焼罪殉教地
福者カミロ・コンスタンツォ神父
 慶長18年(1613)には徳川幕府が全国に禁教令を出し、翌年キリシタンは国外追放となるが、その後何人もの宣教師が日本国内への潜入・布教を試みる。
 カミロ・コンスタンツォ神父もその一人で、元和8年(1622)に平戸や生月で布教を行い、その後五島に渡ったところで五島藩の役人に捕らえられ、9月15日、平戸瀬戸に面した田平側の岬で、今は焼罪と呼ばれる地で火あぶりの刑に処された。神父は柱の上に縛られながらも日本語、ポルトガル語、フランドル語で説教し、火がつけられても説教を止めず、最後は聖歌を唄いながら息絶えた。