次へ> 戻る>

●告知●

平成12年6月5日

どうも初めまして。これより約1年掛けて、旧日本陸軍の歴史の歩みと、それを中心に見る近代日本史について連載を始めるわけですが、その内容については完成されたものではなく、口語文語が雑多に混ざり合い、事実の記載のみや調査途中、情報募集告知を含むなど、いわば編集作業を皆さんにお見せする企画になります。多少なりとも間違った、あるいは説明不足の情報や、難解な用語や解説なども含まれるものであることをご承知おき下さい。

それでは、なぜこうした戦争や軍事について学ぶ必要があるのか。何の意味があるのかについて少し述べたいと思います。

本来軍事に関わる教育や研究は、軍事に使われるのが常道とされてきました。しかし戦争という出来事は、国家のみならず国民全ての生命、財産、生活に重大な影響を与えるものです。特に第二次世界大戦は、国家総力戦という国の総力全てを結集した戦いであり、国に存在する全てのもの、官庁政府機関、会社、様々な職業に携わる人、地域などの地方自治体等々、戦争や軍事に関わりのないものなど無いという位、我々に関わりが深いのです。にもかかわらず、戦争、軍隊、戦闘、作戦、などは、我々には何ら関係がないかのようにとらえられていますし、実際それが教育や社会一般に取り入れられてはいません。

本来の歴史教育とは、古い出来事を暗記し、時代の流れを学ぶことだけでなく、歴史上に経験した出来事から今後の社会に有益な教訓を汲み出し、利用するためにこそ必要なものだと思います。しかし、私自身が経験してきた歴史教育は、以上の域を脱するものではありませんでした。いわんや学歴偏重の世の中では歴史は単なる昔にあった出来事を学ぶものでしか無くなっています。特に今の日本があるその根元となった明治維新以降の近代日本史(私はその中でも特に重要と思われる明治維新から昭和の敗戦まで)は、最高学年の三学期に行われる関係上、更に輪を掛けてないがしろにされています。

もう一度言いますが、一旦戦争が開始されると(それは交通事故と同じで、必ずしも我々の意志や思惑には関わらず)、国家は戦争のため、もっと言えば戦争での勝利のため、国の全ての官民組織、人、物資(更に政治や宗教、思想、教育)が戦争のために動員されるのです。このことから、戦争全般(戦争、軍隊、戦闘、作戦)から得られる教訓は、我々にとって必要な知識であり、教育や研究に使用されるに値する重要な学問なはずです。しかしながら逆の視点から見ると、今の一般的日本人としては、そういったことに疎い(あるいはマイナス的なアレルギーとしてある)のが実状です。そして、それが世界一般的な見方であるかのように錯覚しています。ところが、世界主要国の有名な大学には、必ずと言っていいほど戦争や軍事に関する学部、学科が存在します。それは、いざ戦争になったとき、全ての分野にいる人々が、共通な戦争や軍事に関する知識を持ち、それぞれの分野で貢献することができるように、つまり国家総力戦の中でまさしく総力を尽くすために平和なときから準備し、努力している証なのです。翻ってみると、日本にそれがあるのは幹部自衛官を養成する防衛大学のみで、おそらく一般には開放していないと思われます。

もっと現実に即した話として、野球部の監督が野球の知識や経験がないとしたら、あなたはどう思いますか? 突然今日試合があるとして、その結果に不安を抱かない人は居ないと思います。それでは、戦争や軍事の知識や常識を知らない閣僚や政治家に指導された戦争ではどうでしょう? 文民統制(シビリアンコントロール)とは軍部の独走を防ぐ目的としては有効ではありますが、これは絶対ではなく、最善であるに過ぎないと言うのが政治の常識です。更に言えば、防衛庁長官でさえそうした知識には疎いと思われます。実質的に戦争を指導する人たちは、軍事に疎い、と言わざるを得ないようです。当然の事ながら、一般国民となればなおさらです。あえて言えば、自衛官にもその疑いはあります。もっとも、作戦や戦闘を指揮する幹部自衛官にさえ、そうした知識はおろか、自覚が足りないのではないかと疑わせる事件があったりするようですが、あなたはどうお思いでしょうか?

癌の完全な治療法がない現在、その治療法を見つけるべく今必死にその研究をしています。これはなぜでしょう? もちろん癌への特効薬や治療法を見つけるためなのですが、なら、なぜ戦争は研究されないのか。戦史から教訓を導き出す事を何故しないのか。日本は本当に戦争を欲せず、本当に戦争を放棄したいのか。癌を研究している人は、必ず癌を患っているのだろうか? そんなことはないはず。自分が癌になったときに使用することはもちろん、どこかの誰かが癌になっていれば、必ず役に立ちます。戦争も同様ではないですか。平和なときにこそ戦争を学ぶことは、戦争を未然に防ぐことも、戦争に至らないような方法を見つけることも出来るはず。無論、不幸にも戦争に巻き込まれたにしても、野球を知らない監督のように、全てを破滅と混乱におとしめることは少なくなるでしょう。

戦時中の行動は、非常時であるからこそ、平和なときには願っても得られない貴重な教訓やデータの宝庫なのです。危機管理が叫ばれる今、指導者(政府閣僚、指揮官、幹部役職者)、組織(官公庁、軍隊、会社)、人や物資、社会生活など各分野に有益な教訓が多数含まれているのですが、それが積極的に活用されているとは思えません。平和なときに何を、と言われるかも知れませんが、平和なときだからこそ、いや平和なときでしか出来ないものだと言うことを覚えておいて下さい。

それでは最後に一つだけ。この平和なご時世に、誰からも強制されず、自らの意志で軍事について学ぶ人たちがいます。それは社長や重役、いわゆる人の上に立ち、部下を指導し、会社を繁栄に導く人たちです。孔子やナポレオンなどから戦略や戦術、指導者としての資質などを学び、それを利用しています。目的などはともかくとして、学ぶべきものが多く含まれているのは間違いありません。ただ、戦争学は戦争をするために、戦史は軍隊のためにしか役立たないと、それだけにしか見えない視野の狭い人は確実にいます。今一度見直されてはいかがでしょう? ただし、これはこの教訓、あれはその教訓と、目印が付いていたり、導き出したりはしていません。こうした総合的社会学から自ら導き出すことこそ、自分の知識や教養に繋がるものだと思いますし、私はそれが面白いのだと思いますが、いかがなものでしょうか。

 

乱文はもちろん、誤字・脱字がありましたらお許し下さい。


次へ> 戻る>