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 第8回 頭ケ島天主堂 




 頭ケ島天主堂は、祖父の唯一の石造りの天主堂です。長崎県の五島列島の1番北の島、中通島の近くの頭ケ島にあります。大正8年の完成で、規模も小さな天主堂です。広さは7Mと 15.4M、面積で108平方メートル(32.6坪)です。祖父は晩年よくこの天主堂の事を話していました。1番苦労した天主堂と言ってもいいかもしれません。


 頭ケ島は、中通島から200メートルほどしか離れていない小さな島で、交通が不便なので、キリスト教の信者さんが隠れるのにいい島でした。
 安政6年(1859年)に、2、3戸のキリスト教の信者さんが移住するまでは、無人島でした。それが、慶応3年(1867年)には、16戸130人まで増えました。


 1867年、頭ケ島から10キロメートル程離れた有川町にいらした松次郎さんという方が、大浦天主堂のプチジャン司教様にお手紙を出されて、その後、松次郎さんのご自宅を仮御堂になさったのが、頭ケ島の天主堂の始まりです。


 その後、明治2年にまた頭ケ島は無人島になりましたが、明治20年に木造の天主堂が造られ、明治41年(1908年)から11年かかって石造りの天主堂が造られ、大正8年に献堂されました。


 この天主堂を守っていらっしゃる松井さんは、教会建設当時の事を
「1日に石は2個か3個しか積めなかった。信者さんは、昼間は教会の建設、夜はいかなどの漁という毎日でした。」
と、おっしゃっています。


 当時信者さんは40数戸でしたので、建設費ができたら工事をするという状態でした。2回の工事の中断があったそうで、建設に大変時間がかかりました。家財や財産を売り払って天主堂の建設にかけた信者さんもいらして、工事が終わった後に、全財産を使い果たして、この島を離れられた信者さんもたくさんいらっしゃったそうです。


 頭ケ島天主堂の傍には建立碑があるのですが、
「この御堂の創立に関しては、大崎師の先導と全島民の熱い信仰と献身的な努力により実に11年余の月日を要して石を刻み積み上げ建築したものである。この御堂の石の1つ1つは、島民の信仰と血と涙と汗の結晶である。」
と書いてあるそうです。


 頭ケ島天主堂ができたのは、大崎神父様という素晴らしい神父様がいらっしゃったからです。冷水天主堂、青砂ケ浦天主堂、大曽天主堂などの天主堂の建築を祖父に頼まれた神父様で、原書を取り寄せられて天主堂について大変熱心に研究なさる方でした。


 大崎神父様から天主堂の建設についてご相談を受けた時に、煉瓦でなくても天主堂は建つという事で建設する事に致しました。まず、頭ケ島の司祭館を地元の良質の砂岩で造って、石でも造れるという確認をして、それから天主堂の建築をする事になりました。対岸の友住の山から橇(そり)で下ろし、岬で切って船で運んでひとつひとつ手で積んで造りました。この島の石も使われているそうです。その量は450tにもなりました。もちろん島の信者さん総出の作業でした。


 頭ケ島天主堂は、正面中央に方形の鐘塔(鐘は別に前庭にあります)があって、上には八角形のドームがあります。内部には、板張りの天井に、白と青を基調とした、椿のような薔薇のようなとても綺麗な花模様があります。天井の形も二重の持ち送りの折り上げがされています。ハンマー・ビーム架構です。


  「天主堂物語」の雜賀雄二先生が、頭ケ島天主堂をお訪ねになった時に、驚かれたのは、頭ケ島天主堂の玄関の石がすり減って柔らかい丸みを帯びているのをご覧になられた時だそうです。信者さんの少ないこの島で、いかに熱心に信者さん方がこの天主堂に通われているのかを語っていると書いてあります。内部と外部の印象が全く違うそうです。外部は重厚な造りで、内部は、小さな天主堂空間を広く見せる為に天井に工夫がされています。


 内部の写真は、「上五島の魅力(かとっぽ)」さんの「教会巡り」の1番にあります。他の教会とは、ちょっと違いますので、よかったらご覧下さい。以前は定期船が無くて頭ケ島天主堂に行くのは大変だったようですが、今は上五島空港の近くだそうです。