例大祭

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由来

その歴史は長く、起源は平安時代にまでさかのぼります。上芳野(芳野川の上流)に位置する惣社水分神社の速秋津姫命様が、夫君である当社の御祭神、速秋津彦命様にお会いになるため、神輿にて渡御されるというロマンチックなお祭です。

日時

十月の第三日曜日です。
本来は十月二十一日と定められていました。近年の情勢を踏まえ、より多くの方にご参詣いただけるよう、このように変更いたしました。

行程

宇太水分神社内での行程

午前七時過ぎ、乗り児(太鼓の叩き手を務める児童)を乗せた宮本(宇太水分神社の地元である古市場地区)の太鼓台が、境内を出発します。

写真A-1 宮本太鼓台の幕
午前十時、本祭の儀(氏子、崇敬者が参列し、秋の恵みに感謝する神事)が拝殿で行われます。 来賓をお迎えし、普段は閉めている中門を開け、第一殿と第三殿に神饌を供し、宮司が第二殿前で祝詞を奏上し玉串を奉ります。
午前11時頃、各地区からの子供神輿が集まり始めます。 和太鼓「奏」の子供たちによる演奏が行われます。
正午から午後2時ごろ、太鼓台六基(宮本、松井、岩崎、宇賀志、佐倉、芳野)が、神輿行列を先導する形で境内に勇壮に繰り込んできます。これらの太鼓台はそれぞれ重さ約2トン、担ぎ手は百数十人というものです。太鼓台は互いに競い合うように、境内を所狭しと練り歩きます。(写真A-2)

写真A-2

写真B-2

午後二時ごろ(天候その他により、神輿の到着時間は異なります)、惣社水分神社の氏子である芳野の太鼓台が、神輿を一ノ鳥居まで迎えに出、それに先導される形で、神輿渡御の行列が粛々と到着します。このとき、境内は凄まじいほどの熱気に包まれ、最高潮の盛り上がりとなります。
行列が完全に到着すると、女神様がお渡りになったことを告げる祭典が斎行されます。まず、神輿を本殿の脇にある夫婦杉の根元に奉安し、惣社水分神社及び郷社の御幣を第二殿の大床に奉ります。各地区(郷)の氏神様がお集まりになったということを表します。
その後、当社宮司が本殿に向かって、惣社宮司が神輿に向かって、それぞれ同時に祝詞を奏上するというきわめて珍しい神事が行われます。

午後3時ごろから 還幸の儀(退出):芳野太鼓台→神輿行列→佐倉太鼓台→宇賀志太鼓台→松井太鼓台→岩崎太鼓台→宮本太鼓台の順で各地域に帰っていきます。
それぞれの太鼓台は、出発前に再び、
境内を練りまわります。
2基や3基の太鼓台が、
同時に境内を練りまわることもあり、
大迫力の見ごたえです
神輿渡御行列の槍振を、
境内の中央で行う際には、
通路の確保のため、
ご参拝の皆様には場所の移動を
お願いいたしますので、
役員の指示に従っていただけますよう、
お願い申し上げます

神輿渡御の行程


写真B-1 惣社水分神社
午前八時、鳳輦神輿(惣社水分神社には、
南北朝時代の作で重要文化財に指定されている
鳳輦神輿が保管されています。
ただし例祭には毀損のおそれがあるため
レプリカを使用します)を中心にした
総勢百名の行列が、惣社水分神社を出発します。
行列には、毛槍、花傘、先箱、宝箱などが含まれ、
江戸時代の大名行列の形式をとっています。(写真B-2)

写真B-3

写真B-4
 途中数箇所で、手振、先箱、槍振のお練り(写真B-3) を行い、東郷(芳野水分神社と当社とのほぼ中間地点)にある勝林寺前で、迎えの宇太水分神社神職および氏子の代表者と会同します。そこで、神輿を奉安して神事が行われ、当社宮司よりの秘撰(化粧品と粟。化粧品が奉られるのは、惣社水分神社の御祭神が女神様であることによります)が、惣社水分神社の御祭神に奉られます。(写真B-4)
 その後は、宇太水分神社神職と氏子が行列の先導となり、途中、松井地区の天神社前において祭典を行った後、宇太水分神社に向かいます。