追悼 アグス・ムリアワン 
Agus Muliawan, as the Eternal.



1973-1999


追悼記事

●東ティモールに散ったジャーナリスト「ディリで、また会おう」(月刊「アジアウェーブ」00年2月号掲載)

●東ティモール最後の殺戮を記録したジャーナリスト(月刊「マスコミ市民」01年4月号掲載)



▼アグス・ムリアワンのプロフィール

 1973年8月15日、バリ島デンパサール生まれ。ガジャマダ大学社会政治学部卒業。在学中、東京大学にも留学した。98年10月からアジアプレスのメンバーとなる。99年2月、アジアプレスの野中章弘・綿井健陽とともに東ティモールの取材を開始。同年5月、NHK教育テレビ・ETV特集「独立に揺れる島・東ティモール」の制作にあたった。以後、独立を問う住民投票まで、東ティモールで現地取材にあたる。騒乱状態になった後も、独立派ゲリラ組織の拠点で取材活動を続けた。しかし、同年9月25日、東ティモール東部ロスパロス地方で避難民の救援活動を行っていたカトリック教会関係者の車に同行取材中、インドネシアの特殊部隊に組織された反独立派民兵組織の一団に襲われ、神父や修道女7人とともに殺害された。

00年11月25日、アグスが殺害される直前まで撮影していた10時間のビデオテープをもとにアグスの足跡をたどる追悼番組、NHKスペシャル「東ティモール『暗黒の9月』の記録・アグスが遺したビデオテープ」が放送された(制作・NHK社会情報番組部 制作協力・アジアプレス)。同番組は、テレビ番組の国際コンペである、第41回「モンテカルロTV祭」で、審査員特別賞を受賞。また、第34回「アメリカ国際フィルム・ビデオ祭」では、「ドキュメンタリー・時事問題」部門で、第1位(ゴールドカメラ賞)を受賞した。同番組は、これまでにポルトガル、スペイン、ポーランド、デンマーク、東ティモールなど世界各国のテレビ局を通じても放送されている。

01年12月11日、東ティモールの「重罪特別法廷」は、襲撃実行犯の元民兵6人に対して懲役17年から33年4ヶ月の判決を下した。被告側は上級審に控訴したが、これまでのところ受理されていない。

02年10月3日、家族らの手によってアグスの遺骨が東ティモール東部コムの海岸で火葬され、同5日、故郷バリ島の海に散骨された。

東ティモールを取材後にアグスと結婚する予定だった婚約者のサンチ・デービスさんは、現在ナイジェリアのオーストラリア大使館の秘書官として勤務している。

 

写真左=火葬を見守るアグスの父親、サンチさん、アジアプレスの野中章弘(02年10月3日)

▼99年以降の東ティモールの主な動き

99年1月27日 インドネシア政府が「東ティモール独立容認」を発表

     5月5日 インドネシア・ポルトガルの間で「直接(住民)投票」実施を合意

  8月30日 独立か、自治かを問う住民投票

     9月4日 投票結果発表。独立支持が約8割を占める。以後、東ティモールが騒乱状態に陥る

  9月20日 多国籍軍が東ティモールに展開

  
※9月25日 アグスら8人の乗った車が襲撃され殺害

  10月20日 東ティモールの独立をインドネシア国民協議会が承認

 10月31日 インドネシア国軍が東ティモールから完全撤退

00年2月  国連の暫定統治が始まる。国連平和維持軍が東ティモールで活動を開始

02年5月20日 「東ティモール民主共和国」として独立

▼ジャーナリスト追悼記念碑  

米国バージニア州アーリントンにある「フリーダム・パーク」には、ジャーナリストを追悼する記念碑がある。1812年以降、世界各国で取材中に亡くなったジャーナリストおよそ1500人の名前が一人ひとり記されている。
00年5月3日、「世界報道自由の日」にあたるこの日、アグス・ムリアワンの名前もここに刻まれた。