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 今週のお知らせ 
1月 年間 今月の地区集会
   今週の言葉・道しるべ

    ただ正しいことのみを追求しなさい
        (一致祈祷週間のテーマ:申命記16・20)

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   キリスト教一致祈祷週間
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 今年のキリスト教一致祈祷週間は、1月18日(金)~25日(金)、全世界で行われ、テーマは、「ただ正しいことのみを追求しなさい」(申命記16・20)。

 毎年、キリスト教一致祈祷週間で使われる資料は、世界教会協議会(WCC)と教皇庁キリスト教一致推進評議会の共同事業として、各国から選ばれたキリスト教諸教会が協力して作成しています。今年はヘンリエッテ・フタバラット・レバン博士を議長とするインドネシア教会連合(PGI)と、イグナティウス・スハルヨ大司教を会長とするインドネシア・カトリック司教協議会(KWI)によって編成された、インドネシアのエキュメニカルなグループが担当しました。教会一致のために祈りましょう!

― 長崎では以下の内容で祈祷礼拝が行われ、誰でも参加できます ―
 日 時:1月20日(日)14時
 場 所:西坂・聖フィリッポ教会
 司 式:橋本 勲神父(中町教会主任、長崎教区エキュメニズム委員長)
 説 教:柴本 孝夫司祭
       (日本聖公会 長崎聖三一教会、長崎キリスト教協議会議長)

◆『世界こども助け合いの日と献金』のご案内
 1月27日(日)は「世界こども助け合いの日」で、子供たちが使徒職に目覚め、思いやりのある人間に成長することを願って制定。子供たちが自分たちの幸せだけでなく世界中の子供たちの幸せを願い、そのために祈り、犠牲や献金をささげます。
                        主任司祭 久志利津男
 20日(日) 年間第2主日

  旅の日 記念ロザリオ「旅する教会の神秘」(5時35分 6時ミサ前)
  3学期始業ミサ・始業式(7時30分ミサ)
  クリスマス馬小屋撤去(13時 壮年会)
  壮年会新年交流会(17時集合 大司教館前)
 21日(月)

  聖アグネスおとめ殉教者(記)
 22日(火)

  小学生勉強始まり
 24日(木)

  聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(記)
 25日(金)

  聖パウロの回心(祝)
 26日(土)

  中学生勉強始まり
  聖テモテ 聖テトス司教(記)
 27日(日) 年間第3主日

  世界こども助け合いの日献金
■教会学校・各講座の開催日

  中高生 1月26日(土) 17時30分
  堅信(子供) 1月26日(土) 17時30分
  洗礼 1月30日(水) 19時30分
  結婚 1月22日(火) 19時30分

    各講座とも場所は教会学校1階教室となります。
    なお、講座参加予定の方は司祭館にて受付をお願いします。
■世界文化遺産登録記念企画展開催中

  場 所:長崎県美術館
  期 日:1月27日まで

  「クアトロ・ラガッツィ 桃山の夢とまぼるし
     ― 杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ」


  一般1200円、大学生・70歳以上1000円、高校生以下無料
   (チケット購入時に『カトリック教報』1月号を提示=200円引)
■訃報

  13日(日) 相浦教会のマチア橋口朝光神父様(64歳)、
  16日(水) 大橋のマリア近藤宏子さん(60歳)、
  18日(金) 平和のペトロ青田 憲さん(81歳)が亡くなりました。
       永遠の安息をお祈りください。
■1月27日 9時30分聖書朗読当番

     深堀 哲也さん  城田 律子さん
■1月27日 18時30分典礼当番

     藤田 千歳さん (評議会本部)
■教会境内駐車整理当番

     1月26日(土) 野中 修さん  岩永 淑幸さん
     1月27日(日) 深堀 光二さん  太田 忠則さん
◇祈りで唱えている「十戒」についての教皇様の説教をシリーズで紹介

   教皇フランシスコ、2018年6月13日 一般謁見演説

   十戒に関する連続講話(1)

1.完全ないのちへの願望

 神の掟である十戒に関する連続講話を新たに始めます。まず、イエスとある若者との出会いを記した箇所から、その若者は跪いて、永遠の命を受け継ぐにはどうしたらよいか尋ねました。この問いは、私たち自身の命に向けられています。永遠に続く完全な命への願望。その命を得るにはどうしたらよいでしょう。真に生きるためには、気高く生きるためにはどうしたらよいでしょう。どれ程多くの若者が、「生きる」ことを追求しながらも、その場限りのことに振り回されて自滅していったことでしょう。
 本当の意味で生きたいという願望は、危険なので消し去った方がいいと言う人もいます。若者の皆さんに申し上げます。最強の敵は、現実の問題ではありません。最も深刻な危険は、馴れ合いという良くない精神です。それは従順や謙遜ではなく、凡庸で臆病なことです。何も思い切ったことをしない若者が未来のある若者なのでしょうか。現状を維持できても、成長することも、成功することもできません。特に目立たず、臆病な人。そうした若者は何にでも恐れを抱きます。従順で強い人になってください。臆病な人にも、何も思い切ったことをしない人にもならないでください。

 若者だった福者ピエル・ジョルジョ・フラッサーティ述べたように、人はただその場をしのぐだけでなく、生きなければなりません。何も思い切ったことをしない人は自分の生命力に動かされるままに、ただその場をしのいでいます。健全な意味での活動性という賜物を、現代の若者のために、天の御父に願い求めましょう。皆さんの家で、若者が一日中、座り込んでいたら、「どこか具合でも悪いのだろうか」と親は心配し、医者に連れて行くかもしれません。若者の生活は休みなく前に進むものです。それは、美しさも彩りもない生活に満足しないという健全な意味での活動性です。若者が真の命を求めなくなったら、人類はどうなってしまうでしょうか。福音の中の若者の問いかけは、私たち一人ひとりの中にもあります。「幸福で満ち足りた命を得るにはどうしたらよいでしょうか」。イエスは「掟をあなたは知っているはずだ」と答え、それぞれの掟を唱えます。それは、正しい場所に導くためにイエスが用いた教育法です。若者の問いかけから分かるように、彼は完全な命を得られず、さらに多くを求め、動かずにはいられません。彼が納得するためには何が必要なのでしょうか。それは自分自身の限界を受け入れるときに始まります。私たちは他者との関係において物事を捉え、「自分に欠けているもの」に気づく時に大人になります。この若者は、自分の「できる」ことは皆、「天井」より上には昇っていかず、限界も超えないことに気づかされました。
 人間であることは、なんと素晴らしいことでしょう。私達の存在は、なんと貴重なのでしょう。しかし人間は実際、過去数世紀の歴史の中で、自分自身の限界という真実を何度も退け、悲劇的な結果をもたらしてきました。「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成する為である」。福音書の中のイエスのこの言葉は、手がかりになる何かを教えてくれます。主イエスは完成をもたらしてくださいます。この若者は、瀬戸際に立っており、何か思い切ったことをしなければなりませんでした。彼には完全な命がなかったからです。彼は、自分自身の為に、自分の仕事や富の為に生きるのをやめ、全てを捨てて主に従うよう勧められました。イエスの最後の呼びかけは、貧しさへの提案ではなく、富への、真の豊かさへの提案です。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい」。

 本物とそのコピーを選べるとしたら、誰がコピーを選ぶでしょうか。命のコピーではなく、本物を得ることこそが挑戦です。イエスは代用品ではなく、真の命、真の愛、真の富を与えてくださいます。もし私たちが本物を選ばず、中途半端に周りに合わせるだけだったとしたら、どうして若者が信仰のうちに私たちに倣うことができるでしょう。中途半端なキリスト者、ある程度までしか育たなかったキリスト者を見るのは悲しいことです。心を閉ざして、小さくなってしまったキリスト者です。もう少し「先まで」、「大きく」育つよう、招いてくれる模範が必要です。聖イグナチオはそれを、「炎、まどろみから目覚めさせる行いの炎熱」と呼びました。欠けているものの道は、存在するものの道を通ります。「欠けているもの」に飛び込むには、現状から始めなければなりません。通常でないものに自らを開くためには、通常のものを綿密に調べなければならなりません。
 この連続講話で私たちは、イエスの手を取りながら、モーセの二枚の石板をキリスト者として携えます。それは、イエスに従って歩きながら、若さゆえの錯覚から、天の宝へと進んでいくためです。それぞれの古代の聡明な掟の中に、私たちは天の御父によって開かれた扉を見いだすでしょう。主イエスは、その境目を超えて、私たちを真の命へと導いてくださいます。主イエスの命は、神の子の命なのです。

(続く)
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