浦上教会   無原罪の聖母
住 所
〒852-8112
長崎市本尾町1−79
TEL 095−844−1777
FAX 095−844−6508
教会学校
.F 095−844−1999
被爆マリア像小聖堂

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交 通
長崎電鉄
松山下車 徒歩 15分 県営バス
三つ山口行.三原循環.女の都行.女の都団地行 長崎バス
下大橋行(8)何れも天主堂前・センター前・ 神学校前下車 徒歩1分
主日ミサ
土曜日19:00
日曜日 6:00 7:30 9:30
司 祭
ペトロ  小島 栄師
ペトロ  中浜 敬司師
ヨハネ  中野健一郎師
ミカエル  川端 志範師
沿 革
 明治6年(1873)浦上四番崩れによる「旅」から荒廃した故郷に戻った浦上の信徒は、明治12年(1879)浜口の土井に仮教会を建てたが、翌年にはかつてキリシタン弾圧の見張り所だった山里の庄屋、高谷氏の屋敷を買収して、初代の天主堂を建立した。
明治21年(1888)パリ・ミッション会のフレノ師が初代主任司祭として着任し、明治28年(1895)聖堂の建築に着手、過労で倒れたフレノ師に代わってラゲ師によって、大正3年3月18日未完成のまま献堂式を行い、大正14年(1925)ヒューゼ師が双塔をつけ、フランスから取り寄せたアンゼラスの鐘を取り付けて完成した。
30年の歳月と信徒の祈りと汗の結晶をもって建立したロマネスク式の東洋一を誇った大天主堂も、多くの信徒と共に原爆によって破壊されたが、昭和33年(1958)信徒の熱意によって元の場所に再建された。
昭和37年(1962)、山口大司教によって大浦天主堂に代わる司教座聖堂に指定された。
昭和56年(1981)2月来崎した教皇ヨハネ・パウロU世の司式により叙階ミサが挙行された。
特 色
 浦上四番崩れによって壊滅的な打撃を受けながらも浦上のキリシタンの信仰は篤く、現代の信徒たちにも連綿と受け継がれている。最近までは日本一のマンモス小教区であった。(地域人口比率19.9%・5人に1人力トリック)
区域内修道院・カトリック施設等
*神言会,幼きイエズス会,お告げのマリア会,聖母の騎士修道女会,師イエズス会,聖フランシスコ病院修道会, 長崎純心聖母会*南山学園,純心女子学園,公教神学校,聖ルドビコ神学院,長崎信愛幼椎園,うみのほし幼推園・保育園,純心幼推園*聖フランシスコ病院,浦上養育院,永井学生センター,セントポール・コーナー, ピエタ,長崎カトリック・センター
区域内史跡・景勝地
+十字架山,ベアトス様の墓,秘密教会跡,如己堂(帳方屋敷跡),ルルド
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