうです。 


 文禄4年(1595年)に、パードレ神父様が、スペインのイエズス会に出された書簡によると、当時、今村の近くには、7000人以上の信者さんがいらしたそうです。 


 その少し前にキリスト教が禁止されてから、300年以上信仰は密かに続いていたわけです。表向きは仏教徒としてキリスト教の信仰を守ってこられたそうです。長崎県下のキリスト教の信者さん達はいろいろな場所に信者さんがいらっしゃったので、お互いに連絡もできましたが、今村は完全に孤立した中で信仰を守ってこられたわけです。今村の信者さん方は、他の地区にキリスト教が伝わっているとは思ってもおられなかったそうです。 


 長崎で、信者さんが発見されたのが、1865年、今村はその2年後の1867年でした。今村に神父様がいらしたのが、明治12年(1879年)、祖父が生まれた年です。福岡では1番早かったそうです。 


 今村天主堂は、双塔を除いても総面積180坪、地上からの高さは22.5Mです。今村の14枚のステンドグラスは、フランスから取り寄せたものです。ヨーロッパの天主堂は、西向きが多いそうですが、この今村は東向きです。双塔のある天主堂も日本では数が少ないそうです。 


 この天主堂の特徴は使っている煉瓦の大きさが違う事だそうです。その為に大変苦労しました。煉瓦で「薔薇窓」を作ったのも特徴の1つです。開口部を煉瓦で組む時には、全く休憩ができなかったそうです。煉瓦でお互いの重さを支えあっているので、一気に組まないと力が支えられないのだそうです。




この写真は、「HOLYs NET」さんの御好意により転載させていただきました。
「HOLYs NET」さんのHPはこちらです。
他にもたくさんの今村天主堂の写真があります。