【3月17日=「がんばってるから見物くるな」】

 このところHPの更新頻度が落ちて、それに伴ってアクセス数も減っている。忙しいというよりも、どうも何かを書いたりする気力が最近萎えている。少ない脳みその細胞がさらに破壊され始めたかな。

 さて、映画の公開まであと1ヶ月余りとなった。来週22日からは「香港国際映画祭」も始まり、僕も月末に3泊4日で香港に行ってくる。「テサロニキ国際ドキュメンタリー映画祭」は、費用の関係で(招待とはいえ、自費参加なんですねこれが)ギリシアまでは行けなさそうなので日本で結果待ちだ。

 「メディア向け試写会」は順調に進み、そろそろ月刊誌などでは紹介記事が掲載され始め、新聞や週刊誌なども来月上旬あたりから載り始めるだろう。

 絶賛でも、酷評でも、誹謗・中傷・罵詈雑言でも何でもいいから、いろんなメディアが取り上げてくれれば、それだけ「まあ見てみるか」という人が増えるから総体的には「うれしい」。

 もっともつらいのは「無視・黙殺」ですね。特に、フリーランスにとっては、カネがなくなることもつらいが、発表媒体がなくなること、発表しても何の反応もないことが最もつらい。

 つい先月あたりまでは、番組改変問題をめぐる「NHK対朝日新聞」なる記事が出ていたが、いまやどこも「ライブドア対フジテレビ」の記事やニュースばかりで、ホリエモンか、フジテレビ会長か、ニッポン放送の社長の一言一言があちこちで飛び交っている。

 メディアというのは「対立構図」や「ケンカ」をあおるのが好きだから毎日やっているのだけれど、実際にはそのメディアを見る人たちが「横目でケンカを眺める」のがもっと好きなだけだろう。

 3月20日で「イラク戦争開戦から2年」、さらに今年は「地下鉄サリン事件から10年」を迎える。

 95年3月20日、あの地下鉄サリン事件が起きたとき、僕はなぜか阪神大震災の現場、神戸にいた。地震から2ヶ月が経っていたが、神戸市役所にあった被災者の人たちが集まる避難所のテレビでその一報を知った。被災者の人たちに紛れるようにして、後ろのほうで僕はテレビを見ていた。

 その後、長田地区のあたりだったと思うが、「がんばってるから、見物来るな」という貼り紙が電柱にあり、それを目にした僕はたじろいで、周りをキョロキョロしながら引き返した。その後、いくつか別の「震災の現場」を歩いたと思うが、今でもはっきり覚えているのはその小さな貼り紙だけだ。

 僕はあのとき、まさに「地震の被災地を見物に行っていた」のだった。

 あれから10年が経って、結局あの阪神大震災に対しても、地下鉄サリン事件に対しても、自分は何もしていないことに気づく。

 イラク戦争もまた、自分は「見物に行った」だけだったのかもしれない。「いや、そうではない」と否定したい思いもあるが、否定できない思いも交錯する。

 それでも、だけれども、僕はこれからも現場で映像は撮るし、写真も撮るし、活字も書く。そうした覚悟と後ろめたさと、「がんばってるから、見物くるな」という貼り紙のことだけはずっと覚えておきたいと思っている。