第8章 長野電鉄 旧河東線・信州中野〜木島間(愛称・木島線)
ありがとう… さようなら…
取材日 2002年2月15日・3月3日・31日 作成日 2002年4月13日

木島線で活躍した3500系ワンマン電車(赤石〜柳沢間にて)
今回は2部構成で編集されています。写真は主に3月31日に撮影されたものを採用されていますが、一部2月15日・3月3日に撮影されたものもあります。
自動車の波に押され…
2002年4月1日、74年の歴史に幕を下ろした長野電鉄木島線。それは、信濃路の地方鉄道にとって通勤手段の大きな痛手でもあり、時代の交代でもある。地方鉄道の多くは過疎化が進んでおり、列車人口の減少と同時にモータリゼーションの増加という現状は変わっていないが、木島線も例外ではなかった。昭和50年ごろから赤字路線となった木島線は、長野県や沿線自治体から欠損補助が捻出されていたが、2000年に長野県側が欠損補助を拒否したため、鉄道の存続を断念。2001年3月29日に国土交通省新潟陸運局で国土交通大臣に路線の廃止を申請。その理由は、単に乗車人口が少ないという理由だ。昭和40年当時は200万人以上がこの路線を利用していたが、平成12年度にはピーク時の2割以下に落ち込んだという。その木島線、いったいどんな路線なのか、私は最初の取材の2月に大阪から新幹線と中央本線を乗り継ぎ、JR長野駅で長野電鉄(以下、長電)に乗り換えて信州中野(以下、中野)までやってきた。
中野駅に着くと、ホーム1番線に2両のステンレス車体3500系2両が止まっていた。この時期は冬季期間のため、先頭扉が半自動ということで、車内はとても暖かかった。さすがは信州内陸部。北海道にもよく似た車内光景だが、取材日は例年よりも気温が高くて積雪も期待できないほどだったという。それでもやっぱり寒いのだろうか。大都会に住んでいる私にとってもこの寒さは格別に違うなあと感じた。しかし、それ以上に感じたのは、故郷ののどかな路線にこのステンレス車両が走るということだ。ミスマッチという方もいるが、いやいや、これこそ美しいシーンなのかもしれない。私にとって、信濃路を走る雪とステンレス列車は長電らしき素晴しいものではないかと。その時、長野駅と中野駅ではさよなら運転の記念イベントが準備中で、いよいよ廃止日までカウントダウンが近づいているなと感じた。第1回目の取材日は、時間の都合上、ほんの僅かしかいなかったが、3月には2回も訪れることが出来た。2回目は廃止1ヶ月前、3回目は最終日の31日。それにつれて客足も増えてきたと同時に、次第に雪も解け、穏やかな春の足音が木島線の廃止日とともに駆け足でやってきたかもしれない。
河東線の末端区間『木島線』
それではここで、長野電鉄とはどんな会社なのか簡単に紹介しよう。
長野電鉄は長野市内と周辺の市町地域をエリアとする北信地区唯一の地方鉄道として、古くから『長電』の愛称で親しまれている。創業は大正9年の河東(かとう)鉄道からなる。大正11年に開通した屋代〜須坂(すざか)間を皮切りに、大正14年まで3度にわたり中野・木島へと徐々に路線を延長開業した。一方、長野〜須坂間を走る旧長野電気鉄道は大正12年創業。大正15年に権堂〜須坂間を開通。(昭和3年には権堂〜長野まで延伸) 同年9月30日に両社は合併し現在の社名となる。正式には、屋代〜須坂〜中野〜木島間の河東線、長野〜須坂間の長野線、合併後の昭和2年に開通した中野〜湯田中(ゆだなか)間の山ノ内線から路線構成されているが、路線自体が長野〜須坂〜中野〜湯田中間の『本線』、須坂〜屋代間の『屋代線』、そして、今回紹介する中野〜木島間の『木島線』のそれぞれの愛称で名付けており、河東線は実質的に3系統に分割されている。(詳しくは、長野電鉄路線マップを参照) なお、本稿では原則的に後者、つまり愛称路線で紹介する。
ここで、木島線の路線を紹介してみよう。
木島線は河東線50.4qの一部である末端区間の中野〜木島間12.9qの単線1,500V直流電化路線で、大正11年屋代〜須坂で開業した旧河東鉄道が中野まで延伸した際に、その延長区間として中野〜木島間を建設し、大正14年9月12日に開業させた。当時は非電化路線であったが、翌大正15年1月に電化された。駅は中野駅を除くと7駅で全駅が無人駅。開業当時は木島駅を含む5つの停車場・停留場からスタートさせたが、無人駅は昭和37年の中野北駅開業と同時にスタートさせ、以来経営の合理化策として木島線・屋代線(松代駅としなの鉄道に委託の屋代駅を除く)・山ノ内線(湯田中駅を除く)のほぼ全駅で駅の無人化を次々と実施し、最後まで木島線の駅員配置であった末端駅の木島駅も平成11年に無人化された。なお、この路線は長野線長野〜善光寺下間地下化完成時の昭和55年に長電全線でCTC・ATS化されている。
木島線で使われていた車両は、かつて営団地下鉄で使われていた元営団3000形の3500系非冷房ワンマン対応電車2両編成が用いられている。また、場合によっては長電オリジナルのOSカー0系10型や特急車両用の2000系も使用されることもあるが、主にイベント用として用いられることが多い。最近では2001年の鉄道の日に当時の貨物用電気機関車ED5001と0系10型のコンビでイベント列車として用いられ、ファンを狂喜させた。なお、長電車両のボディーカラーは赤色をつけたものが多い。これは長野の名産である『りんご』をイメージしたものであると推測する。本線で使われている2000系特急車両やOSカーも、実はクリーム色のボディーに赤の長電カラーで統一している。
木島線の運行は廃止時には朝6時台から夜10時台までに15往復が運転され、ラッシュ時は約40〜60分間隔、日中約90分間隔で運転し、全て中野〜木島間で走行された。かつては本線を経由して長野まで乗り入れ、昭和40年代には東京から屋代を経由して国鉄からの急行列車も乗り入れたこともあった。
| 木島線の各駅 |
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| 信州中野駅 |
中野北駅 |
四ヶ郷駅 |
赤岩駅 |
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| 柳沢駅 |
田上駅 |
信濃安田駅 |
木島駅 |
各駅を紹介すると、まず信州中野駅は木島線の起点駅として、本線に接続。また、無人駅の多い木島線の統括駅として兼任している。木島線は基本的には中野駅1番ホームからの発車となる。中野駅を出発し山ノ内線の併走区間を離れると、住宅地の多い中野北駅に到着。中野北駅は長電で最初に駅の無人化を実施。そこから風景が住宅地から田園地に様変わりする。開業時の駅舎とかつての有人駅である四ヶ郷駅は、駅の表示板が現在の姿とともに、その前の姿が残っている。四ヶ郷駅を出ると、路線は夜間瀬(よませ)川に差し掛かる。廃止区間で唯一、難工事の末に完成し、木島線の開業の象徴であった夜間瀬川橋梁を渡ると、左にカーブを取りながら赤岩駅に到着。ホームに大きく聳え立つ一本のソメイヨシノが目印だ。右手にある扇状地の場所には住宅地があり、駅近くに公民館がある。ここから路線は左手に変わった夜間瀬川沿いと右手にある扇状地を挟むかのように走りながら進み、その風景は格別。ホーム内に駅舎を持つ柳沢駅は木島線唯一の交換駅であるが、ATS化しており、ポイント交換も自動で行われているが、のりばは左右反対。これは、運転台を考えてみると、左側扉を優先して使用しているからだ。普段は朝夕のラッシュ時や臨時列車運転以外は交換は行わない。また、この駅もかつては駅員が常駐していた。さて、列車は時速60キロの区間を左右カーブしながら進む。緩やかながらカーブのあるホームが特徴の田上駅を出ると、併走した夜間瀬川はやがて千曲川に合流し、現在工事中の北陸新幹線新飯山トンネルを右手に見ながら数百メートル入ると、中野市から飯山市に入る。木島線唯一のトンネルである飯綱山トンネルを通り抜けたら、千曲川の土手が間近にある信濃安田駅に到着。風景も一面りんご園に変わり、右手には木島平を、左手には斑尾高原を眺めることが出来る。中野から約20分で終点の木島駅に到着。駅舎は開業当時のままであるが無人化しており、定期券や回数券の販売は系列のバス会社『信州バス』に委託されていた。木島駅には、木造の留置場があり、冬季にはスノーシェルダーの役割を持つ。その先にある車止めには、かつてその先に転換所があり、構内も当時の貨物輸送の名残からか、さらに広かったという。この木島線、実は、木島から野沢温泉方面まで延長計画があったが、飯山線が先行開業したことか、工事申請は行ったものの、結局着工は行われておらず、野沢温泉への道は結局幻の路線となってしまった。
スキー客や市民の足の活況は何処へ…
木島線の乗客を見てみると、昭和30・40年代は斑尾高原・木島平といったスキー場や温泉客が重要な交通の便だった。先ほども触れたが、当時、横川〜軽井沢がまだ運転された信越本線時代(現在は横川〜軽井沢間廃止、軽井沢〜篠ノ井間はしなの鉄道)に、東京からのスキー客や団体客が急行形車両で屋代駅を経由して長電に乗り込んで木島や山ノ内線の湯田中まで向かったといわれている。しかし、国鉄(現・JR)には『飯山線』が存在し、飯山から先の戸狩(現・戸狩野沢温泉)方面まで乗車して野沢温泉までの客を捌きっている。このため、昭和42年に東京直通の急行列車を国鉄単独運行に切り替わることから、長電乗り入れを廃止にした。野沢温泉といえば、長電の延長計画路線であった区間でもあったが、乗り入れシフトが国鉄やバス・自動車に変わるごとに、長電のスキー電車の役割は終わった事を表現しているに違いはない。
それとともに、中野市・飯山市の人口も徐々に減ってきている。若年層の都心部の移住などで高齢化が進み、さらに、飯山市内の交通手段も長電からJR・自動車へと変わってきている。長電ではここ数年運賃の値上げを続けているが、値上げするごとに長野〜飯山方面の運賃はJR優勢となってきている。しかしながら、長電はJRにかかっていない須坂方面や松代方面(これを河東地区と呼ぶ)の足を何とか確保するために、社内の効率化を薦めてきたものの、一極集中・高齢化・値上げの3本柱には勝てることは出来なかった。
現在の木島線は中野駅沿線に高校があり、朝夕のラッシュには重要な役割を持っている。しかし、高校が休みのときは閑散としている。日中も高齢者の買物客や通院客が殆どで、2両で走っているにもかかわらず、乗客はまばら。それを考えてみると、都心部の混雑とは程遠い雰囲気が立ち込める。それは、あたかも回送列車を走っているかのように見える光景であった。


