西郷氏
五本松城跡(豊橋市石巻中山町字城屋敷)
正平年間頃、肥後国より西郷盛正が八名郡に移住し 三河守護代となったのが西郷氏の祖という。
西郷氏は、萩平城・西川城・月ヶ谷城などの支城を有したが、五本松城が本城であった。
初めは今川氏に属したが、松平清康の勢力が東三河に伸びるとそれに属し、守山崩で松平氏の後退が始まると 再び今川氏に属した。
大国の間で機敏に家名を守った西郷正員が、天文二十年に没すると 嫡子正勝が跡を継ぎ、桶狭間の合戦後は松平元康(のちの徳川家康)に属した。
しかし、永禄五年 今川方の武将朝比奈泰長の夜襲を受け 正勝は長子元正とともに討ち死している。
正勝の二子清員は、松平元康のもとにあって のち、領地の回復ができた。
清員の姉の子(姪)お愛は夫の戦死後 清員の養女となり 徳川家康の側室となって二代将軍秀忠・松平忠吉を産んでいる。
天正十八年清員の子家員の代に 家康の関東移封に従い 下総国生実五千石を賜り、関が原の合戦を経て子孫は、安房国東条一万石の大名となったが、綱吉時代の寿員の代に職務怠慢のかどで減封され 五千石の旗本となった。
城跡は現在、曲輪(居館)跡と思われる台地状の地形を残すのみで農地と民家になっている。集落の一番奥の山麓。
 
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松平(徳川)家臣団の城館
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月ヶ谷城跡(豊橋市嵩山町字山軍場)
西郷氏初期の城。八名郡嵩山郷に移り小枝氏を追ってこの地を領有したことに始まる。
今川氏・松平氏の勢力に翻弄されつつ西郷正員の跡を継い正勝は五本松城を居城とし、月ヶ谷城には
嫡男元正が在城した。
永禄5年(1562)の今川氏の将朝比奈泰長の攻撃によって本城五本松とともに落城した。

写真は西郷氏菩提寺正宗寺より城山を見たものです。
三河遠江を結ぶ本坂峠につながる姫街道(国道362)を押さえる要衝地であった。
堂山砦跡(豊橋市石巻中山町字城屋敷)     萩平城跡(豊橋市石巻萩平町字城山)
五本松本城は盆地の奥 丘陵の館城のため周囲の山々に砦が設けられていた。

北側を守る堂山砦(所在:旧太陽寺跡、医神社上の諸説あり。写真は医神社)と
西側盆地開口部入口を守る萩平城(写真は萩平山付近から見た五本松城方向)
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東条藩陣屋跡(千葉県鴨川市東町字宝性)
西郷家員の三子正員は元和6年(1620)安房国朝夷郡他にて一万石を得、安房東条藩を
立藩。 正員のあとは延員が継ぐが嗣子なく早世、肥前大村より寿員を養子に迎えた。
元禄5年に下野上田へ移封となり、翌年奥小姓となるも職務怠慢で綱吉の代に五千石に半知され、のち近江国内に所領を移された。

陣屋跡は発掘の結果、中世東条氏の館跡にもあたり濠跡が検出されたとのこと。
東条氏館跡の小さな案内番があった。