▼9・11 NY「反愛国」風景を探せ! その@





 テロ予報「危険度=高レベル」


9月11日(水)午前4時(日本時間=11日午後5時)起床。

シャワーを浴びて、テレビをつける。こちらのテレビはどこも早速、特別編成状態。まだ夜明け前だが、すでに世界貿易センタービル跡地からの生中継もやっている。

CNN(米国国内向け放送)の番組の左脇には、「TERROR ALERT HIGH」の字幕スーパー。昨日の放送番組中から、ずっとそのままの表示だが、これを日本語で訳すと、

「テロ予報 危険度=高レベル」

となるのだろうか。天気予報の「降水確率 80パーセント」ならば、傘を持って外出する「対処法」があるが、「テロ予報」の場合はどうすればよいのだろうか?外出せずに、家でじっとしているのか?いや、家の中にいても、テロに遭う可能性は十分ある。何せ高層ビルに飛行機が突っ込むのだし、アフガニスタンやパレスチナでは、イスラエルやアメリカが放つ「国家テロ」ミサイルが民家を直撃するのだから。

午前5時、「さて、まずはグラウンド・ゼロ(爆心地)へ向かう…」ことはしない。
 そこには向かわないのだ。

少なくとも本日、9月11日は、一切グラウンドゼロ周辺には近づかないことを、こちらに来る何日か前に決めていた。

話はそれるが、今後私は、「グラウンド・ゼロ」というこのような抽象的・記号的名称は、今後使用しないことにした。広島・長崎の原爆爆心地も、アフガニスタンの空爆・誤爆地も、同じく「グラウンド・ゼロ」のはずだ。アメリカだけを特別扱いする必要は全くないはずなので、ここは、「世界貿易センタービル(WTCビル)跡地」でよい。もっとも、こちらNYでは、だれもが「グラウンド・ゼロ」と呼んでいる。私もつい、「グラウンドゼロは…」と言ってしまいそうだ。

さて、きょう私がこのNY周辺で探すのは、「反愛国」風景だ。

きょう9月11日は、ブッシュ大統領が先に表明した、「愛国者の日」らしい。法的な祝日扱いとは違うようだが、世界中の国で「愛国者の日」なんぞ定めている国が、あるのだろうか?

 きょうが、ブッシュが唱える「愛国者の日」であるならば、「反愛国」の風景を探すことが、私にとってはますます意義がある。


しかし、かなりやっかいである。いうまでもなく、街は星条旗だらけ。

公共のバスや地下鉄はもちろんのこと、民家のベランダ・ドア・窓ガラス、お店の入り口や、工事中のクレーン車のてっぺんにもある。さすがに、「愛国者たちは、きょうは工事なんぞせんだろう」と思ったら、その旗をつけたクレーンがしっかり作業中だった。老夫婦二人はそろって、星条旗プリントのTシャツだ。頭に星条旗をバンダナ代わりに巻いている人も少なくない。そのほか、「I LOVE(ちなみに、LOVEの部分は、実際にはハートマーク) NY」Tシャツを着ている人は、もはや数えるのが馬鹿らしくなるほどだ。

WTCビル跡地では、「国家的・愛国的追悼式典」がこれから始まろうとしている。アメリカだけでなく、恐らく日本のメディアも、この追悼式典の模様はこぞって報じるであろうから、私にとっては、その式典取材は無意味に近い。だから、きょうはWTCビルの周辺には一切近づかない。

 

●夜明けのブルックリン地区

 

午前5時半、マンハッタン島中心部から、地下鉄に20分ほど乗って南下すると、イースト川の対岸「ブルックリン地区」に着く。ここは、主にイタリア、アイルランド、ロシア、ユダヤ系など、様々な民族が集まっている街だ。その中で、「アトランティック通り」沿いには、南アジア・中近東・アフリカ系の人たちがたくさん住んでいる。当然、イスラム教徒の比率はかなり高い。通りに並ぶ雑貨店や食堂の看板には、英語の下にアラビア語が併記しているところがいくつもある。

午前6時前、まだ夜が明けていない。地下鉄の出口から地上に上がると、ちょうど私の真上付近でヘリコプターの轟音。角には、黒人警官が何人か立っている。しかし、この時間では、通りにはまだほとんど人気はない。

午前6時を回ったころ、バグパイプの音色が大通りから聞こえてくる。先頭のパトカーの後に、星条旗を掲げた男たちが続いている。その後ろには、100人近くはいるだろうか、花束や写真を掲げた人たちが道路のど真ん中を歩いていく。この周辺に住む人たちではないようだ。もうかなりの距離を歩いて疲れた表情の人もいる。

最後尾の女性に聞くと、

「『グラウンド・ゼロ』まで、ずっと歩くのよ」

とすると、これからまだ2時間近くは歩かねばならない。このブルックリン地区までも、きょうはこうした光景ばかりなのだろうかと、少し不安になってしまった。

朝めしは、いわゆる「ジャンクフード」屋で、「炊いただけ、焼いただけ」のポテトとオムレツ。別に期待はしていないが、本当にまずい。3つ付いて来たケチャップの小さな袋を、全面に塗りたくって「味付け」したが、さらにまずくなってしまい半分近く残す。店の主人は、南アジア系の人のように見えたが、もはや「アジアの味」など看板にはしていないし、ここを利用する客も求めていない



しかし、余計なお世話かもしれんが、こんなもん毎日食べてりゃ、そりゃ太るはずだわな。通りを歩いている人を見ても、時に、こちらの人たちの「太り具合」は尋常ではない。「日本で、そんな服は絶対手に入らんぞ」サイズである。日本人女性の「やせたい悩み」など、こちらではだれも相手にしてくれんだろう。

「アトランティック通り」周辺での星条旗の数は、ほかと比べてかなり減るが、それでもいくつかのお店には掲げられている。午前8時近くになったが、やはりまだお店も閉まっているし、通りも閑散としている。通りのモスク(イスラム礼拝所)も、シャッターを半開きにしたままだった。


  ユニオンスクエア公園

ブルックリン地区は、後でもう一度来ることにして、いったん、マンハッタン島中心部の「ユニオンスクエア公園」へ向かう。ここで、ちょうど午前8時46分(WTCビルに一機目の飛行機が激突した瞬間)から、「NEW YORKERS SAY NO TO WAR」の催しがある。これは、昨年の9月11日同時多発テロ事件の死者を追悼すると同時に、アメリカの「対テロ戦争」の名の下に進められる「アフガン空爆」「イラク攻撃」などの軍事行動に反対する人たちの抗議集会だ。10時30分(WTCの二つ目のビルが崩壊した時間)までの間、「LAY ON THE GROUND」(日本語でこれを表現する「単語」があるはずなのに、恥ずかしながら、どうしても思い出せない。いったん、その「単語表現」はあきらめた。簡単に言うと、座り込みならぬ、死者のように地面に横たわることである。写真を見れば、おわかりいただけると思う)するという。

8時20分ごろまでには、現地に着くはずの予定が、地下鉄の乗り継ぎを間違え、ユニオンスクエア公園に着いたときには、もう8時35分を回っていた。あわてて走って到着した場所の様相がイメージと全く違っていた。

かなりの人垣が公園の中に出来ていて、「結構人が集まっているなあ」と期待しながら、カメラを回して近づいていった。しかし、

「これは何だ?」

「抗議集会」ではなく、「追悼場所」である。WTCビルでの追悼式典をそのまま別の場所に移動しただけだった。公園内に設けられた、様々なメッセージを書いた色紙がおよそ1000枚近く、ボードに貼られている。そして、その脇には、星条旗とろうそくと花束の数々…。総勢500人以上の規模で、もう「追悼モード」に入っていた。


「WTCビルでの追悼式典は絶対に近づかない。無視する。『反愛国』風景を探す」と臨んだ私が、結局たどり着いた場所が、この追悼場所だった。

「いかん、これはいかん」と独り言をつぶやきながら、やや下を向いて、早歩きで人垣を離れた。途中からは、「ここでは何も見てはいかんのだ!」と、なかば心の中で叫びながら、公園脇にあるベンチへ向かった。

「来るんじゃなかった、こんな場所…」

 9月11日午前8時46分のガンジー像と白い紙

8時40分ごろであろうか、公園の脇のベンチ後ろには、セメントで囲まれた花壇らしきものが、「立ち入り禁止」エリアになっていた。白い紙には、

「NO CANDLES PLEASE」(ここにろうそくを立てないように)

と書かれている。NY市公園管理局が「花壇に損害を与えます」として、立ち入りを制限しているようだった。その同じ白い紙がいくつも周囲に貼られていたのだが、その中の1枚だけに、落書きがあった。

「CANDLES」の部分に、ボールペンで書いた×印が入り、その下に「WAR」の文字が入っている。

「NO WAR PLEASE」。

私はその一枚の白い紙に目を奪われていたのだが、花壇の中に小さな銅像があることに後から気付いた。

禿げ上がった頭に、丸いグラスの眼鏡。右手につえ…。どうみても過去のアメリカの大統領の銅像ではないなあ。教科書なんかで一度は見にしたことがある顔だなあ…。

「マハトマ・ガンジー」だった。

9月11日午前8時45分ごろから50分ごろにかけて、私はその白い紙とガンジー像の映像をビデオカメラで撮った。


私は、ガンジーを信奉しているわけではない。そもそもガンジーについて、詳しく知っているわけでもない。いま頭で思いつくのは、「非暴力主義を唱え、インド独立運動の指導者だった人」ぐらいの知識しか、すぐには思い浮かばない。ことわっておくが、私は「非暴力主義者」でもない。

が、それでも、いまのこのアメリカで、ニューヨークで、9月11日に、私にとっては撮るべき価値のあった映像であったと思っている。

取材現場というのは、いつも何か、こうした思わぬ「ささやかな収穫」があるものだ。


 ●「メディアを信じるな」

 で、ところで「抗議集会」はどうなったのだ?

9時を過ぎてから公園周囲を歩くと、その脇で、「LAY ON THE GROUND」している人たちを発見した。単に私がその正確な場所を把握していなかっただけだった。最初は100人ぐらいから始まり、一人また一人と、次々と増えていく。背中が汚れないようにちゃんとビニールシートを持参の人から、ジョギング帰りに立ち寄ったのか、Tシャツ・短パン姿の人までいる。いわゆる抗議集会の「重い雰囲気」は感じられず、横たわりながら、ひそひそとおしゃべりに興じる人たちもいた。最終的には、200人近くの人が参加していた。

この一団の後ろの方に、白地に黒文字で看板が掲げられていた。





「DON‘T TRUST THE CORPORATE MEDIA」
(メディアを信じるな)

「CORPORATE」がつけられているので、正しくは、「商業メディアを信じるな」となるだろうか。私自身もまた、この看板を見て、少したじろいでしまった。

後に、ブルックリン地区のイスラム教徒の人たちからも聞いたのだが、アメリカのマスメディアに対する不信感は相当ハイレベル状態にある。きょうの「テロ予報 危険度 高」と同じぐらいではないだろうか。この集会の主催者の一人、女性のアビゲイルさん(30歳)は、

「アメリカのマスメディアが、政府の情報統制をさらに補完している。あの9・11事件以来、スターバックスコーヒーを世界に広めるような感覚の商業主義に陥ってしまった。マスメディアが大きなマスクで事実を隠して、そして私たちはそのマスクだけを見ている。マスクの下の真実が伝えられない」

と話す。

 ここに横たわっている人たちの思いは、単にブッシュとアメリカ政府だけに向けられたものではない。むしろ、この看板が突きつけている問いかけの方が、より重要な意味と意思をもつ抗議なのではないのだろうか。
 私は最初、この看板を見たときに、「CORPORATE」ではなく、「COOPERATE」(協力する)だと勘違いしていた。つまり、「協力するメディアは信じるな」。何に協力するメディアかは、説明するまでもないだろう。この意味で理解しても、彼らの言わんとしていることが読み取れる。だから、あながち勘違いとは言えないのかもしれない…。などと勝手に思いつつ、自分の英単語力を激しく呪った。そして、これまでの現場での自分の姿を思い出し、さらにたじろぎつつも、しかしそれでも取材を続けた。



と、ここまで書いてきて、時刻はすでに12日の朝になっている。NY取材は実質、今日しか残っていない。11日の光景は、もっと書きたいことがあるのだが、明日以降にします(これを更新するころには、すでに昼近くになってしまっていた!)。


「反愛国」風景 そのAは、

●「反愛国」メッセージから

●9月11日 あるレンタルビデオ店店主の嘆き

●ブルックリンのイスラム教徒との会話

などの内容を予定しています。13日朝には、こちらを出発して東京に戻るため、すべて書くことはできないかもしれません。東京に戻ってから随時更新します。ご意見・ご指摘など、お待ちしております。

                   02年9月12日ニューヨークにて 綿井健陽