【11月10日=タガタメ】

 イラクのドキュメンタリー映画の編集が大詰めを迎えつつある。だが、実はまだ当分終わりそうもない。

 「陣痛」はすでに始まっているが、「出産」はまだ先だ。そして映画の場合は、その後に大きなヤマ場がある。どこの劇場で公開できるのか? どう宣伝・展開するのか? その資金は? それらの「子育て」まで含めると、実はまだ先は相当長いことに最近気づいた。

 昨日からテレビで何度も、ファルージャの映像を見ている。しかし、BBCやCNNなどで流れるその映像やリポートは、すべて米軍の従軍取材によるもので、「攻撃する側」からの映像だ。

 「攻撃される側」はどうなっているのか?

 想像はできるし、様々な情報も確かにあるけれど、どれも僕は「実感」がもてないでいる。いま新聞でイラクの記事を書いている人も同じだろう。【カイロ発】【ダマスカス発】で、BBCやCNN、アルジャジーラを見ているだろうから、あまり変わらないんじゃないかな。

 僕が実感をもって言える事は、また同じことの繰り返しだろうということだ。「大量破壊兵器」のときと同じく、また最後は同じだろう。

「ザルカウィは、ファルージャでは見つからなかった」

そして、「大量殺戮」だけが後から見つかる。

何のためだ?
誰のためだ?

 イラクで取材しているときのホテルの部屋も、ふだん家で洗濯をするときも、僕はいつもミスター・チルドレンの歌を聴いている。最近何度も「タガタメ」を聴いている。

 Q:人間から人間性を奪うことは可能ですか?
 「残念ながら出来ます。ええ、残念ながら。」

 アウシュヴィッツからの生還後に自殺した作家・プリーモ・レーヴィはそう答えている(「プリーモ・レーヴィは語る 言葉・記憶・希望」青土社)。

 彼の足跡をたどった作家・徐京植氏は、「レーヴィの作品を貫く思想とは、『人生は地獄への待合室だ』ということだ」(NHK・ETV2003「アウシュヴィッツ証言者はなぜ自殺したか〜作家・プリーモ・レーヴィへの旅」から)。

 「人間の本質は変わらないだろう」

 マクナマラ元米国防長官は、映画の最後にそう語る(「フォッグ・オブ・ウォー」から)。

 何のためでもなく、誰のためでもなく、人間は変わらない。同じことを繰り返す。たとえ明日が地獄であっても、なお人間は人間であり続ける。

ナゼナンダ?
ナンノタメダ?
ダレノタメダ?