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「芸術とは」

 芸術とは何であろうか。芸術とは人間に感動を与えるものであり、時間・空間を超えるものであるとも言われる。しかし、それらは結果として表出した特徴であり、芸術が何であるかの答えにはなっていない。

 また、一般的な芸術に対する評価としては、美しいと言う価値観で測られることが多いだろう。だがその一方で、芸術とは必ずしも美しいとは限らないとも言われる。しかし、美しいと言うことを全く含まないものを芸術と呼べるだろうか。そのようなものは、例えどれ程芸術と同じ要素を持っていようと、芸術とは別のものになるであろう。

 では、何故そのように言われるのだろうか。そのひとつの理由は、美しいとはより複雑な、或いはより多様な意味の調和に向かう特徴があり、一見して美しいとは感じにくいことにもなり得る。但しそれは、より新しいものを求める、と言う方向で進んでいくと言う意味においてであり、或る時点ではより単純な方向に進むこともあり得るとは思う。そしてもうひとつは、その表現されたものの一般的イメージが、汚い、或いは醜いものである時に作品そのものが美しく感じられない場合が考えられる。


 だからと言って、もちろん美しいと言うことと、芸術とがイコールと言う訳ではない。その大きな違いのひとつは、美しいとは人工物に対しても、自然物に対しても与えられる価値であるのに対して、芸術とは人工物に対してのみ与えられる価値であることではないだろうか。そして、ここに芸術とは何であるかのヒントが隠されているように思われる。

 それは、芸術をどう感じるかと言うことだけによって、芸術を定義することは困難であり、人工物たる芸術の創り手についても考えることが必要であると言うことである。つまり、根本的に芸術が何であるかは受け取り側の問題だけでなく、それを創る側がどんなつもりで創っているか、或いはそれらの関係の問題として捉える必要があると思われる。

 芸術の創り手からすれば、まずそれを何らかの形に表出すると言うことは、何らかの目的を持っているはずである。それを創る目的が何もなければ、敢えて表出する必要はない。もし何の目的(意思)も無しに表出されたのであれば、それはただの偶然の産物と言うことになる。また、ただの自己満足なら発表する必要もない。そしてその創造物が、何らかの使用目的を持っていれば、道具と言うことになってしまう。

 では、芸術においてその目的は何であろうか。その作品には明確な使用目的がある訳ではないと思うが、それは「表現されたもの」であり、つまり何らかを伝えようと言う目的があると言える。言い換えれば、芸術とはコミュニケーションの方法のひとつであると言える。(但し、このコミュニケーションは一般的には一方通行で行われるものである。)

 しかし、様々なコミュニケーションが存在する中、芸術と言うコミュニケーションの存在理由とは一体何であろうか。コミュニケーションと言えば、最も一般的なのは言葉によるものであろう。つまり、ひとつの捉え方として、芸術とは言葉との対比として考えることができるのではないだろうか。言葉によって伝えることができない、或いは伝えにくい事柄についてのコミュニケーション手段として、芸術は発展してきたのではないだろうかと言うことである。

 もちろん、芸術と言うのが始めからこのような意味で発生したとは言えないかもしれない。もともとそれは、美しいと言うことを追求することから始まったのかもしれない。もっと根本的には、より具体的なコミュニケーションの為の何らかの表現があり、その中に美しさを見出し、更に芸術へと発展してきたと言えるのではないだろうか。そしてその中で、芸術と言うものが言葉によって伝えにくい分野、つまり感情など感覚的な分野などを伝えるのに都合が良いと言うことで発展してきたのではないかと思われる。

 芸術の中には文学と言うものもあるが、これは普通の言葉では表現できないことを、敢えて言葉によって表現していると言う意味でやはり芸術である。つまり、言葉そのものの意味ではなくその中に、或いはその行間に何らかの感情や感覚的なことを含むように創作されたものが、文学と言う芸術であると言うことである。普段は使わないような言葉を使っていると言う意味では、詩などはこの解り易い例であろう。


 ここで疑問になるのは、芸術と言われるものと、そうでない美術的なものの違いは何であろうかと言うことである。美しいと言うことを含み、更に何かを伝えようとしている作品であっても、普通それを全て芸術作品とは言わないであろう。では、それは何故か。これもふたつの場合を考えることができる。

 ひとつは、レベルの問題である。伝えようとするものが、単純な解りやすいものなのか、複雑であったり多様な意味を持ったりするものなのかと言うことによる。それは、言葉によってもある程度伝えられるものや、一般的で明確なものなのか、より伝えにくいものなのかと言う意味においてのレベル差である。

 もうひとつは、評価の問題である。つまり、その創作者(所謂芸術家)がどう言うつもりで創っているかだけで芸術になる訳ではない。それを受け取る側がどう感じるかも、更に重要な問題である。創作者がその作品に何らかの感覚的なものを表現しようとして、受け取り側がその作品から何かを感じたとした場合、それは芸術作品と言うことになるのである。つまり感じたと評価されなければ、芸術とは言われないと言うことである。

 但し、創作者が意図したものと、受け取り側が感じたものが必ずしも同じであるとは限らない。しかし、それでも芸術はやはり芸術であり得ると思われる。それは、芸術になり得るものを創るのは創作者であるが、それを芸術にするのは受け取る側の問題である為である。また、それがコミュニケーションであると言うことも理由のひとつである。それは、コミュニケーションとは正確な内容が伝わるかどうかも重要であろうが、伝えようとすること、或いは解らないことを解ろうとするところにも大きな意味があると考えられる。それは、もともと情報が完全に伝わることなど有り得ないからである。

 つまり芸術とは、「美しいとは」で述べたような美的内容と、感情や感覚などのコミュニケーション的内容との二重の意味で複雑で多様な情報を持っているところに、高い価値が見出されるのであろう。そして、このことによって人は感動させられるのである。また、その芸術に含まれる美的感覚や感情などが、人に普遍的な要素が強いとすれば、時間や空間を超えて評価されることになるであろう。

2001/2/2

<*この文章に対するご意見が「私の意見に対するご意見」のコーナーにあります。>

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