秋元氏
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秋元氏の祖は、粟田関白道兼八代の後胤
宇都宮頼綱の子泰業が、上総国周淮郡の
秋元荘に住み、秋元氏を称したことに始
まる。
秋元(小糸)城跡(千葉県君津市清和市場字根小屋)
伝承によると、嘉禄年間(1225〜27)
に宇都宮泰業が周淮郡に住し、秋元荘を
領したと伝わる。
里見氏に属し、永禄七年(1564)国府
台の合戦ののち 秋元城は落城し、城主秋
元義久は戦死したと言われる。

秋元城跡は現在整備され、木戸跡や三段の曲輪跡、背後の大掘切が残っている。
秋元氏はその後裔国朝が、武蔵に移り住んだ。歴史上に名を著すのは、景朝の代からで武蔵深谷城主上杉憲賢・憲盛に仕えていた。
景朝の子が長朝で、天正十八年(1590)の小田原の役の折、豊臣秀吉に属し、のち 浅野長政を通じ家康に仕え、慶長七年(1602)上野国総社一万石に入封した。
次の泰朝の代には一万五千石となり、日光東照宮造営にあたる。泰朝は駿府でも近習として重く用いられていた。
寛永十年(1633)には、甲斐国谷村一万八千石に転封となった。
泰朝のあと 富朝―喬朝と続き、喬朝が若年寄・老中に進み川越五万石に移封となった。
喬房―喬求―凉朝と続き出羽山形六万石に移され、永朝―久朝―志朝の代に上野国
館林六万石となった。礼朝の代を経て明治維新を迎えている。
総社城跡(群馬県前橋市総社町植野)
一万石で総社に封ぜられた秋元長朝が築城。現在、遠見山古墳を利用した物見櫓台跡、
大手口付近を流れる堀川跡が残り、城川公園に案内板が立てられている。
総社城物見櫓台跡
谷村城跡(山梨県都留市川棚字城山)
泰朝―富朝―喬朝と寛永十年から
宝永元年まで 秋元氏が在城。
秋元氏の川越移封後廃城となった。

曲輪跡・土塁・空堀が残っている。
館林城跡(群馬県館林市城町)
つつじが岡公園から城沼を隔てて
館林城本丸跡方向を見る
写真は、三の丸に復元された城門。
本丸・三の丸に土塁が残り、城下
には 外郭の土塁・堀も残っている
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松平(徳川)家臣団の城館