今週のお知らせ 
11月28日(日) 待降節第1主日  
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             今週の言葉・道しるべ
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 いつも目を覚まして祈りなさい。
  (待降節第1主日:ルカ 21・36)

*次週、宣教地召命促進の日(献金)
 キリストを知らない人に救いの福音を伝えることは、キリスト者一人ひとりに課せられた使命であり、神からの呼びかけにこたえること(召命)です。それゆえ、宣教地である日本において、全ての信徒がその使命を果たせるよう、また宣教に従事する司祭・修道者がよりいっそう増えるよう祈ることは、とても大切なことです。
 この日、私たちは、世界中の宣教地における召命促進(神学生)のために祈り、犠牲をささげます。当日の献金はローマ教皇庁に集められ、全世界の宣教地の司祭養成のための援助金として送られます。合わせて教区の良き伝統である封筒による献金もお願いします。
 次回、2つの小神学校(長崎カトリック神学院・聖コルベ志願院)の神学生を紹介。

*主日ミサの参加義務免除
 基礎疾患のため、また感染対策の徹底を余儀なくされている方々への「主日のミサ参加の義務を免除」が2022年1月30日(日)まで継続となりました。

◆今日(11月28日)で聖書週間 終了

 今年のテーマは、「家庭-試練や苦境における喜びの源」。以下は、リーフレット『聖書に親しむ』の中から〝良書のすすめと読み方〟の一部を紹介。

①正教会の暦で読む 毎日の福音
 イラリオン・アルフェエフ 著 小野成信 訳 2021年 教友社  3600円+税
 ロシア正教会の府主教であり、指導的神学者の一人である著者によって書かれた福音書の講話集です。全354話が収録されています。東方正教会の伝統と霊性に立ちつつ、信徒にも分かりやすいように霊的な視点によって四福音書を解説しています。講話は正教の典礼暦に従って収録されていますが、巻末の索引を利用すると、調べたい福音書の箇所を探すことができます。また、正教会用語と一般の表記との対照表もあり、なじみのない人にも使いやすくなっています。現行で唯一入手可能な正教会の福音解説書信仰生活を見直す道導として最適です。

②詩編を祈る ─ 人間の経験から生まれる詩 ─
 レナト・フィリピーニ 著 2017年 教友社  1000円+税
 「レクティオ・ディヴィナ」とは伝統的な聖書の読み方であり、「聖なる読書」と言われ、神ご自身と出会うために読むことを意味します。本書では、150 編の詩編から重要な24 編が厳選されているので、それを学ぶことによって、深い黙想や祈りへと向かわせてくれます。どの詩編も極めて重要な箇所ですので、詩編入門としても読むことができます。「詩編はヘブライ語で『テヒリーム』(賛美)ですが、詩編は『賛美』では終わらず、祈りであり、告白です」(雨宮慧神父様推薦文)。詩編を賛美として歌うことができるように、その本質を学ぶことができます。

③日々の暮らしの中で ─ 信仰を育て、実践する ─
 レナト・フィリピーニ 著 2020年 教友社  1000円+税
 「レクティオ・ディヴィナ・シリーズ」の3作目。福音書の教えの中でも特に大切な「主の祈り」と「八つの幸い」(真福八端)を中心に、み言葉を学び、味わいます。祈りとともに信仰生活を生きるための黙想・観想 のガイダンスです。一人でみ言葉を学んで霊的生活を基礎づけるためにも役立ちますが、「グ ループで行うレクティオは、全員がイエスのみ言葉に生かされ、その喜びを周りの人々に伝えるように変容させていきます」(白浜満司教様推薦文)とあるように、教会での学びにも最適です。霊的な共同体を作り上げるために。

◆残りの「ヨセフ年」を有意義に過ごすため ⑤

4 受け入れる心の父
 ヨセフはマリアを、何ら前提条件なく受け入れます。天使の言葉を信頼しているのです。「彼の心は高潔であったので、律法で学んだことを愛に従わせました。そして今日、女性に対する精神的暴力、ことばによる暴力、身体的暴力の問題が自明である世界にあって、ヨセフは敬意を忘れない、細やかな男性の像となります。すべてのことが知らされているわけではないにもかかわらず、マリアの名誉と尊厳と人生のために心を決めるのです。そして、どう行動するのが最善かを迷う中、神はその判断を照らし、選びを助けてくださいました」。

 人生には、意味を理解できない出来事が数多く起こります。私たちの最初の反応は、大抵は失望や反発です。ヨセフは、起きていることに場を空けるために自分の推論を脇に置き、自分の目にどれほど不可解に映っているとしてもそれを受け入れ、その責任を引き受け、自分の過去に対するわだかまりを解くのです。過去に対するわだかまりを解かなければ、私たちは次の一歩を踏み出すことすらできないでしょう。期待とその結果としての失望に、とらわれたままになるからです。

 ヨセフの霊的生活は、明らかにする道ではなく、受け入れる道を示しています。こうした受け入れる心、わだかまりの解消によってようやく、より素晴らしい人生、より深い意味も明察しうるのです。ヨブの燃える言葉がこだまするかのようです。わが身に起きたあらゆる不幸に抗えばいいとの妻の促しに、彼は応えました。「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」(ヨブ2・10)。ヨセフは、受け身に甘んじる人ではありません。勇敢で強い主人公です。受け入れる心は、聖霊からもたらされる剛毅の賜物を、人生の中に顕現させる一つの道です。主のみが、人生をありのままに受け入れる力、つまり人生においてつじつまが合わない部分、想定外の部分、そして失望した部分のためにも場を空ける力を与えることがおできになります。

 私たちの間にイエスが来られることは、御父からの贈り物です。一人ひとりが自分の過去と、例えそれをすべて理解できなくとも、しっかりと和解できるようになるためです。この聖人に「ダビデの子ヨセフ、恐れるな」(マタイ1・20)といったように、神は私たちにも「恐れるな」と繰り返しているように思います。怒りや失望は脇に置き、この世に甘んじることなく、希望に満ちた不屈の精神で、自分で選んだわけではなくともそこにあるものに、場を空けなければなりません。このように人生を受け入れることで、隠された意味に出会います。私たちそれぞれの人生は、福音が語ることに従って生きる勇気を見いだすならば、奇跡のように再び動き始めるのです。今、何もかもが間違った方向に進んでいるようでも、また、幾つかの問題が取り返しのつかないことになっていても、問題ではありません。神は岩間にも花を咲かせることがおできになります。たとえ、何かしら良心のとがめがあったとしても、主は、「私たちの心よりも大きく、すべてをご存じ」(一ヨハネ3・20)です。

 存在するものいっさいを拒絶しない ― このキリスト教のリアリズムにあらためて立ち帰ります。現実は、その神秘的な不可逆性と複雑性において、そこにある光も影も含め、存在の意味を支えます。だから使徒パウロは断言します。「神を愛する者たち … には、万事が益となるようにともに働くということを、私たちは知っています」(ローマ8・28)。これに聖アウグスティヌスは、「悪といわれているものも」と付け加えます。こうした全般的観点から見れば、信仰は、うれしい出来事や悲しい出来事の一つ一つに意味を与えるものなのです。

 ですから、信じるとは慰めとなる安易な解を得ることといった考えは、私たちからすればとんでもないのです。キリストが教えてくださった信仰は、そうしたものではなく、聖ヨセフに見られるものです。ヨセフは、近道を探すのではなく、自分の身に起きている出来事を「目を凝らして」直視し、自分のこととして責任を負うかたです。ヨセフの受け入れる心は、排除することなく、その人そのままに、弱い人を優先して、他者を受け入れるよう私たちを招きます。神は弱い人を選ばれ、「みなしごの父となり、やもめの訴えを取り上げ」(詩編68・6)、寄留者を愛するよう命じているからです。イエスはヨセフの姿勢を、放蕩息子とあわれみ深い父の例えのモデルにしたのではないか、そんな想像をしてみたいのです。
          教皇フランシスコ 使徒的書簡 「父の心で」 (続く)
                        主任司祭 久志利津男
 28日(日) 待降節第1主日
 12月3日(金)

  初金ミサ 女性部担当:石神1・2(10時 聖堂)
  十字架の道行(19時 聖堂)
  日本宣教の保護者 聖フランシスコ・ザビエル司祭(祝)
 4日(土)

  堅信組筆記試験(17時30分 教会学校)
 5日(日) 待降節第2主日 宣教地召命促進の日献金

  評議会(19時 信徒会館)
■12月5日(日) 9時30分ミサ 聖書朗読委員当番

     深堀 哲也さん 山田 富枝さん
■12月5日(日) 18時30分ミサ 典礼当番

     深井 伸也さん (教会学校)
■教会境内駐車整理当番

     12月4日(土) 平山 昭教さん 井手 修司さん
     12月5日(日) 平山 勝さん 長谷崎 利朗さん
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