岡部氏
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岡部信綱・正綱父子の墓所

朝日山から朝比奈川を渡った対岸、若宮八幡宮北西約500m 万松院境内にあります。
朝日山城跡(静岡県藤枝市仮宿城山)
本姓藤原南家で為憲流、参議乙麻呂の後裔。清綱の代に駿河権守となって岡部郷に住み、岡部氏を称した。代々今川氏に仕えていた。
岡部正綱は 代々今川氏の家臣で義元・氏真に仕え軍功も多かったが、今川氏衰退後は武田信玄に招聘された清水城を任されたほどであった。 また駿府人質時代の家康とも親しかったという。
武田氏滅亡後、家康の勧誘を受けて仕え、徳川甲斐国支配に尽力している。
北条氏直との甲斐争奪戦においては寡兵にもかかわらず、大久保忠世・大須賀康高と連携した殿軍役を務め、勝利に貢献した。
子の長盛は、十六歳で家康に出仕し長久手の役では自らも首級を挙げている。
また長盛は、天正十三年 信州上田 真田昌幸攻めでは大久保忠世に協力、城攻めには敗退したものの城兵を誘い出し、丸子川合戦では撃破した。
天正十八年(1590)の家康関東移封では、下総山崎一万二千石を得ている。
関が原合戦には参加せず後備軍となるが、のち丹波亀山三万二千石を経て大坂の陣の功により二千石加増で丹波福知山に移され、さらに美濃大垣五万石となった。
次の宣勝は、播磨龍野―摂津高槻を経て 和泉岸和田六万石に入封している。
子孫は岸和田藩主として明治維新を迎えた。

写真の朝日山城は、岡部氏が室町時代に築城。 標高100メートルくらいの山に郭・土塁・大竪堀・出曲輪が残っている。
場所は静岡大学農場の向かいの山。稲荷社も鎮座。
岸和田城跡(大阪府岸和田市岸城町)
岡部氏が寛永十七年(1640)以来藩主として明治維新を迎えた岸和田城。              
本丸と塁濠が残り、天守・隅櫓・櫓門が新造されているがいづれも模擬復興である。
岸和田藩は 紀伊に近く 紀州藩監視役の密命も帯びていたという。
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松平(徳川)家臣団の城館