「謝罪より賠償でしょう♪」
「げっちゅ〜ニダニダモードじゃん〜♪」
「身も心もスウィーツにウリナラマンセ〜♪」
「大変ご無沙汰でしたね、私も あっち こっち で出番が多くて忙しいかぎりなのですよ」
「さて、ここでは私が、日帝36年に行われた悪行の数々、搾取と抑圧の下、ひたすら犠牲を強いられた、暗黒の36年を説明したいと思います」
「まず、日帝は高宗皇帝を強制的に退位させ、さらに軍隊をも解散させた後、大韓帝国を植民地にするため侵奪を続けたのです」
「大韓帝国の司法権を奪った後は、警察権さえ統監府が握り、行政、司法、治安などの支配権を強化しました」
「そして日帝は、李完用を中心とする親日内閣に対し、大韓帝国を日帝に合併させる条約を強要し、ついに韓民族の国権を強奪しました・・・」
「この結果、長い間、独自の文化を作りながら発展してさた韓民族は、日帝の奴隷的な状態に成り下がることになりました・・・」
「そしてウリナラの人々を奴隷的状態とし、土地の侵奪、産業の侵奪、ハングル弾圧、名前を奪ったのです!」
「なんと酷いことでしょう!!これからたっぷり日帝の悪行の数々を説明していきたいと思います。」
「このページは・・・
「アイゴー!何するですか、暴力反対!謝罪と賠償を要求します!」
「黙って見てれば好き勝手しゃべって!だいたい言ってることがめちゃくちゃよ」
「言ってるがめちゃくちゃなのはあなたです!女の子に向かって野郎とはなんですか!女郎と呼びなさい!」
「そっちならいいのかよ・・・」
「だいたいどこがですか?これにはしっかりした歴史的史料もあるニダよ」
「・・・どんな史料ですか?」
「韓国の中学校用国定歴史教科書ニダよ」
「・・・」
「・・・」
「な、なんですか、その目は韓国の教科書は史料にならないんですか!謝罪と賠償を要求しますよ!」
「ふん!あんなのはファンタジー小説で十分よ」
「まあ、韓国で勉強した人は”日韓併合によって朝鮮人は日本人の奴隷として生きた”と言う認識になるみたいだな・・・」
(中略)
私は、戦後アメリカの東アジア政策は、さまざまな点で私たちに友好的とはいえなかったと考えています。
反日感情を意図的につくりだすうえで基本となったのが、歪曲された、まちがった歴史認識です。
韓国人は幼いときから、学校や家庭で、あるいは社会をつうじて、さまざまなやり方で捏造された歴史を学びます。
これによって、ごくふつうの韓国人は「総督府時代とは、あらゆる朝鮮人が日本人の奴隷として生き、搾取されて死に、追い出された時代だった」という認識をもつにいたります。
(本文P1〜4から引用)
「反日教育もいい加減にした方がいいわね・・・さて第8回ね〜」
「前回『韓国と日本』前編だったんで今回は後編をネタにしていこう」
「一話がそんまんまネタになるというのはすごいわね・・・」
「韓国を肯定しようとすると・・・まあ、それはおいておいて、まずはこれだ!」
士郎:さて、それが問題です。尾沢さんは閔妃事件を知らないんですか?
尾沢:閔妃事件?
士郎:明治維新のころ、朝鮮は李王朝が続いていた。日本は武力をもって朝鮮に迫り、1876年に江華条約を結び、開国させた。当時の朝鮮の王、高崇の后が閔妃です。閔妃は日本が影響力を強めるのが嫌ってロシアと接近した。
その態度が不満な日本人が、宮廷に乱入して閔妃を殺したんです。
尾沢:な、何だと!?
士郎:事件当時、日本人の関係者は全員、証拠不十分で釈放されましたが、現在はいろいろな人の研究により、当時の日本領事が計画し、指導していたことがわかっています。 王妃を公然と殺されても、当時の朝鮮は日本に対して何も対抗策を取れなかった。日本の武力が圧倒的だったからです。この閔妃暗殺に、当時の日本の朝鮮に対する姿勢がはっきり表われています。結果的に力づくで朝鮮に併合条約への調印をさせたのです。
「そう見えるな・・・」
「そうです!力ずくで結ばれた条約なんて無効に決まってます!」
「そんなこと言ったら、今現在結ばれてる条約も全部無効でしょ」
「武力を背景に条約を結ぶというのは当時の常識だ」
「歴史を語るならあくまでも当時の価値観で物事を判断しなくてはいけないわよね」
会議参加者によると、合法論は国際法専門のJ・クロフォード英ケンブリッジ大教授らから出され 「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」と述べた。
また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(一九一四−一八年)以降のもので当時としては問題になるものではない」と主張した。
「日本ほどまじめに守った例はないんじゃない?列強帝国のほとんどが宣言で勝手に植民地化してたのに比べれば」
「そんなの同じです!平和に暮らしていたウリナラを日本は突然攻撃して来たんです!」
「たしかに美味しんぼでも突然攻撃しているようにみえるな」
一 東莢府ニ入ル事若シ彼レ延期ヲ請ヒ、情理相悖ラサル辞アラハ、年期ヲ約シテ之ヲ緩フスルハ其時宜ニ由ルヘキ事。
一 彼ヨリノ使員即今直ニ交誼ノ舊ヲ尋キ、新ヲ講スヘキ有権ノ使ヲ出スニ難ンスル事アラハ、先ツ我一新ヲ祝賀スル等ノ使ニテモ、一應之ヲ誘導シ、若シ其事モ渋滞スルトキハ、我ヨリ更ニ使ヲ彼京城ニ派出スル旨ヲ以テ談判可致事。
(対韓政策関係雑纂/日韓尋交ノ為森山茂、広津弘信一行渡韓一件 第六巻 朝鮮理事誌2 p16)
要するに譲歩も含む弾力的姿勢と対話の継続である。この訓令は三条太政大臣や参議らも了承している。(在朝鮮国森山理事官ヘ指令副加伺)であるから、これが当時の日本側の交渉方針であった。
上の建議を以って「武力によって開国要求した」と言う者があるが、建議に対する4月29日の訓令によって平和的解決の指示を受けた事実を知らねばならない。
次に建議そのものの内容を見ても、これは森山茂理事官をはじめ、外交戦の現場の人間に対する応援の要請であり、相手(訓導)への交渉圧力の要請に過ぎない。いわゆる「対話と圧力」である。だから、軽々しく凶器を隣国に向けるようなことになってはならないと言っている。ましてや武力行使も辞さずなどとは言っていないのてある。
むしろ宣戦布告も同然のことをしているのは朝鮮側であり、我慢しているのは日本側である。
まるで言いがかりのような「皇」などの文字に関する侮辱、日本の使節と話し合うどころか会うことすら拒否する態度、日本人漂流民への無情な仕打ち、対馬への貿易制限、日本国に対する誹謗中傷と、これがかつて300年にわたって交際してきた隣国のすることかと、日本国内の怒りは沸騰し、「征伐」という言葉すら当然のように口にする当時の世論に比して、森山理事官たちは驚くほど理性的な対応をしていたと言える。
「実際には、1868年(明治元年)使節を送り国交と通商の樹立を求めている・・・だが実際に通商条約が結ばれたのは1876年だ。」
「8年も交渉してたの?のんきね〜」
「いきなり攻撃するのも問題だと思うが・・・」
「そんなのは今の価値観じゃないの、当時だったら問答無用で攻撃されても文句は言えないわよ」
「たしかに、フランスとアメリカが一度攻撃してるからな・・・」
「そんなことしてたの?」
「日本に来て、隣に来ないわけないだろ、この攻撃を・・・」
「朝鮮は跳ね返したんです!ウリナラマンセー!」
「ウソ!」
「ホントだな、まあ、本気じゃなかったんだろ?戦略的価値もないし」
「まあ、糞まみれの半島なんてほしくないわね」
「日本も朝鮮が独力で近代化の道を進んでいってくれれば、とくに必要なかっただろうが・・・」
「それでも無理よ、国交も通商も認めようとはしないうえに、国力の差を見ずに挑発する始末」
「そうみると日本側はずいぶん我慢してたように見えるな」
「それにしても”対話と圧力”なんて今の日本と北朝鮮の関係を見ているみたいね」
「たしかに、言いがかりをつけて感情を逆撫でしているあたりがそっくりだな」
「あいかわらず自爆が好きだわね〜」
「もともと同じ国だしな・・・」
「アイゴー!北と南は別の国ニダ!」
「はいはい、それで閔妃事件?」
「そうです!日本人が明成皇后を惨く陵辱したあげくぶっ殺したんです!なんて酷いんでしょう!」
「(あなたの言い方が酷いわよ・・・)明成皇后?」
「閔妃のことだな、閔妃事件は閔妃が暗殺に日本が関わっていたと言う事件でどうやら事実のようだ・・・」
「ようだ・・・ってなんかはっきりしないわね」
「色々調べて見たんだが、米国人医師アレンによって暴露されたとか、アメリカ人とロシア人が見てたとか・・・京城領事が外務大臣にあてた報告だとか・・・言ってることがその本やサイトによって違うのはどういうことだ?」
「そんなの簡単〜かの国が嘘、偽り、捏造を繰り返してるからよ〜♪」
「誇らしいですねホルホルホルホル」
「褒めてない褒めてない・・・」
「まったくどれがホントでどれがウソかわからなくなってくる・・・まあ、日本が閔妃を廃したいと考えていたのは間違いなさそうだ」
「そうだ・・・閔妃事件は色んなサイトで日本人が行った蛮行といった趣旨で書かれているが、それを裏付ける一次史料が何か書いてない・・・」
「じゃあ何を根拠に、そんなこと言ってるわけ?」
「それで色々調べて出てきたのが、ロシアの軍人が見聞きしたという史料なんだが・・・」
「それって日露戦争前で、ロシアとは朝鮮の利権争いしてるときでしょ?」
「そうだな・・・」
「一応紹介しておこう・・・」
(中略)
午前3時、王宮を日本軍が包囲し始めた。日本軍の一部隊は北西門に配備され、北東門に集結したのは、日本人によって教育された朝鮮兵約300人である。
(中略)
彼らは中庭を走り回って、王妃の所在を聞き出せると判断される人々を捕まえては打擲するも、誰一人として彼らの求める情報を与えた者はいなかった。王妃が女官の間に身を隠しているに違いないと考えた日本人たちは、か弱い宮廷婦人を手当たり次第に殺しだした。日本人らは婦人たちに襲いかかり、王妃の引渡しを要求するのだった。王妃と全ての女官たちは口裏を合わせて、王妃はここにいないと答えていた。しかし、哀れなる王妃の神経がもはや耐え切れなくなって、彼女が廊下へ逃げ出すと、一人の日本人が脱兎のごとくその後を追い、王妃を捕まえ刺し殺した。しばらく経って、日本人らは殺害した王妃を近くの林に運び出し、灯油を振り撒いた上に火を放って焼却した。1895年11月26日の流血劇は、こうして幕を閉じた。
日本人らが自らの虐殺を実行していた頃、南門からは日本軍兵士とともに大院君が、そして彼とほぼ同時に三浦公使も王宮に入った。彼らは直ちに王の許に赴き、王妃からその称号を剥奪し、平民の身分に降格させることを宣する布告に署名するよう迫った。
<同書解説から>
特に印象に残ったのは、カルネイェフが伝える閔妃暗殺の現場報告である。これは恐らく、現場に居合わせて一部始終を見届けたロシアの建築家セレドニン・ソバチンに直接取材した聴書であろう。
「美味しんぼでもそうだが、その時に朝鮮人も行動を共にしていたことは意図的(?)に無視されているな。」
「だいたい、この史料おかしいわよ、このロシア人なんで朝鮮人と日本人の区別が付いたの?私だって見ただけじゃ日本人と韓国人の違いなんてわからないわよ」
「そんなの簡単です!軍服を着ていたんです」
「んなアホな・・・隠蔽するつもりならそんなことしないでしょ?」
「たしかに武士道が深く残っていた当時の日本人が、浪人であっても女性を殺すというのはおかしい気がするな・・・」
「まったくロシア人の史料なんてあてにならないわよ、アメリカの出しなさいアメリカの!」
「見つかったらな・・・」
「だいたい宮廷内部の情報や閔妃の顔すらよく知らない日本人がこんなこと出来るわけないじゃないの?」
「少なくても内部の情報にくわしい協力者が必要だ・・・そして、大院君と閔妃は激しい権力争いをしていて、当時の朝鮮では両派閥が暗殺を繰り返していたようだな」
「これを見ると当時の朝鮮では暗殺は普通に行われたみたいね・・・」
「李朝500年の間に16人の王子と数十人の王族が党派争いなどで処刑、殺害されてる・・・」
「うが!権威と権力が同位してるとろくな事にならないわね」
「この事件、どうやら利害が一致した朝鮮人の開化派と大院君と日本がした事件だったのでは?っと言うところだろうな」
「何を言ってますか”ウリナラのグランドマザー”ですよ!それを殺してしまうなんて酷い話です」
「たしかに韓国では(日本でも)”救国の国母”のように語られることが多い・・・」
「そなの?李氏朝鮮末期の状況を考えたらとてもそうとは思えないけど・・・」
「どちらかというと”亡国の女帝”っと言ったところだろうな」
(中略)
日本のおろかな女性作家が、閔妃に同情的な本を書いたことがあるが、閔妃は義父に背恩したうえに、民衆を塗炭の苦しみにあわせ、国費を浪費して国を滅ぼしたおぞましい女である。このような韓国史に対する無知が、かえって日韓関係を歪めてきたことを知るべきである。
「たぶん、角田房子(「閔妃(ミンビ)暗殺」新潮社)のことだと思う・・・」
「げげ!お、美味しんぼのソースは?」
「角田房子(「閔妃(ミンビ)暗殺」新潮社)・・・」
「そういうことだな・・・たしかに日本人の韓国史に対する無知はあるだろうな・・・」
「そうです!日本人は韓国に対して余りにも無知です!!」
「そんなこと言ったって、日本と朝鮮との関係なんて微々たるものでしょ?」
「あまりくわしくやると歪曲だ!捏造だ!とうるさいしな・・・」
「それにしても怪しい踊りごときに国庫の6倍の金額をね・・・」
「そりゃ暗殺もされるさ・・・」
「こんな状況を考えたら、日本は正義の味方じゃん〜影となりて悪を打つ!ってね」
「何のネタだそれは・・・」
「なにいってますか!ズバッと参上〜ズバッと解決しちゃいますよ!」
「(ますますわからん・・・)まあ、閔妃殺害事件に関して日本に抗議した国はなかったようだな」
三浦梧楼公使は広島の獄中でこのことを知って痛哭し、次のような七言絶句の詩を作りました。
廃沢荒山玉尚存 銀難国歩哀王孫
無由一束供青草 涙向西天灑義魂
〈荒廃した朝鮮にも玉のような心があった。朝鮮国の前途を思えば気の毒に堪えない。自分は獄中にいるため献花することもできず、西の空に向かって李周會の義魂に涙を注ぐのみである。)
「そのようだ、だから日本に抗議した国はなかったのだろう、よく・・・」
「あいごー!各国は日本に対して激しく抗議したニダ」
「とか書かれてるが・・・」
「抗議したなら史料が残っているんじゃない?」
「そう思って探したんだが出てこない、無いものは無かったと考えるのが普通だろうから・・・」
「そんな国あるか( ゚Д゚)ヴォケ!!ってことね〜」
「(そこまでは言ってないんだが・・・)そして、その続きが・・・」
「ニカ?」
「その前にあったハーグ密使事件も描いてないし、美味しんぼの話だけ見ると閔妃事件が日韓併合に繋がったように見えるな・・・」
「だいたい併合したら強くなると思ってる節があるわよ」
「日韓併合は日本にとって大きな負担だ、ましてや日露戦争後の厳しい時期・・・日本としては韓国自身が独力でやってほしかっただろうな」
「ロボットアニメじゃないんだから合体したって単純に強くならないって」
「いるわけない・・・二〇〇〇万国民と一進会は言ってるんだ」
「さすがウリナラ・・・親日でもあんまかわらないわね・・・」
「うむ”このままでは本当に植民地になってしまう。それならば併合して日本人になろう!”と思った朝鮮人はたしかにいたんだ」
「日本人になろう!なんてウリナラがそんなこと思うはずありません!」
「思うはずないっておぃ!」
「日清戦争で独立させてもらった恩を忘れて、ロシアとくっつき・・・」
「ウリナラは中立宣言しました」
「中立宣言は戦争に巻き込まれない呪文じゃないわよ、あれだけロシアに協力しておいて何言ってるのよ・・・」
「日露戦争後、保護国になって外交権を剥奪されたのにオランダのバーグで開かれた”万国平和会議”に密使を送った・・・」
そもそも日本と韓国との間には、明治三十八年(1905)十一月に、日韓保護条約が結ばれています。この経緯については、本書201頁で語っているので、それに譲りますが、この条約では韓国の外交は日本が担当することになっていたのです。その条約を認めた各国は外交官を韓国から引揚げていました。しかし皇帝にとって、この条約は心から呑める内容ではありません。韓国にとっては屈辱的条約でした。それに反対して閔泳煥(びんえいかん)ら六人の高官が自決しています。せめてこの際ハーグの国際会議で、日本の圧力によって独立を失った経緯を訴えたかったのです。しかし、韓国の外交権は日本にあることを認めた各国としては、韓国代表に対して会議の参加も発言も認めるわけには行きません。オランダの新聞人中心の国際協会で演説するにとどまりました。そのことが日本にも知れわたると、真意を皇帝に質しました。皇帝は例によって「そのような命令をした覚えはない」と否定するのみです。皇帝の期待にこたえることのできなかった三人の中の一人李儁(りしゅん)は、ハーグで憤死(病死説が事実か?)しました。
この事件が日本で報道されると、伊藤の軟弱政策の失敗を衝き、一挙合併すべしという世論が燃えあがりました。さすがの伊藤も自分の真意を裏切る行為に激怒し、 「日本は韓国に対し宣戦布告する理由がある」とする抗議文を、韓国政府に提出しました。それを受けて七月六日、皇帝を迎えて御前会議が開かれました。これまでの御前会議といえば、客部大臣の報告に止まり、論議しないのが通常でしたが、農商工部大臣宋秉○(そうへいしゅん)は、勇気を振って皇帝に詰め寄りました。(この会議の模様は、田端元氏の前掲原稿、『東亜先覚志士記伝・中』、韓相一『日韓近代史の空間』等に詳しい。)
「日本による改革は両班や白丁(被差別民)などの身分制度の廃止、人身売買の禁止と奴婢法の廃止、宮廷にはびこっていた宦官の廃止、科挙の廃止と近代的官制の採用、物納から金納へと代わる税制の近代化、悪貨が良貨を駆逐して混乱を極めていた貨幣制度の改革と財政改革、巫女が行なっていた呪詛による病気治療の禁止と近代医療衛生制度の導入などなど・・・」
「近代化には必要な処置じゃん」
「権力を握っていた官僚、両班には不評だったようだ」
「そりゃ自分たちの利権を取られるわけだからね」
「この後、伊藤博文がハルビン駅頭で韓国人の独立運動家の安重根に暗殺される・・・」
「安重根はウリナラの英雄ですよ」
「その英雄が併合慎重派の伊藤博文を殺しちゃったから、併合が加速しちゃったのよね〜」
「その辺は何故か描いてないな・・・」
「『ウリナラの不利な情報は描かない<丶`∀´>ニダホルホルホル』ってわけ?」
「ちなみに日韓併合を決断した李完用は併合反対の独立派だった・・・バーグ密使事件と伊藤博文暗殺、この2つが無ければ、日韓併合はなかったかもしれないな」
アジア歴史資料センター
レファレンスコード: B03050610400
〔明治42年〕12月29日から〔明治43年〕1月22日
(伊藤公爵薨去後ニ於ケル韓国政局並ニ総理大臣李完用遭難一件)
※大垣丈夫という大韓協会の顧問(合邦反対論者)と深い親交があったことが伺える
「そうです!日帝はハングルを禁止したんです!なんと惨いことでしょう・・・」
「あっさり嘘つくなって」
「ハングル弾圧についてはその2で説明したな・・・」
「だいたいカリーは”朝鮮教育令”を見たことないでしょ」
「朝鮮教育令1次2次でハングルは必須科目だ、ハングルは日本が広めた!と言えるだろう」
「インドネシアは3年半の日本統治を評価してくれてるみたいよね」
「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。…」わたしたち日本人にはまったく教えられていませんが、インドネシアの子供達はこういうふうに、このあいだの戦争について習っているのです。ちょっと驚きですね。
「上の教科書はインドネシアのなんだけど・・・」
「なにいってますか!ウリナラでは日本人に土地を奪われたんですよ!」
「奪われたというのは「土地調査事業」で接収した土地のことだと思うのだが・・・」
「チョパーリは全国農地の40%以上を略奪を採取したニダ!」
「って韓国の教科書には書いてあるのよね・・・」
「ニダニダ」
「ほとんどが朝鮮人の土地だったんだがな・・・」
朝鮮人所有 : 94 %
日本人所有 : 5.8%
外国人所有 : 0.5%
詳細はアジア歴史資料センターにてレファレンスコード:B20030416045
※閲覧にはDjVuプラグインが必要
http://www.lizardtech.co.jp/download/index.htmlにてDL
「日本人所有の土地は6%ほどだな」
「プハーこのうっかり者め!よく見なさい!Urbanは都会ということですね?」
「そうね・・・」
「Ruralは田舎という意味ですね?」
「そう読めるますね・・・」
「見なさい!!都市部では4割も土地を奪ってます!!これは土地を強奪した証拠です!!」
「・・・これ強奪したものなの?普通の売買で得たものかもしれないじゃん」
「日本人の企業に売ったんだろうな」
「企業が拠点を田舎には置かないから、都市部に集中するのはある意味あたりまえじゃない?」
これに正当な売買により取得した土地を加えた、1922年(大 正11年)末の日本人農業者所有土地面積は、一般地主17万5千町歩、東洋拓殖8万町歩、合計25万5千町歩で、全耕地面積の6%弱である(朝鮮総督府『調査資料2ー7 朝鮮における内地人』)。
「今アメリカの企業が、日本や韓国の企業を買ったりしてるけど、あれは強奪とは言ってないわよね」
「ましてやこの時の朝鮮は、日本の朝鮮地方だ・・・」
「アイゴー!この人は日本人の極右翼ニダ!とてもじゃないけど信用できないニダ!」
「韓国人ならいいの?韓国人でも”ぶっちゃけありえなーーーーい”って言ってるわよ」
韓日問題を論じるシンポジウムでソウル大学の李栄薫(イ・ヨンフン)教授が発表した内容だが、李教授は過去の「従軍慰安婦は売春業」発言に続き、再び論争を呼び起こしている。
「1910年に日本は大韓帝国を強制的に併合した」
「日本は韓国が植民地だった35年間に、韓国の土地の40%以上を収奪し、膨大な米を略奪していった」
これらが韓国が独立後、40年以上にわたり中学・高校の国史教科書に記載されている内容だ。
しかしソウル大学経済学科の李栄薫(イ・ヨンフン)教授はこうした収奪論が歪曲された神話だと主張した。
収奪という表現は太平洋戦争末期を除き、被害意識から出てきた言葉だと李教授は話している。
以下はYTNによるインタビュー。
李教授「日帝(日本帝国主義)が韓国の米を供出、強制徴収したとされているが、実際には両国の米市場が統合されたことにより、経済的『輸出』の結果だった」
客観的数値で見ても、奪われた土地は10%に過ぎなかったと説明している。李教授は韓国の歪曲された教科書で学んだせいか、反日感情の根がかなり深くなっていると話した。
李教授「私たちが植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ」
こうした主張について市民団体は植民地状況自体が不法であるという点を見過ごしていると反発している。
「こ、この人大丈夫か?あんまりホントのこと言うと消されるぞ・・・」
「親日派のための弁明の金完燮は『名誉毀損』と『外患扇動の罪』で逮捕されたっけ・・・」
「日本は韓国を植民地にして酷いことをしたんです。それを肯定しようなど犯罪行為です」
「植民地!植民地!って言ってるけど、そんなに悪いことした?」
「併合後、日本は終戦まで朝鮮に対して補助金を出してる・・・その金額は総督府予算の4割」
■質問
この補助金が何に使用されたかが問題ですよね。
土地調査事業により日本人地主が増加、会社令により日本人資本家が増加、この結果日本人の為の補助金になったのではないですか?
■回答
1911年の歳出47百万円の内、最も比率の高いのは鉄道と通信設備の建設費で16.6百万円です。次いで一般行政費8.7百万、治安費6.4百万、産業振興費4.5百万、地方費3.9百万、土木費3.2百万、の順です。教育費はその前年3.5百万使い、小学校を大量に作りましたが、この年は1.3百万に減っています。日本からの補助金がなければ、役人の給料を払うのが精一杯で、とても国土の建設に回すお金が無かったのではないでしょうか。
貴方は土地調査事業は日本人地主のためと思っておられるようですが、国土の建設には土地の使用状況を調べることが、何よりも大切なことです。どのような改善計画を立てるにも、まず現状調査、改善計画の立案と進むわけであり、現状調査である土地調査こそ、朝鮮内政改善の第一歩ではないでしょうか。 会社令は日本人の進出を阻害しているとして、渋沢栄一などは非難しています。
「普通はこういうのを”植民地化”とは言わないわよね〜」
「まだ言いますか!コリアンは名前を奪われ日本名を名のることを強制させられたんです!こういうのを植民地化と言わないでなんと言うんですか!」
「誤解している人もいるかもしれないが創氏は強制、改名は任意だ」
「あれ?8割が変更ってあれは?」
「あれは設定創氏が8割、法定創氏が2割ということだな」
「なにそれ?」
「簡単に言うと、届けを出すのが設定創氏、出さないのが法定創氏だ」
「じゃあ、届けを出した人が8割ってことじゃない?届けを出した人が必ずしも日本名にしたの?」
「むう、重複を避けるために「金」とか「朴」とか「李」とか「盧」とか、他に使ってる氏に変更するのはダメらしい」
「それならそのままの名前を使え!ってことかしら」
「だから日本名にしたのだろうと言うことだ、ただ別に日本名しなくても良かったのだから・・・8割の中の何人が日本風名にしたんだ?」
「私に聞いてもわからないわよ?」
「ニダ?」
「その辺を調べてみたんだが・・・わからん!だから最大で8割ということだな」
「まあ、どこからが日本風名か曖昧で調べられないか」
「そんな創氏改名は朝鮮人の強い要望によって行われた」
「そんなわけありません!捏造です」
「創氏改名を望む投書が朝鮮半島だけで年に10通くらい・・・」
「すくな!」
「プハー!!とうとうボロを出しましたね!たった10通の投書で創氏改名を強行したんです!!」
「当時の識字率を忘れてる、当時にしてみれば10通の投書は非常に多かったんだろ?」
「あ、なるほど」
答 : 内鮮一体皇国臣民化の進度に即し、名実ともに皇国臣民たらしむるべくその希望により創氏し得るの途を開きたるものなり。実施に際し末端において多少の行き過ぎたる嫌なしととせざるも大多数はその希望により進んで創氏皇国臣民足るべき決意を固め現在においては内戦融合一体の上に好結果を出しつつあると信ず。
殊に徴兵制度実施せられたる今日皇軍として些の差別なく渾然一体となりて軍務に精勤しつつあり。もし現在軍対中に金某、李某ら混じりたりとせばに思ひを致さばその利弊また自ら明らかなるものあり。
「ふふふ、戯れ言はそのぐらいにするニダ!」
「・・・」
「どったの?」
「いいですか!!創氏改名は前半の三ヶ月を終わった所で、創氏の届が出されたのはたった7.6%に過ぎなったんです、それが残り三ヶ月で創氏の届が80%にも達した・・・これは何らかの強制が働いたに決まってます!!」
「それって・・・何のことかよくわからなかったから、出さなかっただけじゃないの?」
「総督府もそう思ったのか、手続きを簡単にしたりと試行錯誤をしている」
「違います!強制があったから8割にもなったんです!」
「地方官僚が強制まがいの事をしているとして、総督府は強制があってはならないと、”強制するな!”と3回も通達を出してる。」
「それみなさい!強制があった証拠です!”強制するな!”ということは強制していた証拠です!」
「・・・朝鮮の地方官僚は朝鮮人でしょ?自分たちでやったことを他人のせいにするわけ?」
「何言ってるんですか!日テレの視聴率買収騒ぎについて”一部の不届きな社員がやったことだ”なんて言ってるのと一緒です。言い逃れができると思ってるんですか!」
「・・・思ってるわよ」
「な!」
「それが組織的な関与があった場合は問題だが・・・」
「そんなこと言ったら朝日なんて何回責任取ってるのよ・・・」
「どちらかというと、イラクで3バカが捕まったとき、政府に抗議した人たちと似てるわね〜中の人が一緒だからかしら?」
「ウェーハッハッハ!ホントバカウヨは無知ですね〜組織的な関与があったんです!」
「ソースは?」
「ふふふ、びっくらこくでねぇぞ〜これです!」
「なに人よあんた・・・」
「・・・」
「・・・」
「ウェーハッハッハ、声も出ないようですね!」
「・・・私には『新聞に煽るような記事が多いからやめるように指導している』って読めるわよ?」
「おや?」
「俺にもそう読めますよ・・・」
「それをどう読んだら、煽るような記事をやったのが総督府だとわかるのよ?」
「アイゴー!!某サイト管理人は謝罪しる賠償しる!!」
「某サイト?」
「まあ、気にするな・・・色々調べたが創氏改名が強制だという証拠はない、ほとんどが、”最初少なかった届け出が後半になって急に増えたのだから強制に違いない!”と言ってるわけだ」
「そう?私には最初少なかったのは強制でない証拠だと思うけど?」
「まあ2割が朝鮮名のままなのだから、『日本名に強制的に変えられ、名前を奪われた』というのは嘘っぱちだな」
「強制なら100%実行されてるわよね、実際創氏は100%実行されたんでしょ?」
「そうだ・・・だいたい設定創氏で変更しても、戸籍には昔の名前が残ったそうだから・・・」
「どうみても、無理矢理、名前を奪ったようには見えないわね〜」
「ちなみに美味しんぼでは李奉昌→宮本富信と改名している例を紹介してるが、改名までした人は余りいない・・・」
「あら、そうなの?」
「創氏は強制だったので、設定創氏の場合も無料だったが、改名には金がかかったんだ」
「へー、どのくらい?」
「1人50銭・・・後半は家族で50銭に変更になってるみたいだな」
「50銭・・・って今だとどのくらいよ・・・」
「終戦間近の新任教員の給料35円、現在の新任教員で初任給が20万とすると1円=6000円くらいだな」
「それじゃ3000円くらい?名前変えるだけで3000円か〜高いというほどでもないけど・・・」
「朝鮮とは物価が違っただろから決して安くはない金額だったんじゃないかな?」
「んで、何人くらい改名したの?」
しかし大多数の在日朝鮮人は創氏の届けをせずに法定創氏とし(註2)、改名もしませんでした。彼らは手続き的に何もしないで、つまり金銭的負担をせずに放置しました。従って創氏改名後も本名は朝鮮名でした。そして通称として日本名を使用したわけです。創氏改名政策ではこの選択が可能だったし、在日の大部分はこれを選択したということです(註3)。
註
(1)総督府の統計資料から、改名した人の割合は9.6%である。9割以上は改名しなかったのである。
(2)総督府統計資料の居住地域別「氏設定届」件数の割合では、内地居住者の設定創氏が14.2%、法定創氏が85.8%となる。つまり大多数の在日朝鮮人は法定創氏を選んだのである。一方鮮内(朝鮮本土)居住者における設定創氏は76.4%、法定創氏は23.6%となっているから、この違いは大きい。
(3)もし仮に金本春子がこれを選んだとしたらどうなっていたか。この場合は夫の姓である「金」が氏となり、この家族は金家となる。夫の戸籍名は「金致善」と変わらないが、妻は「金秉春」となり、「金本春子」は創氏改名と関係のない通称名に過ぎないことになる。
「ほら見なさい!創氏改名なんて誰もしなかったんです!」
「強制で日本名にされたんじゃなかったの?」
「・・・」
「わたしは金がかかるのに10%もいたことに驚いたけど・・・」
「ちなみに改名するには裁判所での手続きも必要だった」
「めんどくせーーー」
「その手続きをした人はたしかにいたんだ」
「そんな人は少数ニダ。大多数の人は改名するのは死ぬほど屈辱だったニダよ」
「朝鮮・韓国人にとって別に大切でもなかったからだろ?」
「そうみたいだな」
「李朝末期まで”姓氏”を付けることが出来なかった奴らがなんで家系図は持ってるのよ?」
「・・・捏造したから・・・」
「そんなことありません!白丁なんてほとんどいなかったんです!」
「支配階級の方が多いってどういう社会よ?」
「まあ、現在の韓国人は名前を大事にしているようだ・・・だが、現在使ってる名前は中国風で朝鮮風ではないだろ?」
「そうね、昔の人はどう思ってたのかしらね〜」
(中略)
また、この創氏改名は、朝鮮社会から抹殺されていた女性達を救っている。
朝鮮の氏名研究者である鮎貝房之進氏はその著書「姓氏攷及族制攷」(1937年刊行)で、「朝鮮では女子に名をつけることを三国時代の昔から忌み嫌っていた」と指摘している。
過去から李朝に至るまでの、女子への名忌避を次のようにも指摘している。
「(中国の)漢民族に倣って、姓をつけるようになって以来、上流階級の婦女子の名前は、李朝同様、姓だけで呼ばれていた。本来の名前や、氏名の「名」が書かれている例を(古文献から)発見することは出来なかった」(原文より、現代語に即して訳し抜粋)
朝鮮の女子に名前が付けられるようになったこと、そして、女性の再婚が法的に認められるようになったのは、「日帝36年」の間に施行された民法によるものである。
それまで、完全に「モノ」扱いだった朝鮮の女性に権利と人権を認めたのは、韓国人が忌み嫌う日帝だったのである。
付け加えておくが、よく韓国人が自分たちの氏名は命より重要であり、日帝が強制したからこそ、創氏改名に泣く泣く当時の朝鮮人達は従ったのだと妄言を言う。
その命より大事なはずの韓国人の氏名は、そもそも中国式であり、本来の朝鮮名ではない。
李光洙氏もこの件で次のように喝破している。
「我々(朝鮮)在来の姓名は、支那を崇拝していた祖先の遺物であり、古代朝鮮人の名は、【永郎】【述郎】【初郎】【伊宗】【黒歯】が多かった。昔の地名も【徐羅伐】【達久火】【斉次巴衣】などであった。こういった朝鮮古来の名前を、支那風に統一したのは600〜700年ほど前である」
また、中華帝国として元が君臨すれば、朝鮮ではこぞってモンゴル風の氏名へ名前を変えている史実がある。
少なくとも、今の韓国人達が思うほど、朝鮮人達は名前に執着していなかったようである。
「今の韓国人達が思うほど、昔の人達は名前に執着していなかったみたいね」
「ムキーーーー!!黙って聞いてればいいことばかり言って!日帝の悪行を隠してます!!」
「たとえばどんな?」
「日帝の悪行はまだまだこんなにあるニダ!」
2.日本が「円」を持ち込んだ。
それまでは買い物をするときには貨幣の運搬のために馬と馬子を雇っていた。
「円」や「ドル」が通用するようになって馬子が失業した。
これが現在なら 当然 失業補償をすべきである。
(一ドルが穴あき銭3200枚と交換されていた。 鹿の角は高価で一対40ドルから60ドルていど。)
3.日本人はソウルに 二階以上の建物を建てた。
それによって ソウルの見晴らしが悪くなった。
4.ソウルに大学を創った。
現在の韓国の学歴偏重の弊害の原点はここにある。
5.朝鮮に道路や橋を整備し侵略を容易にするとともに「風水」を壊した。
6.日本人は衣服に色をつけることを教え、朝鮮の白衣文化を奪った。
7.日本は政府に圧力をかけ睾丸の腐割を禁止させ、性転換の自由を奪った。
8.初潮前の少女を妓生とすることを禁じロリコンの楽しみを奪った。
9.寡婦の再婚を許可し不倫を横行させた。
10.病気の治療のための呪詛を禁止し、宗教の自由を奪った。
11.再就職の難しい宦官を失業させた。
(当時はおかまバーも失業保険も無かった。)
(「男寺党」と呼ばれる男ばかりの芸能集団が有ったが、年寄りは就職できない。)
12.白丁(被差別者)に笠をかぶせることを禁じ、笠屋の利益が減少した。
13.奴婢の解放により 両班に反感をもたせた。
14.女性にも名をつけることを奨め儒教の教えを蔑ろにした。
15.近代的デモを教え、それまでの「殺人契」「香徒契」のような
両班に対する 財産の奪取、婦女子の強姦の楽しみを無くした。
(日本が侵略する以前は三・一デモのようなものは無かった。)
16.皮革産業を普及させ動物を虐待した。
「よく見なさいよ・・・近代化に必要なことばかりじゃないの?」
「ニカ?」
「うむ、日韓併合を100%正当化するつもりはないが!」
「白丁奴隷を 解放し〜こどものキーセン 禁止して〜♪」
「ハングル教える小学校〜街には電車も走る〜♪」
「小作にも農地を所有させ〜はげ山に緑の木を植えて〜♪」
「シャーマン治療を禁止して〜たちまち 人口2倍〜♪」
「人口増加はもっともわかりやすい例だな」
「アイゴー!!人口が増えればいいんですか!!いいえ!そんなことありません!」
「減るよりいいじゃん」
「このときの世界の人口増加は年1%ほど、朝鮮における増加は年1.9%ほどだ」
○表1世界の人口推移より年平均増加率
1900〜1950年:0.85%
1915年〜1944年:(315,949人/年 1.9%)
※1910〜1915年分は精度が低いようなので考慮しませんでした
「ちなみに日本の1915年〜1945年の増加率は1.2%ほど・・・」
「日本より増加率いいやん・・・」
「・・・しかも半島の産業は併合してから爆発的に増えてる」
(以下略)
データのみまとめ
落星垈(ナクソンデ)経済研究所の調べ
1912〜1937年までの朝鮮国内総生産(GDP)成長率
年平均実質GDPは4.10%、実質GDEは4.24%
※同時期の日本・米国は、3%台 欧州は、1%台
植民地朝鮮の経済構造変化 | ||
1910年代 | 1930年代 | |
一次産業 | 75% | 45% |
二次産業 | 7% | 22% |
三次産業 | 19% | 33% |
「その前が最悪だったという話もあるが・・・」
尾沢 「へえ……福沢諭吉といえば、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という言葉が有名で、自由平等主義者だと思っていたのに……」
山岡 「日本は、"朝鮮は遅れている≠ニいう偏見を作り上げ、広めていくことによって、"だから日本が上に立つのが当然なのだ≠ニいう意識を、国民の中に植え付けていったんです。」
はる 「そういう偏見こそが、朝鮮・韓国を支配する武器だったのね。」
「まさか・・・そう言う演出だろ?」
「ニダニダ・・・」
「そ、そうよね・・・ハハハハハ・・・」
「乾いた笑いですね」
「ここに来ている人なら当然知ってるだろうが、『天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず』と言った人は別な人だな」
「それはアメリカ合衆国の独立宣言の一文よね〜うさ・うさ・うさ・うさ!!」
「意外と知らない人も多いのかな?検索すると自由平等主義者としての引用が多く出てくる・・・」
「日本人なら最初だけでも読んでおいた方がいいんじゃない?」
「福沢諭吉は、学問のススメで祖国防衛を説き日本の近代化への礎を築いた、だから日本の1万円は福沢諭吉なんだ」
「日本のお札の人はみんな朝鮮蔑視をした人ニダ!韓国人は日本の紙幣なんてみたくないニダ!!日本の紙幣から彼らを排除してほしいニダ!!!」
「って韓国の人はホンキで思ってるのよね〜」
「福沢諭吉は朝鮮が独力で近代化できるように、ハングルの新聞を作ったり、留学生を呼んだりして支援していたんだぞ」
「え?ハングルの新聞を作った?福沢諭吉はそんなこともしてたの?」
「どうやらそのようだ」
「わか!」
「彼は福沢諭吉の弟子だったんだ。20歳の彼がそんな会社を作れる資金を持っているはずもなく。福沢が資金を提供し、韓国に行って新聞を発行したんだ」
「へー色々やってたのね」
「だが開化独立推進勢力が清国と朝鮮守旧派によって無残に踏みにじられたことに福沢は失望する」
「実に実に呆れ果てたり。事小なりと雖もというとも、斯かる腰抜け共の棲息しては、亡国も其の処なり」
と、朝鮮の知人に手紙を送っている。
「つまり・・・お前らええ加減にしろや(#゚Д゚)ゴルァ!!ってことね」
「この他にも朝鮮から来た留学生が大学の金庫を荒らしたとかいう話もあるが・・・」
「うわ!そんな事したの!?」
「アイゴー!!これは捏造です!!」
「あら?ネタ?」
「・・・現在の状況を見るとありそうだけどな」
「アイゴー!!差別です偏見です!!」
「自分たちが悪いんじゃないの・・・」
「福沢諭吉は独立を支援していた・・・だが朝鮮の人々は独立派を支援するわけでもなく、死者に鞭を打つ仕打ちをしている・・・」
「死者に鞭打つというのは向こうの文化よね」
「次々と裏切る仕打ちの末に、福沢諭吉が発表したのが脱亜論だな」
「簡単に書くと・・・
「今の現況を見ると・・・福沢諭吉の判断は正しいんじゃない?」
「アイゴー!!それは偏見です!福沢諭吉は差別主義者だったんです!朝鮮が遅れてるという偏見を作り出したのは彼なんです!!」
「そう?日本より朝鮮の方が遅れてると言うのは、客観的に見ても当然の判断だと思うけど?」
「むしろ偏った見方をしているのはカリーじゃないの?」
「本人はそう思ってないみたいだけどな」
「え?」
「・・・」
____ 、ミ川川川彡 /:::::::::::::::::::::::::""'''-ミ 彡 //, -‐―、:::::::::::::::::::::三 ギ そ 三 ___ 巛/ \::::::::::::::::三. ャ れ 三 _-=三三三ミミ、.//! l、:::::::::::::三 グ は 三 ==三= ̄ 《|ll|ニヽ l∠三,,`\\::三 で 三 / |||"''》 ''"└┴‐` `ヽ三 言 ひ 三 ! | / 三 っ ょ 三 |‐-、:::、∠三"` | ヽ= U 三. て っ 三 |"''》 ''"└┴` | ゝ―- 三 る と 三 | / ヽ "" ,. 三 の し 三 | ヽ= 、 U lヽ、___,,,...-‐''" 三 か て 三 . | ゝ―-'′ | |::::::::::::_,,,...-‐'"三 !? 三 ヽ "" ,. | | ̄ ̄ ̄ 彡 ミ ヽ、___,,,...-‐''" ,,..-'''~ 彡川川川ミ 厂| 厂‐'''~ 〇 | ̄\| / |
「なによこれ・・・これだけ韓国側の史観でしか見てないのに、”俺は公平にものを見てる”って言ってるの?」
「どうもそのようだ・・・俺は”差別や偏見を捨てろ!”と騒いでいる奴らの方が差別意識が強いと思うのだがな・・・」
「だいたい完全平等なんて無理に決まってるじゃない、カリーは他人の子供を自分の子供と全く同じに可愛がれと言われて、その通りに実行できる人間なのかしら?」
「自分だけ良ければいいという奴も困るが、自分と他人は所詮違うものだ、それを無理矢理同じにしようとするとどこかに無理が来るものだ・・・」
「こんなんだからアカ認定されるのよね」
「韓国人が韓国側の史観で見るのはわかる・・・だが日本人なら日本側の史観で見るべきだ!」
「大丈夫ですよ、カリーは在日ですからホルホルホルホル」
「在日なら早くお国に帰りなさい」
「返品不可で送り返した方がいいかもな・・・」
山岡「日本と朝鮮・韓国との関係で言えば、唐辛子はまず日本に来て、それから朝鮮半島に渡った。日本は、漢字も仏教も文化の根幹は朝鮮半島から伝えてもらったが、唯一、日本から朝鮮半島に伝えたのが、唐辛子だ。」
尾沢「あらら……唐辛子は、日本経由で朝鮮・韓国に行ったの!?」
「こ、これもまたもの凄いデンパね」
「ウェーハッハッハ、チョッパリはようやく
「甘やかすとこういう戯れ言を許すことになるわよ」
アジアは元々私たち地 中国はもちろんメソポタミアまで韓民族影響圏
(http://myhome.thrunet.com/~garino/history/ourlimit.htm)
日本の写楽は韓国人 李 寧煕
(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309902774/ref=pd_sims_dp__1/250-903757 4-4332234)
日本語は韓国語だ万葉集も韓国語 李 寧煕
(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167539047/250-9037574-4332234)
中国も日本も百済の地
(http://www.damool.net/html/jushin/jushin.htm)
韓国語は全世界語の母胎である
(http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/body33.htm)
中国拳法と日本柔道は高句麗武術から生まれた
(http://japan.koreainfogate.com/koreainfo/koreainfo.asp?code=e&scode=2)
「とにかく日本から伝わったものは何もなくて、我々が伝えてやったっと言うのが奴らのディフォルトだからね」
「さらにこれだ・・・」
安「それが、朝鮮・韓国はきつくないことの証明ですよ。唐辛子というそれまでになかった新しい文化を受け入れた国と、受け入れなかった国と、どちらがきついですか?」
尾沢「あ……」
安 「柔軟に唐辛子を取り入れるくらいだから、朝鮮・韓国は、もともと外国にきつくなんかないですよ。」
「そうですそうです、朝鮮・韓国は、もともと外国にきつくなんかないニダ」
「唐辛子を受け入れなかった国はキツイ国なのかと聞きたいが・・・」
「ものすごい極論ね、日本の方が新しい文化の受け入れに寛大だと思うけどね」
「どちらかというと外国にもの凄くキツイ国だと思うがな・・・」
「そんなのは一部の意見ニダよ」
「外国でもずいぶん嫌われてるみたいだが・・・」
「この後、尾沢氏が韓国への誤解を撤回して終了となるわけだが」
「お約束の展開ね」
「ウリナラの正当性が証明されましたね」
「こんなんで説得される方がおかしいって・・・」
「まあ、知らない人はあっさり騙されるんじゃないかな?」
「かの国を知らぬものは、カの国の手先よ」
「さて最後に美味しんぼの作画資料を紹介しておこうか・・・」
ドン!!
「どんな本か調べてみたんだが、残念ながら『戦争の記録(ぎょうせい)』はよくわからなかった・・・」
「ん?”写真図解 日本の侵略(大月出版)”こっちの方は?」
「内容までくわしくわからなかったがこれ・・・アジア民衆法廷準備会が編集しているんだ」
・
・
・
・
アジア民衆法廷準備会
・
・
・
・
・
アジア民衆法廷準備会
・
・
・
・
・
アジア民衆法廷準備会
・
・
・
・
・
「あじぁみんしゆぅほぅてぃじゅんびかぃ?」
「おーアジア的な優しさに満ちあふれた名前ですね」
「民衆法廷なんて人民裁判でしょ?単なる吊し上げじゃん」
「アジア民衆法廷準備会がどんな活動しているか知らないが・・・」
「まともな活動しているわけないじゃん」
「民衆法廷がどんなものかは、NHKに政治介入があったとしたアサヒ報道で一気に有名になったな」
「聞くところによると被告はもちろん被告側の弁護人もいない・・・」
「は?中世の魔女裁判でも形だけとはいえ弁護人はついてたわよ」
「何言ってますか!当時の首相・森嘉朗氏に被告側弁護人(被告代理人)の出廷を要請しています!「アミカスキュリエ」(法廷助言人)により被告側の主張は明確に紹介されました」
「・・・だから?居ない事は事実じゃん、こんなの模擬裁判とも呼べない裁判じゃない?」
「女性国際戦犯法廷は民衆法廷ニダ!戦時性暴力の事実関係・責任問題を国際法などに基づき解明するもので国連人権委が紹介した実績もあるニダ!」
「あん?被告も被告弁護人もいないで解明できたの?」
「解明するつもりがないんだろ?だいたいこれは北朝鮮の大きな工作の中の一部としての見方が強い」
「あれ?拉致問題って日朝首脳会談の前にすでに問題になってたわよね・・・」
「うむ、それにともなう国会質問等もされている・・・だいたい北朝鮮の工作員として認定されて、日本がビザを発行していないような人間が検事側として2名参加している」
「ふふふ・・・首席検事はアフリカ系米国人とオーストラリア人。そもそも北朝鮮検事団が存在しないニダ。「南北コリア検事団」(団長は韓国の検事)が結成されていたからニダよ。」
「(゚Д゚ )ハァ?検事として出席しているのは事実なんでしょ?」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「ふふふ・・・私の主張は明確に伝わりました、
「って勝利宣言かよ!!」
「じゃあこの辺りで今回は終了だな」
「あ、終わり?さすがに長かったわね」
「これでもだいぶ短くしたんだがな」
「短くしてこの長さね〜コリアンの捏造は半端じゃないわね」
「朝鮮の言い分をまるまる信じるとああなるな・・・」
日韓併合は
「むしろ良かったの方が多かったんじゃない?それじゃSee you again・・・」
「パンニハムハサムニダ」
「(なんじゃそりゃ・・・)」