「自分たち好みの行動を取っていないという意味ね」
「何を言ってるんですか、議論が尽くされていないじゃないですか」
「自分たち好みの結論が出ていないという意味ね」
「そもそも国民の合意が得られていませんね」
「自分たちの意見が採用されていないという意味ね」
「そんなこと言ってるから内外に様々な波紋を呼んでいるです!」
「自分たちとその仲間が騒いでいるという意味ね」
「み、皆さんにはもっと真剣に考えてほしいです」
「アンケートで自分達に不利な結果が出てしまいましたという意味ね」
「アイゴー!!心無い中傷ニダ!」
「自分たちへの非難という意味ね」
「とにかく本当の解決策を求めます!」
「何も具体策はないがとにかく政府等のやり方はダメだという意味ね」
「・・・」
「・・・」
「あいごー!チョッパリは!謝罪する賠償しるーーーーー」
「・・・なにやってるんだ?」
「サヨフレーズを説明していただけよん♪」
「せ、説明か?」
「さて第7回ね〜ずいぶん来たわね〜それで今回はなにやるの?」
「うむ、いよいよ55巻『韓国と日本』の話をしようと思うのだが・・・」
「お!いよいよ来たわね〜」
「・・・やめないか?」
「はぁ?なんでよ」
「『韓国と日本』の話は簡単に説明すると”韓国嫌いを説得しよう”っと言う話なんだが・・・」
「ふーん、だから?」
「はっきり言って嘘だらけ・・・、ここまで嘘、捏造、歪曲しなきゃ説得できないのかと・・・」
「いいじゃんネタの宝庫で、そんなわがまま言ってると、ユダヤネタじゃデンパが足りないと言ってるテッサ総統に怒られるわよ?」
「あまりの高出力のデンパで読んでるうちに腹が立ってくるぞ」
「それをネタにするのがいいんじゃないの〜」
「それに、いろんな掲示板でさんざん既出だしな・・・」
「いいじゃん、調べる手間が省けて」
「・・・前向きだな・・・」
「それがあたしのいいところよ〜」
「単細胞のだけじゃ・・・(ボソッ)」
「あん?何か言った?」
「そ、それじゃあ始めるか、まずは軽いところから・・・」
「半島を通ってきたからと言って、我々が伝えたんだ!と半島が言うのはおかしいと思うが・・・」
古代から18世紀中頃までの東アジアの文化状況については、中心に文化の高い中国があり、中国から離れるに従って各国の文化は低くなっていくという考えが一般にある。その前提から、日本より朝鮮のほうが文化程度は高かったはずだという暗黙の了解が日韓双方にあるように思える。
(中略)
「伝えてあげた」というときには伝える主体は元のところに留まっていなければならないが、上記の諸例はその主体が移動してきたわけだからその表現は間違っている。たとえばアメリカの文化はヨーロッパから伝来したとは言わないのと同じである。
(中略)
韓国では売国奴と言われて無視されている呉善花は、その著『攘夷の韓国 開国の日本』の中で仏教伝来について考察している。
百済では384年の仏教伝来後、本格的な寺院文化の展開を見せるのは6世紀半ばからであり、この150年間に建立された寺院は約50寺、対して日本は6世紀半ばに仏教を取り入れてから数十年後に本格寺院や大型金銅仏を建立し、その後100年間で530ほどの寺院を建立した。
「飛鳥時代の日本では古代韓半島三国の合計よりもさらに多くの仏教寺院が作られた可能性は大きい。
少なくともいえることは、韓半島の三国に円熟した絢爛豪華な仏教文化が栄えていて、その成果がどっと日本に押し寄せてきたのではない、ということである。(同書文春文庫版77ページ)
朝鮮は仏教を伝えたというが、寺院建立の数からみると単に仏教は朝鮮半島を通り過ぎただけとも言えるのではないか。「伝えてあげ」られるほどあふれていた訳ではなかったということである。そして撒かれた種は日本という土壌で変容するのである。
(中略)
朝鮮が日本より文化が高かったというのは見かけ上のことであり、単に中国の文化が伝わりやすかったか否かの地理上の問題である。朝鮮は中国文化の良き模倣者として存在したが、日本は日本の実情にあわせて独自に変容、発展させたのである。ともに中国文化圏の辺境に位置したが、その取り入れ方と発展のさせ方には大きな違いがあったのだ。日本にとって朝鮮は文化の通り道のひとつにすぎなかった。朝鮮が日本より文化が上だったというのは韓国人の願望であり、実質的には意味のないことである。彼らの主張を鵜呑みにしてはいけないのである。彼らと討論する時は肝に銘じておくべきである。(2002/12/10)
「まったくストローの分際でなにいい気になってるのよ!」
「ス、ストロー・・・どういう意味だ?」
「通り抜けるだけで、別に味(起源)に影響があるわけないって意味よ?」
「うまい例えだな、だが問題はそこだけじゃない”百済観音は、その名のとおり、朝鮮半島の百済で作られたものです。”もだ」
「あら?それも違うの?」
「ああ、大嘘だ」
(中略)
いつしかこれに「百済国将来」という伝えがかぶせられて「百済観音」とよばれるようになったということです。しかし、作風からみて百済の仏像とはいえず、また朝鮮半島では仏像の用材に用いられていない楠の木でできていることから、日本で造られた像であると見られています。
「『これはウリが作った<丶`∀´>ニダ』と言われていたが、調べると日本で作られたものということらしい」
「まぁたウリナラ起源?」
「まあ、そのころ日本にやってきた百済人が作った可能性も無いわけではないが・・・」
「とりあえず”百済観音は、その名のとおり、朝鮮半島の百済で作られたものです。”というのは嘘ね」
「そういうことだ、次はこれだ」
「高松塚古墳は、どちらかというと唐からの影響の方が強いのだがな・・・」
(中略)
一方、キトラ古墳で見つかった象眼はさらに時代の古い国内の古墳に共通。棺金具の忍冬文は、韓国(百済)の陵山里古墳群(6〜7世紀)でも見つかっている。
猪熊教授は 「高松塚古墳は『これぞ唐』という印象だが、キトラ古墳は朝鮮半島の影響を残しているように感じる。築造時期も高松塚古墳より古いのでは」と指摘する。
「逆に日本の影響を受けた韓国の古墳もあるぞ」
「本当は『日本に渡る途中で武寧王が生まれた』ということらしい・・・」
「あら、そうなの?なんだ〜日本人だったら面白かったのに」
「百済とは今の日本と韓国よりも密接な関係にあったようだな、そしてこの頃は”日本から半島に文化を伝えた”と言えるだろ」
「あらら、そんなこと言っても大丈夫?」
「前に韓国で前方後円墳が見つかったことがあった」
「へーそんなのことがあったの〜」
「この時、韓国では『ウェー、ハッハッハ!ウリナラが伝えた証拠が見つかった<丶`∀´>ニダホルホルホル』と言っていた」
「ああ・・・奴らなら言いそうね」
「だが、調べていくとこの古墳、5世紀後半から6世紀前半にかけて作られたことがわかった」
「おんやぁ〜日本の前方後円墳って3世紀頃じゃなかった?」
「・・・よく知ってるな」
「なによ、一応これでも考古学者よ」
「そういえば、そんな設定だったな」
「世界でチョー有名な美少女考古学者なのよ〜」
「び、美少女?」
「なにか問題でも?」
「いや、なんでもないです・・・」
(中略)
松鶴洞一号墳は従来の 一部の学者の主張とは違って、前方後円墳ではなく、三基の円形墳が築造時期を異にしながら互いに連接・重複しているものである。
当古墳は五世紀後半から六世紀前半にかけて使用されたものと推定される。
出土品は日本のほか、百済や新羅からもたらされたとみられる土器もあった。朝鮮半島各地と日本列島の交流を解明 するてがかりになる。日本との結びつきを示す特徴として次のようなことを確認。
・日本の一部の古墳のように、内部を赤く塗った横穴式石室があった。
・形から日本製と見られる土器や、日本のものとよく似た飾りを付けた馬具が出土。
・埴輪のように、墳丘に並べたとみられる円筒形の土器が多数出土。
松鶴洞一号墳が、前方後円墳ではなかったこと、および、全羅南道の前方後円墳も、すでに、日本の古墳よりも新しい時期のものであることが判明しているので、 「前方後円墳の源流が朝鮮半島にある」とする根拠は消滅してしまった。
(中略)
韓国には、前方後円墳韓国起源説のように、日本の文化はすべて韓国から来たと主張する学者がいる。また、李進熙氏のように、任那日本府は日本のねつ造であるとして、その存在を頭から否定する学者がいる。 今回の発掘で、あらたに、5世戸後半から6世紀前半にかけての、朝鮮半島南部と日本の関係を示す遺物などが確認されたが、このような事実に即して考えると、この時期に、日本の影響力が、朝鮮半島南部に及んでいたとするのは、妥当なのではないか。任那日本府については、宋書など、中国文献にも記載があり、現在の政治的背景や、民族感情とは別に、客観的な情報をもとに判断すべきである。
「ふふふ・・・日本の方が先だとわかったらファビりそうね〜」
「実際ファビったらしいぞ・・・」
「へ?」
(中略)
常識的に考えれば、この韓国の前方後円墳が作られた当時に日本から有力な豪族がやってきて当地を治めたか、若しくは日本からの何らかの影響が古代朝鮮にあったと推察される。
そう、だからこそ韓国ではこの古墳を黙殺しているのである。
さらに驚くべき事にこの発見が無かったことにするために国家による埋め戻し作業が行われたという話を聞いている。
もしこれが事実ならそれは国家による犯罪行為ではないのか?遺跡はその国の所有物であるだけではなく人類の共有財産でもある。また埋め戻し作業がデマであったとしてもも、少なくとも、この発見に対し黙殺を続ける韓国人達は自らの古代の文化を否定しているのに他ならないではないか?
韓国人よ、お前たちは常に日本に文化を伝えたのは自分たちだと豪語してはばからないが、その逆の可能性について証拠がでるとこうして隠蔽・黙殺を当然のごとく行っている。
文化を否定し破壊する韓国人に文化を語る資格も権利もない。
「さてな、だが韓国人の日頃の行動を見てると・・・」
「ありそうな話ね・・・まったく何考えてるのやら・・・」
「隠蔽・黙殺はお得意だしな。さて、次はこれだ」
「全部で12回、来ているそうだよ」
「要するに朝鮮はそうやって日本に貢ぎ物を持ってきたんだな?」
「いや、将軍の代替わりのたびに、徳川幕府の方から対馬の宗氏を通じて、使節を送ってくれるように頼んだんです。」
「朝鮮側としては、”恩恵を与える”という感じで対応していたようです。」
「朝鮮側は、医者や学者などを使節の中に入れてよこしたので、使節が対馬から江戸に上がる道中の宿には、日本中から医者や学者が朝鮮からの教えを受けるために集まってきたのだそうです。」
「昔は、韓国から来たものをとってもありがたがったそうですものね。文化的には朝鮮のほうが進んでいたのね」
「李氏朝鮮の国王が武家政権に派遣した使節のことだな、おもに江戸時代に行われたことを指すことが多いようだな」
「伝えてやった というのが奴ららしいわね」
「そもそも文化に上も下もあったもんじゃないと思うが・・・」
○11月29日条
韓人の料理するを見るに、真箸(まなばし)を用いず手づかみなり。また食を喫するを見るに、足を抛げ出し、互いの膳のを箸を入れて取り喰い、かつ上々官といえども、鼻をかむに紙を用いず手を以てし、または座席へ痰唾を吐き、無礼なる風俗なり。
(大阪港の感想)
「その昔、桜船で下る王濬(おうしゅん)が益州を称えた詩があるが
ここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう」
「倭の十一隻の金の桜船が命を受けて迎えに来ていた・・・
その豪華絢爛 万古に例を見ない見事さである」
(大阪の感想)
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)
の万倍も上である」
「我が国の都城の内は実際には一里に及ばない・・・
(大阪は)ほぼ十里と言われる土地は全て利用され・・・」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さも
この地には及ばないという」
(淀城の水汲み水車の感想)
「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」
(京都にて)
「人々の富める様は大阪には及ばないが都の西から東までの距離は三里に及ぶという」
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が
倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し子々孫々に伝えられていることである
この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し四百里六十州を 朝鮮の国土とし
朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
(名古屋の感想)
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり
遠路随一といえる中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが
この地に比べれば寂しい限りである」
(江戸の感想)
「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様
橋や船にいたるまで大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」
「こういう史料を見ると”文化的には朝鮮のほうが進んでいた”とはとても思えないんだが・・・」
幕末に来日したアメリカの総領事タウンゼント・ハリス
(http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog024.html)
こうした優れた国土利用により、西洋人から見ても、驚くべき幸福な社会が実現された。たとえば、幕末に来日したアメリカの総領事タウンゼント・ハリスは、1858年に、次のような記録を残している。[2,p147]
「人々はみな清潔で、食料も十分にあり、幸福そうであった。
これまでにみたどの国にもまさる簡素さと正直さの黄金時代をみる思いであった。」
(中略)
ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。 古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。
「悲劇の朝鮮」 アーソン・グレブスト 1912年 (高演義・河在龍訳 1989年 白帝社)
朝鮮の監獄――山賊の頭目の死刑を最後まで見る
いよいよ待望の監獄見物のときがきた。私たちは立ち上がって庭に出た。窓に鉄格子があり錠のかかった小さな建物の前で足を止めた。錠をあけ、高い門柱をくぐって、天井の低い部屋にはいっていった。足元には古びてすっかり壊れてしまった汚らしいかますが散らばっており、壁には何本もの鎖や滑車、石塊などが掛かってあった。障子にはあちこち穴があいており、屋根にも隙間が多くて、吹きつける風に室内はまるで氷のように冷たかった。
(中略)
ところが私には疑問がひとつ湧いてきた。この国にキリスト教が布教されてもうだいぶ経ったし、西洋の文化大国がこの国の行政の各部門を助けてからも一日二日でないのに、なぜ今だのこのような野卑きまわりない拷問が続いているのか。エンバリーの言うように、獄内の出来事に関する生きた証拠が整っていないという、それだけの理由だろうか。それともほかの理由がまだあるというのか。
理由がなんであれ、こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥ずべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」
「”異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろう”ということは日本ではこんな拷問は行われていなかったということね」
「幕末になるとだいぶ他国の史料も見つかる。こういう状況を見るとな・・・」
「朝鮮通信使の頃、日本は鎖国してたんだっけ?」
「そうだな」
「朝鮮とは国交があったのね」
「ルリ先生の補習授業でも触れてるが、日本の鎖国は主に中国に対してだ、琉球(沖縄)や朝鮮とは国交があったようだぞ」
「琉球はともかく、朝鮮と国交があったとは驚きね、ちょっと前に秀吉に叩かれたのにね」
「さて、そこで問題になってくるのが対馬藩の宗氏」
「宗氏ってコリアン、チャイナ?それっぽい名前ね」
「宗氏の始祖は、平知盛あるいは安徳天皇の後えい等諸説があるそうだぞ」
「あら?違うの?それでその宗氏がどうしたの?」
「対馬は山がちで耕作に向いていなかった、そのため朝鮮貿易が重要だった」
「幕府もよく許したわね・・・」
「・・・だから国書を捏造したんだ」
「(゚Д゚ )ハァ?捏造!?」
家康の時代になると、かれは秀吉と違って善隣友好?の方針だったから、宗氏に再びチャンスが訪れたのである。だが難問は秀吉時代の被害者、李氏朝鮮のほうである。外交関係修復の前提として、朝鮮側はまず先に日本のほうから国書を出すように要求してきたのである。これを受けた宗氏が、幕府へ朝鮮側の意向をストレートに伝えていとしたら、日朝関係はその後も長く断絶していたであろう。
しかしこのとき宗氏は大英断?をもって敢然と国書の偽造に踏み切ったのである。会社の決算書でも一旦粉飾をはじめると歯止めがない。国書ではなおさらである。宗氏の国書偽造はそのあとも間断なく続けられた。こうして国書の偽造は日朝復交と宗氏の地位回復に大いに役立ったが、やがて「柳川事件」と呼ばれる対馬藩のお家騒動がもとで暴露されてしまうことになる。
「地図を見ればわかるように対馬はどちらかと言えば半島寄りにあるからな、日本より朝鮮の影響が大きかったんじゃないか?」
「でも、こんなことして大丈夫だったの?」
「大丈夫じゃなかったようだな・・・」
「その辺の史料はなぜか見つからなかった」
「ふーん、でもこれって日本の国書を偽造したって話よね・・・」
「そうだな」
「でも朝鮮の国書はどうした?朝鮮側も偽造しないと話が合わなくならない?」
「その辺の史料も見つからなかった・・・」
「ダメじゃん」
「しょうがないだろ、このころ他国の史料というのがほとんど無いんだ、ましてや朝鮮通信使なんてものの、外国の史料があるわけがない」
「その辺は韓国を見習って、想像力と妄想力でカバーしないと」
「想像はともかく、妄想してどうする・・・」
「史料を捏造するくらいの気合がないと〜」
「捏造もやめておけ」
「だって韓国が普通にやってることよぉ〜?」
1960年10月から2年間、国際法を専攻したソウル大教授として韓日会談に参加し、翌年外務次官に抜擢された鄭一永(チョン・イルヨン/79)元次官は20日、聯合ニュース記者と会ってこのように述べた。
鄭元次官は「当時韓国側がまとめた数値は裁判所に持って行っても証拠能力のないもの」とし、「関連資料はすべて日本側が持っている」とした。
また、「当時、各部処(日本の省庁)に被害者現況を提出するよう指示すると、内務部は洞事務所に聞き数字をまとめてくるなど、とてもいい加減な数字が算出された」とし、「被害者が何人なのか、その人たちの貯金がいくらなのか統計がなかった。韓国銀行に行って見ても、資料がなかった」と当時を振り返った。
「・・・ともかく・・・わかることは宗氏は、朝鮮側の国書を変造できたのでは?っと言うことだな」
「朝鮮側にも協力者がいたということね」
「その辺は想像だがな、結果的に朝鮮通信使は計12回行われた」
主として対馬藩が江戸幕府と李氏朝鮮の仲介を行った。これは対馬藩は山がちで耕作に向いておらず、朝鮮貿易なくては窮乏が必至となるためである。国交回復を確実なものとするために、対馬藩は朝鮮側使者と共謀で国書の偽造まで行っている。
朝鮮側に日本による朝鮮再侵攻の噂が立つなど紆余曲折あったものの、対馬藩の努力によって1607年、はじめての通信使が江戸幕府に派遣される。ただし、このときから3回目までの名称は「回答兼刷還使」とされている。日本に連れ去られた儒家、陶芸家などの捕虜を朝鮮に連れ帰るのが主目的という意味である。余談ではあるが、儒家はほとんどが帰国しているのに比べ、陶芸家の多くが日本に留まったようである。
その後、朝鮮通信使は将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀のために派遣されるようになった。計12回の通信使が派遣されているが、1811年に通信使が対馬までで差し止められたことを朝鮮側が不服として、これを最後に断絶している。
幕府からは朝鮮に対して返礼使が送られることはなく、釜山に貿易目的で設立された倭館へと対馬藩士が行き来したのみである。唯一の例外は1629年に対馬藩から漢城に送られた使節であるが、これは後金の度重なる侵入に苦しむ朝鮮側との利害が一致したためである。なお、この際にも対馬藩側は李氏朝鮮に対して木綿の輸入を持ちかけ、成功している。
朝鮮通信使履歴
回数 年 目的・名称等
第一回 1607年(慶長12年) 回答兼刷還使
第二回 1617年(元和3年) 回答兼刷還使
第三回 1624年(寛永元年) 回答兼刷還使・家光襲封祝賀
第四回 1636年(寛永13年) 通信使として派遣
第五回 1643年(寛永20年) 家綱誕生祝賀
第六回 1655年(明暦元年) 家綱襲封祝賀
第七回 1682年(天和2年) 綱吉襲封祝賀
第八回 1711年(正徳元年) 家宣襲封祝賀
第九回 1719年(享保4年) 吉宗襲封祝賀
第十回 1748年(寛延元年) 家重襲封祝賀
第十一回 1764年(明和元年) 家治襲封祝賀
第十二回 1811年(文化8年) 家斉襲封祝賀(対馬に差し止め)
「そうだな・・・」
「こ、これは”日本中から医者や学者が朝鮮からの教えを受けるために集まってきた”んじゃなくて、物珍しいから集まってきたんじゃないの!?」
「そ、それはどうだろう・・・当時外国人というのは、珍しかったらしいが・・・」
「たしかに韓国の医療技術とかもそれほど高くなかったみたいだしな・・・」
ところが、大韓帝国の最後の皇太子(純宗)の妃・純明皇后は、こういった民間療法の医者にかかって死んでしまった。皇太子妃ははじめ、腹が腫れた病気にかかり、女医たちに診てもらったところ、「ご懐妊」との診断であった。女医たちは高宗からご褒美をもらったが、間もなく大変なことになると察知して逃げてしまった。妊娠ではないとわかった高宗も、あわてて韓国一の名医に診てもらい、妃の腹に悪霊(鬼)がすみついたと信じ、城門の戸板をはがして煎じて妃に飲ませたものだった。その数日後、妃はあえなく逝去した。韓国最高の名医でさえ、この有り様である。韓国の医療衛生状況が、いかなるものだったかが窺い知れるだろう。
「シャーマン治療!?こんなことやってたの?」
「日本では1774年頃に解体新書を刊行している。このあたりから民間レベルでも西洋医学が広まっていったようだな」
「・・・それにしても朝鮮通信使って1607年から1811年まで続いてるのね〜けっこう続いているわね〜」
「それは双方にメリットがあったからだろうな、朝鮮側の理由はどうあれ、朝鮮通信使はどう見ても貢ぎ物を納めに来る朝貢だ・・・内外にアピールする狙いがあったんだろう」
「朝鮮側にメリットなんかあったの?」
「日本の内情調査の理由もあったらしい・・・が、朝鮮通信使が朝貢だとすると、皇帝はそれに倍するお返しする、いわゆる下賜するのが習わしだそうだ・・・」
「なに?金をせびりに来てたの?」
「そして貢ぎ物も少ないくせに、お返しばかり要求するわけだな」
「だから『朝(みつぎもの)鮮(すくなし)』なんて名前付けられるのよね」
(中略)
そういう尊大さを華夷弁別(自分が生まれたところを、世界の中心と考えること)という。中央に中国があって周りはすべて夷狄の国々。その夷狄にも序列があって朝鮮、ベトナムなど近い順に序列が高く、海の向こうの日本は最下位だったらしい。
それで朝鮮は「朝」に「鮮やか」。いい国名が与えられたのかと思ったら、渡部昇一氏が大阪での講演で「あれは朝貢(朝)が少ないという意味」で、鮮は「巧言令色鮮(すくな)し仁」の鮮と話された。
朝貢国は中国皇帝に拝謁するさいに貢物をもっていく。皇帝はそれに倍するお返しを下賜する習わしだが、 「朝鮮」は貢物が少ないくせにお返しだけはたっぷり持って帰る、そういう気持ちを込めた命名だというのだ。
「無知蒙昧の蒙だっけ?そのまんま“バカ”という意味を付けるのは、ある意味すごいわよね」
「日本人なら萌古と呼んであげよう!」
「も、萌って・・・せめて猛古とかにしたら?」
「かつては『遼史』とかでそう表記いたからこっちの方がいいだろう」
「ネ、ネタじゃないの?いや、それでもどうかと思うけど・・・」
「まあ、他にも中国はベトナムのことを南蛮と呼んだり、蠻・韃虜・胡などわざわざ差別的な漢字を使っている。」
「こんな名前の付け方する奴らが『「朝」に「鮮やか」』だから朝鮮なんて名前の付け方するわけないわね」
「そうだ・・・だいたい朝鮮は儒教だ」
「儒教の秩序で、下の召還に上が応じるはずがないじゃないの?」
「”恩恵を与える”という感じで対応していたっと言うのは朝鮮の苦しい言い訳にしか聞こえないんだが・・・」
「苦しい言い訳なんじゃないの?だからカリーはコリアン疑惑が出てるのよ」
「さて次だ・・・」
尾沢「あの連中、無礼だよ。いつまでも昔のことを根に持って、日本人の顔さえ見れば”謝れ、謝れ”と言う。」
尾沢「いったい何回謝れば気がすむんだ?戦後50年も経つんだぞ!」
士郎「日本は謝っていませんよ」
尾沢「バカ言え!ちゃんと歴代の首相も謝ってるじゃないか!!」
士郎「あの首相たちはいずれも国の代表としてではなく、私人の立場で謝罪したのです。私人がいくら謝罪しても国が謝罪したことにはなりません。国会決議、あるいは謝罪使節団の派遣、などの方法で国家が謝罪しなければ謝罪にならないのです。」
栗田「韓国の人の実感では一度も日本は公式に謝ってないと思われてます。これはすごいことだと思います。」
はる「今度も首相が謝罪したけれど、直前の国会決議で謝罪を取りやめにした後だったから余計白地らしく聞こえたわね」
「なんだ?」
「”私人がいくら謝罪しても国が謝罪したことにはなりません。国会決議、あるいは謝罪使節団の派遣、などの方法で国家が謝罪しなければ謝罪にならないのです。”って日本ではそうなの?」
「そんなわけないだろ・・・」
「そ、そうよね・・・政府に外交の権限があるのは万国共通よね・・・」
すなわち閣議は,国家行政の最高機関としての内閣がその意思決定を行うための会議であり,非公開で,内閣の一体性から全会一致の形式がとられている。しかし,実際の閣議は,官僚が策定した法律案(内閣法案)や政策を形式的に承認し,法律の連署する署名機関になっているとの指摘がなされている。
「国会の決議や謝罪使節団の派遣などの方法こそ、全く意味がないんじゃない?」
「国会でできる外交関係の権限は条約の締結の承認だけだ」
「つまりカリーは政治のことは何も知りません!って自ら暴露してるわけね」
「ちなみに内閣は事後の承認も認められている。」
「当然よ、いざ戦争になったらいちいち国会で決議なんてしていられないものね」
「それだけ内閣総理大臣の発言はそれだけ重いということだな、だからリップサービスだろうがなんだろうが迂闊なことを言えない」
「どっかのバカが従軍慰安婦に対して謝罪してえらいことになったことがあったわね・・・」
「あれは韓国政府との裏取引があったとかなかったとか・・・だが当時の総理大臣がこれを認めてしまったため、日本政府はこの件に関して否定することができなくなってしまった」
「奴らのいうことを真に受けるからよ!奴らが10言ったら20は嘘だと思わないと!」
「そ、それは惨いと思うが・・・」
「何言ってるのよ、日本人の671倍嘘つきなんでしょ?」
「たしかに息を吐くように嘘をつくとか言われてるようだが・・・」
「騙される方が悪い!っと本気で思ってる節があるからね〜気を付けないといけないわよ〜」
「騙すというか、本気で知らないようだし・・・」
「よく知りもしないくせに『謝罪しる!賠償しる!』って言ってるわけ?知らないことを知ってるフリをして、本当のことだと思わせることを、人は騙すと言うわよ」
1982(昭和57)年
8月24日 鈴木善幸首相〔教科書問題での記者会見〕
「過去の戦争を通じ、重大な損害を与えた責任を深く痛感している」
「『侵略』という批判もあることは認識する必要がある」
1983(昭和58)年
1月 中曽根康弘首相
「両国関係は、遺憾ながら過去の歴史において不幸な歴史があったのは事実であり、これを厳粛に受け止めなければならない」
(中略)
2001(平成12)年
11月18日小泉純一郎首相は就任後初めて韓国を訪れ、植民地時代に独立運動家らが投獄された刑務所跡地にある西大門独立公園を訪れ、「心からの反省とおわび」を記者団に語った。
金大中大統領は首相の「おわび」を高く評価し、その実践を要望した。
「日本の植民地支配により韓国の国民に対して多大な損害と苦痛を与えたことに対し、心から反省とおわびをする。一人の政治家、人間として韓国人の苦痛と犠牲を忘れてはならないと思った。これまで外国からの侵略や祖国の分断など大変な辛酸をなめ、想像を絶する苦痛に耐え、韓国が今、発展していることに心から敬意を表す。
日韓関係は過去の歴史を踏まえながら反省しつつ、このような苦難の歴史を二度と繰り返さないよう協調せねばならない。日韓二国の友好関係の進展がアジアの発展と世界平和に寄与する。
自由と平和を脅かすテロが全人類の脅威となっているが、同盟関係にある韓国と日本、そして米国が協力することがアジアの発展と世界の平和に寄与する。幸い、来年には日韓共同開催のサッカーワールドカップ(W杯)が開催される。W杯を成功させ、これを契機に日韓両国の交流、協力が深まることに期待する。」
「たしかに”韓国の人の実感では一度も日本は公式に謝ってないと思われてます。”っと言うのはスゴイことね」
「ちなみに、”国会の決議や謝罪使節団の派遣〜”の部分、雑誌掲載時には”謝罪ではなく遺憾であるとしか言っていない”と言う内容だったらしい・・・」
「ふーん、たしかに謝罪と遺憾は違うけどね〜」
「どこからかクレームが来て、この苦しい言い訳を考え出したんじゃないかな?」
「それでこの無茶苦茶な理論を出してきたわけ?どっちにせよアホとしか言いようがないわね・・・」
「日本はする必要もない謝罪をしている。美味しんぼその5でもちょっと触れたが、日韓基本条約によって賠償も終了している」
「それも知らないだっけ?」
「この間ようやくKBS(韓国放送公社)で放送したみたいだけどな・・・」
補償問題は、韓国政府が植民地支配に関する請求権を放棄する代わりに、日本から経済協力資金を受け取る形で決着したが、韓国政府が被害者補償に資金のごく一部しか充てなかったことへの不満が今でも残っている。
KBSはまた、米国が経済協力資金の金額決定に重要な役割を果たすなど正常化交渉に深く関与した事実も明らかにした。これらは東京大学東洋文化研究所に保管中の日韓交渉の会議録などで判明したもので、KBSは日本からの解放記念日である15日、特別番組で伝える。
日本が個別補償を提案=正常化交渉、韓国が反対−KBS 8/12 時事
(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/09/17/20040917000026.html)
太平洋戦争犠牲者遺族会(ヤン・スンイム会長)は17日、「1961年の韓日会談当時、韓国政府が日本政府の韓国人犠牲者に対する直接補償の提案を拒否し、国が補償金を受け取って支給する方法を選んだ」と主張した。
遺族会はこの日、国会で記者会見を開き、その証拠として「第5回韓日会談予備会談会議録(一般請求権小委員会第12、13回会議録)」を公開した。
遺族会は「会議録を見ると、韓日会談当時、韓国政府は労務者と軍人・軍属を含め、徴用の方法で国外に動員された生存者、負傷者、死亡者、行方不明者など、被徴用韓国人の肉体的・精神的苦痛に対する補償金の支給を請求した」とし、「しかし韓国政府は日本政府の韓国人犠牲者に対する直接補償の提案を拒否し、国が補償金を受け取って支給する方法を選んだことが記録されている」と主張した。
遺族会はさらに「朴正熙(パク・チョンヒ)政権はしかし、65年の韓日協定締結後に受け取った5億ドルの対日請求権資金で、被徴用韓国人に対する補償を実施すべきだったにもかかわらず、浦項(ポハン)製鉄と京釜(キョンブ)高速道路の建設に投入し、維新政権時の70年代に軍人・軍属の死亡者8000人に限って補償をしたにとどまった」とした。
「驚いてた人もいたようだがいまだに信じない人もいるようだぞ」
「KBSが必ず真実を報道してる訳じゃないからね、これを機会に自分たちで調べてみるといいわ」
「ちなみに肝心の特別番組の内容は『軍事政権が結んだ条約は無効だ!』と言うような放送だったらしい・・・」
「うが!さすが斜め上を逝ってるわね、政権が交代するたびに条約無効になったら便利だわね」
「親が変わったから借りた借金返さない!って言ってるようなものだからな・・・」
「それとも条約破棄するってことかしら?それなら既に支払われた補償金を返さないといけないでしょ?返せるの?」
「8兆円ほど返してもらわないといけないんだが・・・」
「・・・韓国の国家予算は?」
「100兆2246億ウォンだということだ、1ウォン=0.09円で換算すると・・・9兆円・・・」
「ダメじゃん('A`)」
「国を破綻させないかぎり無理だな・・・」
「無理無茶無謀を言い出すところが彼ららしいといえば彼ららしいかしらね」
「現実的には無理だな、くわしくは週刊オブイェクト 戦後補償2004でやってるので見てくれ」
「・・・ところで『直前の国会決議で謝罪を取りやめにした後だった』ってこんなことあった?」
「聞いたことないな・・・」
「私も聞いたことないわよ・・・」
「こんなことあればアサピー( ━@Д@)辺りが喜んで書いてるかと思って、いろいろ調べてみたんだが、こんなこと見つからなかったぞ・・・」
「これって・・・韓国が似たようなことやってなかった?」
「ん?これのことかな?」
※ 2001年8月23日、朝日新聞は「韓国の金大中大統領はベトナム戦争について謝罪とした」という記事を書いた。しかし、日本経済新聞(8月24日朝刊)では「青瓦台(大統領府)関係者は「謝罪ではなく遺憾の意の表明」と説明している」と書かれているし、金大中の発言内容を見ても、悪いのは米国で韓国は被害者のような言い方であり、謝罪というより言い訳の類である。
また韓国内の世論も反省するつもりはゼロであり、謝罪とは到底言えない。
もしも本気で「謝罪した」と言い張るならば教科書に侵略戦争を行ったと記述し、賠償もするべきである。
1997年 遺憾の意を表す
2000年8月 韓国石油公社がベトナムで油田発見
2001年8月23日午前 金大中韓国大統領謝罪
2001年8月29日 野党や退役軍人、謝罪に反発
「謝罪が行き過ぎだと言うのは当然だろう、これは祖国のために戦ったことを否定することだ」
「それでいて日本には平気で要求するわけね?まったく面の皮の厚い連中ね」
「ましてや日本は韓国とは戦争してないしな・・・そもそも謝罪を要求すること自体がおかしいんだが・・・」
「日本は、はっきり断ればいいのよ」
「そうなんだがな日本人はお人好しだからな・・・さて次は・・・」
「・・・」
「えっと・・・”日本の天皇家は、朝鮮とつながっている”ってこれはそうよね」
「ああ、日韓ワールドカップの時のゆかり発言で有名になったな」
天皇陛下 日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。 しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え,両国民の交流が盛んになってきていますが,それが良い方向に向かうためには,両国の人々が,それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確に知ることに努め,個人個人として,互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ,このことを通して,両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。
参考資料:
日本の天皇は韓国人だ 洪潤基(韓国外大教授)
(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/11/23/20031123000041.html)
「どっかの誰かが誤解する発言をしたから問題なんじゃないの?」
「誤解するのは誤解する方に問題があると思うが・・・」
「捏造、歪曲が得意技の奴らにエサを与えたようなもんよ」
「・・・各所に配慮した発言だと思うぞ・・・」
「まあ、天皇陛下の願いとは裏腹に、日韓ワールドカップは両国の信頼感が深まるどころか不信感が深まった感じよね」
「マスコミの偏向報道ぶりと韓国のアホさ加減が暴露された大会だったな」
「アメリカvsドイツ戦だっけ?テーハミングコールが鳴り響いたの」
「アメリカvsドイツ戦なのになんで韓国の応援をしたのかわからんが・・・」
「日本どころか世界中に韓国のバカっぷりが発信された大会になったわね」
「いまだに後を引いてるみたいだな・・・」
FIFAが創立100周年を記念して特別限定版として製作した『フィファ・フィーバー』DVDは『ザ・フィファ100(The FIFA100)』というワールドカップ写真集とともにFIFAが永久保存する資料で、今月から来年5月までスイス・ローザンヌにある五輪博物館でも展示及び上映される予定だ。
それによれば、韓国の試合と関連のあるのは6位から9位まで。日韓ワールドカップでイタリアとの16強戦の延長戦で、イタリアのトンマージがゴールデンゴールを決めたがオフサイドの判定により無効となったのが6位。同じ試合でトッティーがゴール前ドリブルをしているところを守備手に引っかけられて倒れたがペナルティキックではなくシミュレーション判定を受けて退場となったのが7位に選ばれた。
8位は、スペインとの8強戦の際、スペインのモリエンテスがセンタリングを受けてヘディングゴールを決めたが攻撃者ファウルが宣言され、無効と判定されたこと。同じ試合で、モリエンテスがサンチェスのクロスパスを頭で受けてゴールを入れたがパスする時に既にボールがエンドラインを離れていたという理由で無効となったのが9位だ。
この4件の状況に対し、当時英国のBBCや米国のスポーツ・チャンネルESPNなどは「誤審ではない」と報道したが、ワシントンポスト紙やロシアのインターネット新聞ガゼッタなどは「明らかな誤審」と報じ、海外メディアの反応が鮮明に分かれていた。
問題はFIFAがこれを公式的に資料化したこと。特に、韓国関連が4件もある上、どれも4強神話につながる決定的な関門であったイタリア戦とスペイン戦に集中されており、「組織的な韓国ひいき」のような印象を与えるに充分だ。
日韓ワールドカップ当時、FIFAのブラッター会長は「審判たちが韓国を助けたという陰謀論は一考の価値もない主張だ」と一蹴していた。
「普通の人が見てもあれはどう考えてもおかしいだろうに・・・」
「買収でもしなきゃ韓国ごときがベスト4までいけるわけないでしょう!」
「・・・ずいぶん話がずれてるが・・・」
「あら?そうね、それで”続日本紀に桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫である”と書いてあるのはホントよね」
「ああそうだな」
「で?それがどうして韓国に謝らなければいけないことになるのよ?!」
「・・・”天皇家が朝鮮とつながりがあるなら、もともと日本人が、朝鮮・韓国を嫌ったり、偏見を持ったりするはずがない”という理由らしいが・・・」
「はぁ?奴らが嫌われてるのは、奴らが嫌われるようなことをしているからでしょ!!」
「・・・”皇室を崇敬すると言いながら、朝鮮人・韓国人に偏見を持つなんて、朝鮮と繋がりのある皇室に対して失礼だ”ということら・・・」
「はぁ!?偏見という意味がわかって言ってるの!?自分が思いっきり偏った見方をしているって気が付いてないの!!!」
「そ、そんなに怒るなよ・・・」
「怒りなさいよ!自分はバカみたいな偏見持ってるくせに!それとも何?
「・・・これも昔は日韓併合の理由として使われていたんだがな・・・」
「ん?どういうこと?」
「天皇陛下には朝鮮の血筋も混ざっています。だから日本と朝鮮は同じ国になっても問題ありませんよ ってことだ」
「それはちょっと屁理屈くさいわね」
「だがそう言って統治したのは事実だ、それに日本書紀が正しいというなら日韓併合は問題ないな」
「はぁ?どういうこと?」
「日本書紀には『百済を再建させるために協力してほしい』という記述があるからだ」
「併合は歴史的裏付けまであるわけだ」
「まったく、そのくらい言ってほしいわね、だいたいこの尾沢ってオヤジてんで無知じゃないの!韓国って国はね、知れば知るほど嫌いになる不思議な国なのよ!」
「・・・最近は韓流ブームとか言って、ずいぶん紹介されるようになったようだぞ・・・」
「なぁにぃが韓流よ!寒流の間違いでしょ!!あんなのどこが韓国について紹介してるのよ!?あんなものに騙されて韓国行くなんて自殺行為よ!」
「た、たしかによく知らないで行くのは危険なようだから気を付けた方がいいが・・・」
フィーバーの立て役者である日本人女性客をあてこんだ、冬ソナのロケ地をめぐる観光ツアーも満員御礼状態で、ブームが起きる2年前に比べると1年間で韓国を訪れる日本人女性客の数は10倍以上に膨れ上がっているというデータもある。
「ツアーに限らず、『冬ソナ』の名場面が撮影されたソウルや春川(チュンチョン)などのロケ地めぐりに加え、ヨン様がお忍びで通っていたとされる韓国料理店やコーヒースタンドなどを訪問するコースが、とりわけ人気になっているようです」(旅行代理店関係者)
だが、ここにきて、そんな女性主導の過熱気味“韓流ブーム”に冷や水を浴びせかける、なんともキナ臭い話が飛び込んできた。
韓国在住の日本人ジャーナリストが、そっと耳打ちする。
「実は、日本では報道されていませんが、韓国国内で、日本人の女性観光客をターゲットにした犯罪が多発しているんです」
つい先日も、こんな事件があった。前出の日本人ジャーナリストが続ける。
「9月12日の早朝、大邱(テグ)の3ツ星ホテルに宿泊していた24歳のOLの部屋に、ホテルの従業員が合鍵を使って侵入。
彼女をナイフで脅して現金を奪ったあと、無理やりレイプした疑いで逮捕されています。
被害にあった女性は、女友だちといっしょに、『冬のソナタ』のロケ地を観光めぐりするために韓国を訪れていたそうです。
容疑者も、その後の取り調べで、彼女が部屋に1人で泊まっているのを知っていたから狙った、と供述していると聞いています」
金さんは12日午前6時頃自分が勤めるホテル5階客室を補助鍵で開いて入ろうとあった日本人投宿客(24.女)を凶器で脅威して両腕を縛って現金7万5千ウォンを強奪した後性暴行した疑いだ。
警察は犯人が客室門を開いて入って行った点で推してホテル内部事情を寝る知り合いの所作で見て職員たちを相手で探問捜査をしたあげく金さんを検挙した
「っファンを敵に回す発言を・・・」
「ふん、あんなものより電車男の方がよっぽど面白いわよ」
「あれはネタだという噂が・・・」
「ネタだ!ネタじゃない!なんてナンセンスよ〜読んでみて面白かったらそれでいいじゃない」
「・・・」
「あら?」
「アイゴー!!なんで私を呼んでくれないんですか!これは差別です!偏見です!謝罪と賠償を!!」
「だってあなたがいると全然進まないんだもの・・・」
「何を言ってるんですか!コリアンネタと言えば私じゃないですか!ここを見に来る人の90%以上が私を見に来ているんですよ!」
「・・・ソースは?」
「ソ、ソース?」
「90%以上というソースよソース、ソースは何よ?」
「ソース、ソースとうるさいですね、そんなにソースがほしいならブルドックソースでもショウユソースでも好きなの使ってください」
「おぉぃ!」
「ソース=情報源のことだと・・・」
「ふふふ・・・何を言ってるんですか?私が言ってるんですよ?!
これはソースはないけど確実です!」
「また無茶苦茶言ってるわね・・・」
「さあ、これから私が真実の歴史を教えてあげますよ〜」
「リューシーさん・・・せっかくですがそろそろ終わりなんで・・・」
「え・・・」
「あら終わり?」
「うむ、ちょうど前半部分が終わったところで切りもいいしな」
「あらあら残念ね〜」
「アイゴー!!いいです!次回は私が日帝の悪行を暴いてあげます!!」
「悪行ね・・・はいはい期待してるわ」
「はい!それではみなさん〜おやスミダ〜」
「おやスミダ!?」
「おっと、ホンモノのウリナラ語ではアンニョンチュムセヨ〜」
「ウリナラ語って・・・」