島本大司教様                   推薦のことば

 子どものための教会史・長崎『まるちれす』を編纂、発行した長崎地区カテキスタ養成委員会は、6年間に亘る委員会の作業を整理、統合して、この度、『ガラサの時』を 出版することとしました。委員各位に、ここに深甚の謝意を表します。
 本書は、カテキスタの資質の向上をはかり、信仰の教授法を理論と実践の両側面か ら学習するために企画された研修会のまとめです。ですから、信仰教育の現場にカテキスタとして派遣される方々にとって、非常に有益な手引書、座右の書となることで しょう。
 カテキスタは、教会の発足当初から重要な役職として存在していました。事実、聖パウロはカテキスタを「教師」と呼び、彼らが神ご自身によって立てられたことを証言 しています。「神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師‥‥‥です」(Tコリ12:28)。「教師」とは、ひとつの信仰共同体 の一員としてその中に留まり、信者の信仰育成に専念していた人たちのことです。聖 パウロは彼らを「神によって教会の中に立てられた人たち」と宣言し、位置づけています。
 カテキスタが伝える信仰は、信じる人に救いをもたらす神からの恵み、キリシタン時代の言葉で「ガラサ」です。信仰という、人間にとって最も貴い恵みの奉仕者である カテキスタと教区内の司祭、修道者、信徒に誇りをもって本書を推薦いたします。
                     カトリック長崎大司教区
                     大司教  フランシスコ・ザビエル 島本 要
             はじめに

ガラサの時 時は恵みです。神の呼びかけに応えたアブラ ハムの旅立ちの時、イスラエルの民の過越の時、 救い主誕生の告知に対するマリアの受諾の時、 キリストの十字架上での救いの時。すべて神の 思いが充満した出来事です。この時を境に、人 は新しい歩みに招かれます。そして、この招き に応えた人々は、神が起こされたこれらの出来事を「恵みの時」と呼ぶのです。
 時は神秘です。フランシスコ・ザビエルの日本 への派遣の時、二十六聖人を初穂とする日本の教会の殉教の時、潜伏と信仰伝達の時、信徒発 見と信仰宣言の時。 日本の教会にとって、時は まさに神秘です。それには理由があります。「な ぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを 聞き入れた。 救いの日に、わたしはあなたを助 けた』と神は言っておられるからです(Uコリ 6:2)。」神がかかわった時は、いっも神秘です。
 時は招きです。待つ時と動く時、受ける時と 応える時。「七代たてば必ずローマから………」そ う言ってキリシタンたちは恵みを待ちました。 そして、時が満ちた日、「ワレラノムネ、アナタ ノムネトオナジ」と宣言したのです。時を恵みと して受けとめた人々の行いです。時は神からの 恵みへの招きなのです‘。キリシタンたちはその 恵みのことを、宣教師たちの言葉をそのまま受 け継いで「ガラサ」と呼びました。そして、「わた くしどもはガラサによって神の子どもとされ、 ガラサによって殉教の栄誉を受けました」と公言 したのです。まさに「ガラサの時」を忠実に生きた人々でした。

 西暦二千年を迎えます。世界も、教会も、大 きく揺らいでいます。しかし、神が激しく働き 始められた証拠だと受けとめます。恵みの時、 神秘の時、招きの時です。「神からいただいた恵 みを無駄にしてはいけません。なぜなら、……… 今や恵みの時、今こそ、救いの日」(Uコリ6:2)だ からです。  ここに『ガラサの時一次代への信仰伝達の ためにー』を編みました。長崎地区カテキスタ養成委員会が、これまで6年間にわたって企画 した研修会の内容や活動記録を網羅し、またそ れを踏まえ、これからの教区の信仰教育のあり 方に一提言をしたものです。この拙い作業が、 信仰を伝達する務めに特別に召されたすべての カテキスタの皆さんと、生涯にわたり小教区の 信者たちの信仰を育む使命を負っているすべての司牧者の皆さんの自己研鑚と励ましの一助にでもなれば幸甚です。
 約250年間、司祭不在の中に信仰を伝達した 出来事は、長崎教区が体験した神のみわざでした。それはまた、長崎教区の信仰の賜物(カリスマ)であり、使命ともなりました。ヨベルの年に、 もう一度その使命を思い起こし、この激動の日々が「ガラサの時」になればと念じています。
                   長崎地区カテキスタ養成委員会  
                              古 巣  馨
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