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旧出津救助院

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今回、国の重要文化財に指定される旧出津救助院は
片岡先生によると、1883(明治16)年に
西日本新聞によると、1885(明治18)年に
長崎県西彼杵郡外海町に、ド・ロ神父様が授産場として建設なさった
煉瓦及びド・ロ壁造り、寄せ棟造りの建物です。

機織りや裁縫、製粉、パン作りの技術などを教えていたそうです。
また、ここでは、小麦粉の種を神父様の故郷フランスから取り寄せて栽培し
落花生油を使って、「ド・ロさまそうめん」も作られていたそうです。
五島に行った事のある方は、多分、五島のおうどんを食べた事があるかと思いますが
「ド・ロさまそうめん」と、とてもよく似ています。
もしかしたら、外海から、五島にいらした信者さんが
五島におうどんの作り方を伝えたのではと思います。

「ド・ロ神父の生涯」によると、救助院の建物の2階の天井に
約30ミリくらいの厚さの赤土が乗っているそうですが
これは、シスターの方の中に、当時「脚気」にかかる方がいらして
「脚気」は、土地が変わると起こり
故郷の土地を踏むと治ると言われていたので
ド・ロ神父様は、シスターの方が、常に土を踏んでいるという
気持ちを持たれるように、2階に赤土をひかれたと
地元では、ド・ロ神父様の優しさを語る
エピソードとして、伝わっているそうです。

救助院には、マカロニ工場や鰯網工場などもあり
鰯網工場は現在、ド・ロ神父記念館になっているそうです。



参考文献
ある明治の福祉像「ド・ロ神父の生涯」片岡弥吉先生