【3月15日=バグダッド発 その2の続き】

 前回もタクシードライバーの話を書いて、今回もまた「その続編」となってしまうのは、ちょっと抵抗があるのだが、
 この取材は、タクシーと何か縁があるのかもしれない。きょうも偶然、街で拾ったタクシーが「当たり」だった。
 

 さて、バグダッドでは特定の車は借りていないため、一日に何台ものタクシーに乗る。最近気付いたのだが、バグダッドでは「専業」と「兼業」タクシーがある。

「イラクでちゃんと稼げる仕事は二つしかない。路上で雑貨屋をやるか、タクシー運転手をやるかだ」

彼は、本職は政府機関の公務員。しかも、日本で言う「キャリア組」にあたる男が、毎日仕事が終った後と休日も、夜遅くまでタクシー運転手をしている。41歳。妻と娘一人。名前は、私は聞いたのだが、本人に身の危険が及ぶ可能性があって明かせない。本職の月給が、月20000ディナール(約8ドル)。タクシーの売り上げが一日3000ディナール(1ドルちょっと)だから、こちらが「本業」といった方がいいかもしれない。

「公務員の月給で、家族を養うことはできないよ。定時の仕事が終わった後に、タクシー運転手をやるのは仕事の続き。同じ職場の連中でも、やってるヤツは多いぜ」

彼は予備役にも入っているらしく、いざとなると「召集」がかかる。それが近づいているという。

しかし、彼はこれまで私が会ったこちらの「平均的な」「一律な」答え方をする男ではなかった。車を脇に止めて、周囲の人がいなくなったのを慎重に見計らってから、話始めた。

「俺はアメリカの攻撃が始まったら、家族と一緒に家にいる。この戦争には関わらない」

それは、「宣誓書」を読み上げるかのような告白だった。

「俺が守るべきものは家族しかいない。いまの政府やフセインのために、命を投げ出すことはできないよ。はっきり言うが、ほかの兵士や警察官も一緒。攻撃が始まれれば、95パーセントは逃げ出すか、フセインの方に銃を向けるか。それで終わりさ。間違いない」

と言う。

その言葉を聞いたとき、私は一瞬信じられなかったが、彼の話す口調を聞いているうちに、本当にそれが、この後に「起こりうるシナリオ」のようにも、思えてきた。だが、すべてを信じ込むにはいかない。しかし、それでも耳を傾けるべき話だった。

「俺は、絶対にアメリカは支持しない。よその国の政権を武力で転覆させる権利は絶対にない。石油のために人を殺す権利もない。本来ならば、もしアメリカがイラクに入ってきたら、絶対に俺はアメリカと戦う。ちゃんとした政治と自分たちの暮らしがあれば、市民はそれを守るために誰とでも戦うはずだ。しかし、いまのこの国の政治を見てくれ。市民が苦しんでいるのに、フセインのためだけに戦うことはできない。いまのイラク市民は、政府と戦う力も、外に向かって訴える権利もまったくない。家の中でじっと待つしかないのさ」

その無力感漂う話し方の向こうに、ほかのイラクの人たちの姿も重なって見えた。

私が、「これからもどこかで会えないか」と聞くと、

「うーん難しいよ。俺はいまは完全に『政府側』の人間だ。こうやって話をするだけでも、本当は怖いんだ。外国人と話しているのは目立つ。誰かが見ているかもしれない」

と、サングラス姿の彼は、また周囲を気にし始めた。

アメリカの攻撃が始まったら、彼のように、

「ただ家でじっとしている。戦争が終わるまでじっと待つ」

と答える人は他にも数多い。しかし、フセイン政権に対して、しかも政府の職員が、ここまであからさまに、その思いを訴えるのは初めてだった。

彼は、「その日」まで、何食わぬ顔で出社し、オフィスで淡々と職務を遂行し、定時に仕事場を離れるのだろう。そして、夜は街で車を走らせ、日銭を稼ぐ。

しかし、ある日を最後に、それまでつけてきた「仮面」を脱ぎ捨てるというのか。「人間に回帰する」とでもいうのか。それは彼にとっては、恐らく人生最大の「賭け」ともなる。

別れ際、彼は最後に言った。少し力を込めて。

「ANYWAY、LIFE IS GOING」

「それでも、人生は続く」とでも言いたかったのだろうか。