【1月3日=新年のごあいさつに代えて】

 やや遅くなりましたが、今年もよろしくお願い申し上げます。
 しかし、「今年も良い年ではありません」。

 年末から年明けにかけて、このHPの更新をしようと思っていたら、出先でいつも使っているノートパソコンの調子が悪くてできなかった。

 HPのサーバーにアクセスしようとすると、必ず「トロイの木馬による攻撃を受けました」という表示が出る。どこかの武装勢力からの攻撃かな。それとも米軍の「アイアンハンマー作戦」が、ついに僕のところにも来たのかな。なにせネット上では、「ウダイ・クサイ・ワタイ」と、僕はフセイン三兄弟の扱いをされているぐらいだからね。地下室でも水中でも、どこでもいいので、がんばって今年も生き延びよう。

 さて去年も結局、HPを更新したのが年明けの2日だった(03年1月2日の項)。そのときは、以下のようなあいさつを書きました。アメリカのイラク攻撃も迫っていたので、

「明けましたが、恐らく、あまりめでたい年ではないでしょう」。

 今年もより一層、めでたい年には全くなりませんな。

 しかし、社民党の新しい党首が何度も繰り返すような「自衛隊派遣反対」「護憲」という短い言葉や単語に寄りかかることはしない。それだけでは結局何も表現していないし、その言葉はもう「身内」にさえ通じなくなった。さらに、「敵」はもうそんな言葉には反応さえ示さない。

 去年はイラク取材のおまけで、あちこちでチヤホヤされて生きてきた。映像も写真も原稿もたくさん発表した。カネも確かに稼いだ。名前も売った。全国あちこちでお呼ばれした。

 こうして人は滅びていくという見本を、身をもって体験した。

 今年はもっと過激で、もっとユーモアに富んだ言葉を、自分からギャースカ叫んで、ダラダラと抵抗して、ジメジメと生きていきたい。

 「命懸けの取材で…」などと言われたことがこれまで多々あった。
 しかし、申し訳ないがこれまで一度として命を懸けたことはない。これからもそうだ。イラクでも、アフガンでも、東ティモールでも、人生や魂や精神は自分なりに懸けてきた。

 だが、命は何かを懸けるものではない。何物にも代えられないから「一人の命」なのだ。そして、その命を奪うのが、空爆、クラスター爆弾、銃弾、砲弾の小さな小さな破片だった。

 昔の新聞記事のスクラップ帳を、年末に静かに読み返した。

「(中略)ただ生まれて生きて、生活して病気になって死んでいくこと、そのすべてがそのままで、だれかの役に立っているんだな、というふうにすごく思いました。」(朝日新聞97年8月19日夕刊「ことば抄」 ホスピス医・森津純子さんの講演から。全文記事はこちら

 さて、ここから先はお知らせ。

 正月の新聞(主に地方紙。朝日・読売などの全国紙は除く)のどこかに、私の撮ったイラクの写真が大きく掲載されているはずです。共同通信社から全国の新聞に配信された企画記事「メソポタミア文明と現代の悲劇」(タイトルは掲載紙によって異なります。記事は石山永一郎氏が執筆)です。元日付けの別刷り特集か、あるいは3日付けで、まだ掲載されていないかもしれないのですが、探して見つけていただければ光栄です。

 アジアプレスの新しいサイト「アジアプレス・ネットワーク」(APN)が年末から始まりました。まだ「プレオープン」の段階ですが、私もいくつかの箇所で登場しています。それから「YAHOO」の特別リポートのコーナーも。これからも随時登場しますので、よろしくお願いします。

 そのAPNの企画の中で、年末に作家の辺見庸氏と座談会をさせていただきました。1月中旬に、APNのサイトにアップされる予定です。ご期待ください。

 さらに、3月20日創刊予定の新雑誌「DAYS JAPAN」も、ぜひご購読ください。これは普通の書店では買えません。私も写真や原稿を随時寄稿します。創刊号では、「ジャーナリストとBC級戦犯」(仮題)の原稿を執筆する予定です。

 そのほかの予定は、「イラク取材報告のお知らせ」をご覧下さい。

 きょう(3日)は、札幌遠征です。