苦しみの神秘

ゲッセマネのイエス 一試みの教会一
ゲッセマネのイエス (マタイ26.36−46)
  「父よ・・・あなたのみ心が行われますように」ゲッセマネは人の思いと,神の思いが正面から向き合う場所です。ゲッセマネは,神の思いを生きることを決意する人と,苦しみのあまり人の思いに戻っていく人の分岐点でもあります。誕生して50年足らずの日本の教会も,26聖人の殉教を手始めに,このゲッセマネを体験するのです。

生命の川の岸辺に燃える有馬の8人の殉教者
8人の殉教8人の殉教の拡大「天を仰ぎなさい」
マグダレナ林田
 1613年10月7日,有馬川の中洲で,2万人も の信者たちが見守り祈る中,8人の信者たちが 火あぶりによって殉教しました。島原半島の信者たちを代表しての殉教でした。8人の中には林田の親子3人が含まれていました。12歳の息子は,柱の縄か焼け落ちたとき,側で燃えている母親の所に行きしかみつきました。その時母親は「天を仰ぎなさい」と天を指さし,息子と共に神を讃えながら燃え尽きていきました。また,19歳の娘マグダレナ林田は綱が焼け落ちたとき,足元から燃える薪を拾い上げ,その火を頭上にかざし,「神よこの火を祝福してください」と祈りながら燃え尽きていきました。
 2万人もの信者たちは,有馬川の岸辺で,この証の出来事を見届けました。その川は汲めども尽きぬ永遠の生命の水をたたえる,生命の川のようでした。この8人の殉教によって,日本の教会は大いに勇気づけられました。翌年,日本政府は最も厳しいキリスト教禁令を出したのです。
「お父さん生贄の子羊はどこにあるのですか」
ー波間に沈む内堀3兄弟殉教者ー
切られた指
イグナチオ内堀
 有馬の8人の殉教から15年後のことです。島原では37人が捕らえられ牢に入れられました。
 その中の16人を海に沈めて殺せとの命令がくだりました。16人の中に,内堀作右衛門の3人の 息子たちがいました。16人は船に乗せられる前に,親指と小指を残して3本の指を両手とも切断されました。「キリスト信者は人間ではない家畜と同じだから,10本の指はいらない」との理由でした。三男のイグナチオ内堀はまだ5歳でした。イグナチオは切断され,鮮血にまみれた両手を,自分の顔の前に差し出しました。その姿は,ちょうど真っ赤な二本のばらを神に捧げるようであったと宣教師の報告書は伝えています。その後,16人は船に乗せられ海へ連れていかれました。その殉教を見届けるために,父親たちも別の船で連行されました。
  役人たちは16人の信者たちを厳寒の海に次々と投げ込み,死にそうになったらまた引き上げ,何度も何度も棄教を迫るのです。18歳の次男アントニオ内堀は最後に沈む前に「お父さんこんなに大きな苦しみを受けたことを 神様に感謝しましょう」と叫びました。三男のイグナチオはすでに衰弱し きって,もう何も言いませんでした。ただ,最後に石を縛りつけられ沈められる前に, しばらく舟の後ろに横たえられました。父親作石衛門はイグナチオをじっと見つめていました。
 その様子は,まるで老いたアブラハム が生贅のために横たえられた独り子イサクを見ているかのようだったと報 告書は伝えています。こうして,島原の海は祭壇となり,日本教会の神への清い捧げものがそなえられたのです。岸辺には,仲間の信者たちの祈りがありました。
証の山に登る雲仙の殉教者
雲仙の殉教者  息子たちが殉教したそのー週間後,父親作右衛門はじめ16人が,そしてニカ月半のちには10人か雲仙岳に連行され,熱湯をかけられ,ついには「地獄」とよばれる熱湯の池に投げ込まれて殉教しました。その朝,千メートルほどの山に向かって,殉教者たちはー歩一歩登っていきます。祈りと賛美歌を歌いなから。その頂は,神との出会いの場であり,その一歩一歩は,命をかけて信仰を証するための最後の歩みだったのです。雲仙岳は,島原の信者たちにとって,まさにあのシナイの契約の山であり,信仰の証の山となったのです。
 熱湯の中で,信者たちは意識のある間中「こ聖体のうちにましますイエスは,讃えられたまえ」と大声で神を讃えていたと報告書は伝えています。
キリスト者の日々の生活は,神との出会いを求め,証の山に登る道程なのです。
 島原城の牢屋で,作右衛門は殉教までの日々を祈りつづけました。その後も,ジョウチン峰らこの牢屋で祈りつづける信者たちがいました。殉教はいつも神の恵みと,仲間の祈りに支えられての出来事です。
 復活の神秘