追悼 アグス・ムリアワン
Agus Muliawan, as the Eternal.
1973-1999
▼追悼記事
●東ティモールに散ったジャーナリスト「ディリで、また会おう」(月刊「アジアウェーブ」00年2月号掲載)
●東ティモール最後の殺戮を記録したジャーナリスト(月刊「マスコミ市民」01年4月号掲載)
▼アグス・ムリアワンのプロフィール
00年11月25日、アグスが殺害される直前まで撮影していた10時間のビデオテープをもとにアグスの足跡をたどる追悼番組、NHKスペシャル「東ティモール『暗黒の9月』の記録・アグスが遺したビデオテープ」が放送された(制作・NHK社会情報番組部 制作協力・アジアプレス)。同番組は、テレビ番組の国際コンペである、第41回「モンテカルロTV祭」で、審査員特別賞を受賞。また、第34回「アメリカ国際フィルム・ビデオ祭」では、「ドキュメンタリー・時事問題」部門で、第1位(ゴールドカメラ賞)を受賞した。同番組は、これまでにポルトガル、スペイン、ポーランド、デンマーク、東ティモールなど世界各国のテレビ局を通じても放送されている。
01年12月11日、東ティモールの「重罪特別法廷」は、襲撃実行犯の元民兵6人に対して懲役17年から33年4ヶ月の判決を下した。被告側は上級審に控訴したが、これまでのところ受理されていない。
02年10月3日、家族らの手によってアグスの遺骨が東ティモール東部コムの海岸で火葬され、同5日、故郷バリ島の海に散骨された。
東ティモールを取材後にアグスと結婚する予定だった婚約者のサンチ・デービスさんは、現在ナイジェリアのオーストラリア大使館の秘書官として勤務している。
写真左=火葬を見守るアグスの父親、サンチさん、アジアプレスの野中章弘(02年10月3日)
▼99年以降の東ティモールの主な動き
99年1月27日 インドネシア政府が「東ティモール独立容認」を発表
5月5日 インドネシア・ポルトガルの間で「直接(住民)投票」実施を合意
8月30日 独立か、自治かを問う住民投票
9月4日 投票結果発表。独立支持が約8割を占める。以後、東ティモールが騒乱状態に陥る
9月20日 多国籍軍が東ティモールに展開
※9月25日 アグスら8人の乗った車が襲撃され殺害
10月20日 東ティモールの独立をインドネシア国民協議会が承認
10月31日 インドネシア国軍が東ティモールから完全撤退
00年2月 国連の暫定統治が始まる。国連平和維持軍が東ティモールで活動を開始
02年5月20日 「東ティモール民主共和国」として独立
▼ジャーナリスト追悼記念碑
米国バージニア州アーリントンにある「フリーダム・パーク」には、ジャーナリストを追悼する記念碑がある。1812年以降、世界各国で取材中に亡くなったジャーナリストおよそ1500人の名前が一人ひとり記されている。
00年5月3日、「世界報道自由の日」にあたるこの日、アグス・ムリアワンの名前もここに刻まれた。