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 今週のお知らせ 
9月 年間 今月の地区集会
   今日は、「世界難民移住移動者の日」

  テーマ:「移住者と難民に対する受け入れ、保護、促進、共生」

  
2018年「世界難民移住移動者の日」委員長メッセージ
 教皇フランシスコは、いろいろな機会を通して移住者と難民の人たちのために発言しています。今年のメッセージでは、私たちが共同で行う対策として、「受け入れる、守る、促進する、共生する」という4つの側面をあげています。教皇はこれらのことを、単なる理念に終わらず具体的に示しています。人道支接を目的とするビザや、家族が合流するビザを発給することや、手続吉今簡素化することなどです。また、移住において家族がいかに大切であるか、共生は文化的なアイデンティティーを抑圧されるような同化とは異なることを強調しています。
 教皇は、この実現のために、今、国連が計画している「難民と移住者のための具体的な対策」を教会としても積極的に協力していごうと私たちに呼びかけられました。日本でも「排除ゼロキャンペーン」として取り組んでいきましょう。                                          委員長松浦悟郎司教

  「日本カトリック難民移住移動者委員会」とは?
 1970年、教皇パウロ六世によって「移住・移動者司牧評議会」が設立され、2018年、教皇フランシスコの教皇庁改組で生まれた「人間開発のための部署(仮称)」の移住者・難民部門として継承。日本では、1960年代により「移住協議会」から「国際協力委員会」として活動、2001年の司教総会において現在の「難民移住移動者委員会」に改称しました。
 同委員会は、福音に基づき、多民族・多文化・多国籍共生社会をめざし、すべての人が神の子として、平等で基本的人権が尊重され、相互の文化・民族性を尊重し、ともに兄弟・姉妹として生きることができる社会の実現のために働いています。
                        主任司祭 久志利津男
 23日(日) 年間第25主日
               世界難民移住移動者の日献金


  尾髙神父様(聖ガブリエル)霊名のお祝い(9時30分ミサ)
  聖トマス西と15殉教者記念ミサ(14時 中町教会)
 24日(月)

  教会ソフトボール大会(8時30分より 医大グランド)
 27日(木)

  聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭(記)
 28日(金)

  聖トマス西と15殉教者(記)
 29日(土)

  聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使(祝)
 30日(日) 年間第26主日
■教会学校・各講座の開催日

  中高生 10月6日(土) 17時30分
  堅信(子供) 9月29日(土) 17時30分
  堅信(大人) 9月26日(水) 19時30分
  洗礼 9月25日(火) 19時30分
  結婚 10月2日(火) 19時30分

   各講座とも場所は教会学校1階教室となります。
   なお、講座参加予定の方は司祭館にて受付をお願いします。
■公開信仰養成講座の案内

  日 時: 9月24日(月・祝)13時~16時
  場 所: カトリックセンターホール
  講 師: 古巣 馨師
  テーマ: 「結婚と家庭生活」
  参加費: 500円
  主 催: 生涯養成委員会
■教会バザー(10月21日)に向けて
          「友愛セール担当からのお願い」


 贈答品や使っていない衣類等の提供をお願いします。

 9月30日、10月7日、10月14日の各日曜日9時30分ミサ後から12時まで、信徒会館で受付ます。
■訃報

  9月16日(日) 江平2のミカエル大脇秀雄さん(80歳)が亡くなりました。
        永遠の安息をお祈り下さい。
■9月30日(日) 9時30分聖書朗読当番

     田崎 哲さん  野中 喜代子さん
■9月30日(日) 18時30分典礼当番

     片岡 明俊さん (在世会)
■教会境内駐車整理当番

     9月29日(土) 野中 修さん  赤岩 保博さん
     9月30日(日) 田川 洋一さん  宮崎 元治さん
◇ 「サワディーカップ! タイからこんにちは」①
      青田憲司神学生のタイボランティア報告

 サワディーカップ(こんにちは)。神学生のヨセフ青田です。8月下旬、ボランティアと巡礼旅行を兼ねて、タイに約2週間滞在しました。そのご報告を兼ねてタイのカトリック教会についてご紹介したいと思います。

 タイは日本でも比較的馴染みのある有名な観光地なので、タイがどんな国なのかご存知の方も多いかと思います。タイ王国は、北、東、西の三方は隣接するラオス、カンボジア、ミャンマーなどの国と、南はマレーシアに接しています。日本も南北に長い国ですが、タイもかなり南北に長い国です。その面積は約51万3千平方キロ、日本の約1.3倍の大きさです。また、人口は、日本は約1億3千万人に対し、タイは人口約6700万人、日本の半分です。首都であるバンコクに住む人は約828万人。日本と同様、人口の1割前後が首都に住んでいることになります。
 タイでは毎朝8時と夕方6時に駅構内など公共の場で国歌が流れ、テレビ・ラジオでも流されます。出社、帰宅を急いでいる人たちも必ず立ち止まり、基本的には直立して国歌を聞きます。慌ただしく動いていた人たちが一斉に立ち止まるので、初めて目にすると戸惑うかもしれません。「国」に対するプライドはとても高い国だと感じます。
 また、タイといえば仏教国というイメージが強いと思います。実際、バンコクのような都市部においても、地方に向かう車内からでも、多くの仏教寺院を目にします。タイでは若い人々が休日に遊びに行くように、お寺は娯楽の場でさえあります。そのような「仏教の国・タイ」におけるカトリック教会に目を向けると、二つの大司教区と九つの教区からなり、信徒数は約29万(人口の約0.45%)と言われています。タイ国内全体の小教区数は436、司祭は662名とのことです。仏教の影響を受けたアジアの国であること、信徒数の人口比などからみても、タイの教会の雰囲気は日本と似たところが多いように感じます。

 (続く)
◇「旅の始まり150周年」を再確認 (4)
   中嶋信行さんによる信徒研修会(6月17日)での講話

テーマ2:最後の迫害「旅」

(1)キリスト教伝来から始まる浦上の歴史

 浦上という名前の由来は、深江浦の上手にある地方なので、浦上と呼ばれていた。
 1567年(永禄10)、イエズス会の修道士ルイス・デ・アルメイダ(ポルトガル人)によって、長崎の町に初めてキリスト教が伝えられました。 浦上はこの長崎の町の北部に隣り合った農村で有馬氏の飛び地でした。そしてここでもキリスト教の布教が熱心に行われました。
 1580年(天正8)、純忠が長崎と茂木をイエズス会に寄進したのに続いて、1584年(天正12)有馬晴信が浦上をイエズス会に寄進し、長崎や浦上は名実共にキリシタンの郷となりました。しかし1587年(天正15)、豊臣秀吉の宣教師追放令が出されると、翌年長崎の町と浦上は秀吉の直轄領となりました。 1603年(慶長8)、江戸幕府が開かれてからも引き続き幕府の天領となり、現在、浦上天主堂のある高台に屋敷があった庄屋、高谷氏の支配を受けることになったのです。
 浦上村山里は馬込郷、里郷、中野郷、本原郷、家野郷の5つの郷から成り、馬込郷を除いて4郷の全農民がキリシタンであり、その強い信仰が現在まで伝承されてきたわけです。

(2)浦上四番崩れ・旅へ

① 4つの秘密教会
 (公現の聖マリア堂、聖フランシスコ・ザペリオ堂、サンタ・クララ堂、公現の聖ヨゼフ堂)への急襲《その1》

 イザペリナ杉本ゆりが信仰を告白した大浦天主堂の異人さんたちが、自分たちが7世代250年間待ちわびてきた神父であることは、その日のうちに、浦上全村民に知れ渡りました。翌3月18日から大浦天主堂が大変なことになります。参観者が一気に増えたのです。その大部分はもちろん浦上の信者たちでした。しかし、日本はまだ厳重な禁教下にあったので、役人の警戒もさらに厳しくなります。けれども信者たちの熱情が押さえられるはずがなく、役人の目をかすめては天主堂に入り込んで、オラショを誦えたり、神父たちと話をしたりするのでした。 18日、19日、20日と早朝から信者が来て参観者はいよいよ多く、役人は天主堂のすぐそばまで来て見張っていました。
 プティジャン神父は、ついに信者たちに、15日間は遠慮するように言いつけ、神父の方から出向いて、信者の代表と会う事にしました。神父たちが知りたかったのは、250年間、1人の神父もいない中で伝えてきた、祈りや教義が正確であるかどうか、特に洗礼が正しく有効に授けられてきたかということだったのです。 23日に金比羅山で、一本木の徳蔵と会います。子が生まれると洗礼を授けて洗礼名をつけること、日曜日や祝日、四旬節など日繰りに従って教会の掟を守っていることなどは分かったのですが、徳蔵は水方ではないので洗礼の授け方を知りません。次の木曜日に水方のドミンゴ又市と会うことにしたのですが、警戒が厳しくて結局、会えませんでした。
 4月18日、プティジャン神父は一本木の森の中に潜入し、又市や何人かの信者たちと会い、洗礼のやり方も詳しく調べることが出来ました。又市は「エゴ・テ・バプチゾ……」というラテン語の洗礼の祈りを誦え、儀式の次第も説明しました。驚くべきことに、それは殆ど正確で、幾つかの祈りに言い間違いはあったものの、意味は変わっていないことがわかったのです。帳方の吉蔵は浦上三番崩れですでに殉教し、水方の又市が生き残っていたので、浦上の村人たちの信仰状態を詳しく知ることができたのです。

(続く)
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