誕生の神秘
みことばは世に来られた
主の誕生  (ベトレヘムでの誕生ルカ2章より)
 
  「闇に住む民は大いなる光を見た。」神からの救いのみことばは,人知れず,貧しさの内に生まれました。そのみことばを,素直な心で迎えたのも,自分の貧しさのうちに日々を素朴に生きる人々でした。日本にはじめて福音が伝えられた時,主は同じように貧しさのうちに生まれました。みことばが誕生するところは,いつ の時代も,人々のなかにあるベトレヘムなのです。
島原半島に宿り.成長したみことば
アルメイダとヴァリニアーノの使命 (アルメイダとヴァリニアーノの使命)

 1549年,F.ザピエルがはじめて日本に福音を伝えてから14年後,L. アルメイダによって島原にみことばの種は蒔かれました。アルメイダはポルトガルの青年医師として貿易船に乗っていましたが,日本で宣教師と出会い,修道士として日本のいたるところに福音を伝えて回りました。その福音は「神のあわれみの福音」でした。当時日本は,ハンセン氏病や弧児,子ともの間引きなと,悲惨な状況でした。アルメイダは医師として,深く心を痛め,一人でも多くの病む人に手を差し延へました。主の救いの福音は,アルメイダを通して,言葉より「あのれみの行い」のうちに日本人に説得力をもって伝わっていったのです。
 ザヒエルから30年後の1579年,イエズス会の巡察師ヴァリニアーノ神父が口之津に来ました。
 そこで日本で働くすベての宣教師たちが集められ,最初の宣教会議が行われました。議題は日本教会の改革でした。決定されたことは,宣教と同時に,すでに洗礼を受けた信者たちの信仰教育を徹底すること,そして日本の教会が、やがて日本人の司祭の指導のもと自立できるように,日本人の司祭の育成を始めることでしたヴァリニアーノは様々な困難の中にも,翌年有馬にセミナリオを造り養成を開始しました。日本教会の成長の時でした。
日本人司祭育成の始まりー有馬のセミナリヨー
少年使節 地方教会と普遍教会の架け橋となった4人の少年使節

 日本でのキリストの弟子たちの育成は有馬のセミナリヨで始まりました。 ここでの教育は,聖書や要理の勉強だけではなく,日本人としてまたキリスト者としての全人数育が行われていました。やがて来る殉教時代の日本の教会を指導していったのは,このセミナリヨで養成された司祭たちでした。
 このセミナリヨから4人の少年たちが,日本教会の使節としてローマに派遣されることになりました。将来の日本教会のリーダーを養成するため,また日本教会をローマに伝え,普遍教会との結びつきを保つことが目的でした。帰国後千々石ミゲルは棄教し,他の3名は司祭となりました。その中で中浦ジュリアンは,「私はローマを見た中浦神父です」との言葉を最後に残して,長崎で殉教しました。
殉教者の道をゆくー島原半島殉教地めぐりーより掲載しました。
古巣 馨神父様に感謝します
   苦しみの神秘