安倍氏
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信濃滋野氏の流れと言う。駿河国安倍郡安倍谷に住し、安倍氏を称した。
写真は安倍谷があったと思われる井川集落方向を井川ダムから見たもの(左)と
現在の井川の集落(右) <静岡県静岡市井川>
安倍氏は元今川氏に属し、安倍元真は桶狭間での今川氏凋落後 駿府城を守ったが武田氏の攻撃を支えきれず、安倍谷に退去したという。
のち、徳川家康に仕え主に武田氏に備え、遠江国伯耆塚城将を勤めた。
元真の子 信勝は家康関東移封にともない天正十八年(1590) 尾張比良から武蔵国榛沢郡に移り、五千二百五十石を与えられた。
信勝の子 信盛の時一万石となり さらに次代信之は二万二百五十石と加増を受け、信峯の代に武蔵国岡部に居所を定めた。(それまで岡部氏は大坂定番を勤める関係上 摂津桜井谷、三河半原にも陣屋を構えていた。)
安倍氏は明治まで続くが、慶応四年の幕末に居所を三河国半原陣屋に移し 半原藩を称した。

上の写真は安倍谷を探して探索したのですが、安倍谷の正式所在がわからず 文献に安倍元真が 「大井川上流 井川の住」とあったので井川を訪ねた折に撮影したものです。
岡部陣屋跡(埼玉県大里郡岡部町岡部)
半原陣屋跡(愛知県新城市富岡)
安倍氏が幕末の半原移動まで在所を置いた陣屋跡。
遺構は見当たらないが、西洋流砲術家として著名な高島秋帆が1846〜1853の間 幕府よりこの地に幽閉されていたことから、秋帆幽閉地の石碑が建っている。
慶応四年藩主信発は、勤王奉命書を提出し武蔵岡部より、三河半原に藩庁を移した。
移動四年にして廃藩置県となっている。
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松平(徳川)家臣団の城館